2-3
さらに、先輩が話す『おばあちゃんの煮物』のカブは、実際のそれとかなりズレがある。
記憶のほうが間違っているんじゃないか。
だから、本当はたどり着いてるのに、これじゃないと思ってしまっているんじゃないか。
そう言いたくなる気持ちも、わからないでもない。
「先輩の親父さんは、その料理のことなんて言ってるの?」
「訊いたそうなんですけど、『そんなのあったか?』って反応だったそうです」
「お袋さんは? まさか、毎回親父さんと先輩の二人で帰省してたわけじゃないだろ?」
「いえ、そのまさかでして。先輩のお母さんは、お姑さんをすごく苦手にしていたらしく、先輩も、お母さんと一緒におばあちゃんの家に行った覚えはないそうで……」
「……マジか。ちなみに、その『おばあちゃんのカブの煮物』を覚えてそうな人は……」
「お父さんは一人っ子で、先輩が物心つく前におばあちゃんのつれあい……おじいちゃんですね。亡くなっているそうです」
つまり現状、その料理の味を覚えているのは先輩だけ、と。
「それは……なかなか難題だねぇ……」
「そうなんです。だけど先輩は、どうしてももう一度食べたいみたいで、すごく一生懸命探しているんです。思い出の味って、本人にとってはすごく大事なものだと思うんです。ほかの人にとってはただの煮物でも、きっと先輩にとってはそうじゃなくて……」
「なるほどね」
チラリと一陽さんを見ると、「万能じゃないと言ったろう」と嫌な顔をする。
やだな。勘違いしないでください。神の力でどうにかしろなんて言ってない。
「万能なんて求めてないですよ。でも、一陽さんの食材と料理の知識はすごいですから、それで近いところまでせまれないのかなって……」
その言葉に、一陽さんが「そう言われてもな……」と難しい顔をする。
「それだけでは、なんともな。とにかく手掛かりが少なすぎる。娘よ。その先輩とやらは、その煮物について、ほかに何か言っていなかったか?」
「え? ええと……」
四ノ宮さんは顎に指を当てると、再び上を仰ぎ見た。
「そういえば、先輩が、『なぜ、カブの歯ごたえを残すんだ』って言ってて……」
「は?」
その言葉に、僕も一陽さんも唖然としてしまう。
なぜ、カブの歯ごたえを残すのかって?
「それを聞いたほかの先輩方は、なんかもう呆れ顔で……」
「そりゃ、そうなるよね。そもそも、カブは歯ごたえを残すものだし」
「え? そ、そうなんですか?」
「そうだな。生米と一緒に、ある程度柔らかくなるまで下茹でしてから、出汁でじっくり味を含ませる。仕上がり時に歯ごたえが残るように。それが基本だ」
一陽さんが困惑した様子で眉を寄せ、「完全に歯ごたえを失くしてしまうというのは、カブの良さを殺してしまうことにもなるのだが」と言う。
そう。だから、ちゃんとしたお店でカブの煮物を食べれば、歯ごたえが残っているのは当然だ。むしろ残っていなくちゃいけない。ぐずぐずに柔らかくなってしまうと、食感も舌触りも悪くなるし、煮崩れて見栄えも悪くなる。
「で、でも先輩は、歯がいらないぐらい柔らかくて、トロトロだったって……」
「店で出していたわけでもなし、先輩とやらの祖母が、煮崩れしているぐらいの柔らかなカブが好きだったという線もないではないが」
一陽さんが腕組みをして、うーんと考え込む。たしかに、素人さんならそういうこともあるだろう。店で出されているものが、必ずしも正解というわけではない。好みなんて、人それぞれだ。
「でも、それだったら、『夏にしか作らない』ってのはおかしいですよね?」
「ああ。冬でも構わないはずだし、むしろ冬のほうが美味いだろうな」
そうだよなぁ。春ものはみずみずしくて柔らかいし、秋冬ものは甘みもぐっと増して、絶対夏以外に食べるほうが美味しいはず。
「一陽さん、ぐずぐずに柔らかくしたカブの煮物をキンと冷やして食べたことあります? 僕、経験ないんですけど」
カブの煮物を冷やしたものは僕も好きだけど、でもあれって、食感が残ってるからこそ美味いような気が。
歯がいらないほど柔らかくなった煮物を冷やしたら、味とか食感とかいったいどうなるんだろう? 想像がつかない。
案の定、一陽さんも首を横に振る。――ですよね。
「なんか、先輩の記憶違いって線が濃厚になってきてません?」
「そうだな。そこまで違うと、疑わざるとえない」
一陽さんが肩をすくめて、「娘よ」と四ノ宮さんを見た。
「その思い出の煮物は、本当にカブだったのか?」
「……!」
予想外の言葉だったのか、四ノ宮さんが言葉を失う。
でも――僕も同じことを思った。
記憶違いは、きっとあると思う。だけどそれは、『夏にしか作ってくれなかった』とか、『キンと冷やしたのが美味しかった』とか、『歯がいらないほど柔らかった』ではなくて、もしかしたら『カブの煮物』ってところなんじゃないか?
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