2-9

 そこまで言って、ふと前に並ぶ小鉢に視線を落とした。


「あ、れ……? もしかして、同じもの……?」


「そうだ。――凛」


 僕は頷いて、再びダイドコへ。巨大な卵のような形のものを抱いて戻ると、長瀬さんも四ノ宮さんも目を丸くした。


「これが、冬瓜。店では、先に食べたもののように、綺麗な翡翠色になるように作るのが基本だ。舌に残るわずかな青臭さも、大人の味としてなくてはならないポイントだ」


 座卓に置いたそれをポンポンと叩いて、目を細める。


「だから、冬瓜の皮は表面だけを薄く剥く。皮の緑色が残るように、だ」


「たしかに、すごく綺麗ですもんね……」


 四ノ宮さんが、先に出したほうの小鉢を覗き込んで頷く。


「ああ。だが、それを苦手とする子供もいる。そういう時は、緑の部分が残らないように、皮を厚く剥く。それが、あとに食べたほうだ」


「え……? 皮を薄く剥くか、厚く剥くかの違いだけなんですか……?」


「そうだ。皮に近い部分はほかのところより固いから、味がよく染み込むよう隠し包丁を入れた。違うのは、それだけだ。あとの調理工程は一切変わらない」


「そう……なんですか……」


 意外そうにしながら、手の中の小鉢を見つめて――さらに一口食べる。

 じゅわっと口の中に広がる冷たいお出汁を存分に堪能して、長瀬さんはほうっと感嘆の息をついた。


「っ……。ああ、これだ……! この味だ……! 美味しい……!」


 まるで、喜びを噛み締めるように、言う。


「お出汁の餡がすごく優しくて、干しエビの風味がきいてて、後味は生姜でスッキリで、歯がいらないぐらい柔らかくてトロトロで……。ああ、ばあちゃんの味だ……!」


 その本当に幸せそうな笑顔に、僕まで嬉しくなってくる。


「京都の夏には欠かせない味だ。この店でも、よく作る」


「……! 京都の夏には……?」


 長瀬さんが、ピクリと身を震わせる。

 そして、再び手の中の小鉢を見つめると、ひどく不愉快そうに眉間にしわを寄せた。


「じゃあ、京都生まれ京都育ちの親父には、なじみ深い料理のはずですよね? それなら、ピンと来てもよさそうなのに……」


 箸を握る手に力を込めて、「いくら俺が、冬瓜とカブと間違えていたからって」と呟く。その様子に、僕と一陽さんは思わず顔を見合わせた。


 ああ、そっか。親父さんに訊いても、『そんなのあったか?』って反応をされたって話だったっけ。でも、それって――。


「親父さんは覚えていなかったそうだが、もしかしたら親父さんは翡翠色のほうの煮物を食べていたのかもしれないぞ」


 一陽さんが、僕が思ったことをそのまま口にする。

 長瀬さんが弾かれたように顔を上げ、目を丸くした。


「えっ……?」


「さっきも言っただろう? 美しい翡翠色に仕上げるのが、この料理の『基本』なんだ。この見た目の涼やかさもあって、夏の定番となっている」


「おばあさんも、その『基本』はご存知だったと思いますよ。もし京都の方だったのなら、間違いなく。だけど、あえて皮を厚く剥いて作っていた。そこには、必ず何かしら理由があるはずです」


「理由……?」


「たとえば、大人用と子供用、二種類の冬瓜の煮物を作っていたとか……」


「……! 二種類の……?」


「工程が大きく違うわけではないから、さほど手間ではない。孫のために、青臭さがない冬瓜の煮物を、別で作っていたとしたら?」


「……あ……」


 思い当たることがあったのか、長瀬さんが唇に指を当てる。


「そっか……。たしかに俺、子供のころは、野菜が苦手だったんです。クセのある野菜は全滅で……。キュウリですら、青臭くて食べられなくて……」


「ああ、じゃあ、間違いないでしょう。長瀬さんのために、皮を厚く剥いた煮物も作ってらしたんでしょう。見栄えより何より、長瀬さんが美味しく食べられるように」


 少しの手間だけど、たしかな愛情だ。


「それに、もしかしたらお父さんは、長瀬さんほど野菜が苦手ではなく、子供のころから翡翠色のほうを食べていたかもしれませんよ」


 皮に近い部分の青臭さは、本当にわずかに舌に残る程度のものだ。だから、僕は冬瓜をクセのない野菜だと認識していたし、一陽さんからこの若干の青臭さが苦手な子もいると聞いて、驚いたぐらいだったから。


「だとしたら、思い当たらないのも無理はないかと……」


「そっ……か……。だから……」


 長瀬さんが、なんだかホッとした様子で息をつく。


 その安堵の意味は――なんとなく僕にもわかる気がした。

 祖母の味を、息子であるはずの父親が覚えていないというのは、嫌なものだろう。

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