三品目 親子の絆 一番心に沁みる味
3-1
神さまの店だけあって、『稲成り』を訪れる客は、実は人間だけではなかったりする。
しかし、『稲成り』は人間のための店。正確には、人間に日本の食文化の素晴らしさとその文化の根幹をなす米の偉大さを知らしめるための店だ。
だから、人間の客が来なくなってしまうようなことは絶対にしてはならない。
それが、人外が『稲成り』を利用する際の鉄の掟だ。
「うわぁ! お母さん! すごいねぇ!」
五~六歳の元気な男の子が、ズラリと並ぶお漬けものとおばんざいの前で歓声を上げ、ぴょんぴょんと跳ねる。
「こ、こら、埃が立っちゃうでしょ? 大人しくしないと駄目!」
慌てて嗜める母親に、「稲荷さまのごはんはすごいねぇ!」と嬉しそうに言う。
近くの座卓を拭いていた僕は、その言葉に手を止めた。
あれ? 今の、『稲成り』じゃなくて『稲荷』だったよな? 『さま』がついてたし。
もしかして――?
「嬉しいのはわかるけど、うるさくしないのよ、ミト。お行儀よくね。稲荷さまのお店に失礼をしては駄目。約束したでしょう?」
「うん! ねぇ、お母さん、お母さん! ボク、あの綺麗な玉子焼きが食べたい!」
わかっていると言いつつ、さっきまでとまったく変わらない大音量で、男の子が叫ぶ。
「わかったから、うるさくしないの」
母親がため息をつきながら、取り皿に卵焼きを載せた。
「あのね、あのね、ウインナーも!」
「はいはい。ちゃんと取るから、もう少し声を抑えて。ね?」
母親の困ったような声を背中で聞きながら、座卓の上の調味料などを整えて立ち上がる。そして僕は、ふと男の子のお尻を見た。
「……!」
モフモフした可愛らしい尻尾が生えている。小麦色で先のほうだけ白い――狐のそれ。どうやら、料理に興奮するあまり、うっかり出てしまったらしい。
しかし、すぐにぼんやりと淡い白い光がそれを包み、僕の視界から消してしまう。
僕はホッと息をついて、天井を見上げた。
『稲荷大明神』で、『宇迦之御魂神』である一陽さんの
店にやってきた人外のうっかりミスをフォローするため。
お客様(人間)に人外の存在を知られて、騒ぎにならないようにするためだ。
さっきの――男の子の尻尾を隠した白い光は、たしかシロの幻術だったはず。
「うわぁ! うわぁ! 美味しそう!」
母親とともに席についた男の子が、真っ白なご飯と皿に盛られたおばんざいにその目をキラキラさせて、手を叩く。
「ええと、いただきます……でいいんだよね?」
両手を合わせてしっかりと頭を下げて――母親に確認する。
「そうよ。稲荷さまに感謝を込めてね」
「稲荷さま、ありがとうございます」
男の子の満面の笑顔に――そして母子の微笑ましい光景に、自然と唇が綻ぶ。
少々の失敗なら、クロとシロがなんとかしてくれる。
だから、彼にはこの時間を、思いっきり楽しんでほしい。
一陽さんの愛情たっぷりな料理を、めいいっぱい堪能してほしい。
「……すごいな。一陽さんは」
一陽さんの料理は、人も人外も魅了する――。
「あ、鯖の西京焼きが少なくなってるな。茄子の煮びたしも」
自家製のきゅうりと白菜の浅漬けとあさりの時雨煮、千枚漬けも補充したほうがいいか。
残っている分を取り皿に移して、大皿を持ってカミダイドコへ行く。そしてダイドコの一陽さんへと声をかけた。
「鯖の西京焼き、茄子の煮びたし、浅漬け、時雨煮、千枚漬けをお願いします!」
「わかった。すぐ出す。茄子の煮びたしは、次に出る分で最後だ」
すぐさま、一陽さんの低い声が返ってくる。
暑いからだろう。キンと冷やした茄子の煮びたしは大人気だ。僕もすごく好きだから、まかない用に少し残ってくれたらと思っていたけれど、これは完売するな……。残念。
「――もし、店員さん」
内心ため息をついた時、ふと後ろから声がする。
振り向くと――五十代前半といったところだろうか。涼やかな水色の着物を身に纏った品のよさげな女性が、僕を見上げてにっこりと笑った。
「お味噌汁も少なくなってますよ。あと五杯分ってところかしら」
「えっ!?」
慌てて、味噌汁用の保温専用鍋を覗くと――本当だ。少ない。
「ありがとうございます! すぐに補充します!」
勢いよく頭を下げると、女性はふふふと笑いながら、席へと戻っていった。
「お味噌汁も残り五杯分です! すみません、ちょっと油断してました!」
暑さのせいか、序盤の売れ行きは悪かったものだから。
「わかった。煮びたしと浅漬けと千枚漬けの準備はできた。運んでくれ」
「はい!」
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