2-4
「そ、それは……」
四ノ宮さんが戸惑いに視線を揺らし、何やら言いかけた――その時。
「ごめんください」
ほとほとと、表の戸を叩く音がする。僕らはハッとして、玄関方向を見た。
「え……?」
誰か来た?
「はい! ちょっとお待ちください!」
僕は表のほうに向けて叫んで、一陽さんを見た。
「何か、約束とかありました? 業者さんとか……」
「いや、ない」
きっぱりと首を横に振るのを見て、僕は「了解~」と言いながら、ハシリに下りた。
約束していないなら、基本的には何を言われても断ればいい。一陽さんに時間外労働をさせると、クロとシロがうるさいし。
中戸を開け、足早に玄関へ。暖簾は、もうすでに内にしまってある。僕は格子引き戸を開けた。
「……!」
ひどく美しい女性が立っていた。
意思の強そうな大きな瞳に、桜色の小さな唇。抜けるように白い肌に、烏の濡れ羽色の艶やかな髪。こういう女性を『大和撫子』というのだろうか? まるで日本人形のような純和風美人。
ほっそりと華奢で、軽やかな白いワンピースに、おそらくは紗の夏着物をリメイクしたものなのだろう。勿忘草色の羽織を合わせている。
「ごめんください。こちらに、友人がお邪魔していると思うのですが」
すべてを見透かしてしまいそうな双眸が、僕をじっと見つめる。
彼女には、見覚えがあった。そう。名前は、たしか――。
「あれ……? 菊ちゃん?」
後ろから、驚いたような声がする。振り返ると、ダイドコから顔を出した四ノ宮さんが目を丸くし、少し慌てた様子でハシリに下りた。
菊ちゃん――ああ、そうだ。
「あ、あれ? もしかして、もう約束の時間になってた? ご、ごめん!」
その言葉に、純和風美人――錦さんがにっこりと笑って、首を横に振る。
「ううん。うちが、勝手に来ただけ。用事をすませた帰りに、たまたま近くを通ったもんやから。うちとの約束の前にこちらに寄らせてもらうって話やったし、ほんなら時間的にまだいてるんちゃうかなって……」
そう言って、はんなり綺麗な笑顔で両手を合わせる。
「こちらこそ、約束よりも早うにごめんね? 用事が済んでへんねやったら、すぐそこでお茶してるさかい」
「えっと、当初の目的は一応終わったけど、ご飯炊きのレクチャーが途中で……」
「え? あ、いや、ごはん炊きはあれで終わりだよ」
四ノ宮さんの言葉を遮って、僕はヒラヒラと手を振った。
「え? でも」
「最初から、今日はあそこまでのつもりだったよ。浸水する間、ただじっと待ってるのもなんだしね。続きは、また明日。浸水時間まで含めて、一度に全部教えようと思ったら、一時間は超えちゃうし。四ノ宮さんの予定も訊いてないのに、そんなことしないよ」
「そうだったんですか? じゃあ、あのごはんは……」
「僕の。今日は、次のバイトまでいつもよりちょっと時間が空くからさ、夕食と夜食用のおにぎりを作らせてもらおうと思って」
実は、電気代やガス代の節約のため、ご飯炊いたり、お惣菜の作り置き――冷凍までを店でさせてもらうことは日常茶飯事だったりする。
「だから、本日のレクチャーはここまでってことで。明日は炊きからはじめられるように、四ノ宮さんが来るまでに浸水まで終わらせておくからね」
にっこりと笑うと、四ノ宮さんがひどく恐縮した様子で頭を下げる。
「何から何まで、本当にありがとうございます! 毎日助かっています!」
「いえいえ」
「じゃあ、菊ちゃん。ちょっと待ってて。すぐに荷物持ってくるから」
「うん」
パタパタと、四ノ宮さんが奥に戻ってゆく。背中に背中を見送って、僕はふと錦さんに視線を向けた。
「…………」
錦雛菊。彼女は、うちの大学のちょっとした有名人だった。いや、大学のは言いすぎか。法学部や文学部をはじめとする五つの学部がある――僕が通うキャンパス内での有名人だ。
もともとは、藤原北家中御門流の公家である持明院家の庶流の家で――簡単に言えば、藤原道長の遠い遠い子孫。
実家がまず重要文化財で、その庭にある蔵には重要文化財も国宝もゴロゴロあるという信じられない家の育ちで、お姫さまを地でいく和風美少女となれば、嫌でも人目を引く。
しかし――それだけじゃない。うちのキャンパスには、まるでパルテノン神殿のような外観の最新鋭図書館があるのだけれど、その地下一階・地上三階の壮大な吹き抜け空間を堪能できる眺めが最高のシングルソファーにいつも一人座り、蔵書を読み漁っている。
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