No.11【ショートショート】救い
鉄生 裕
すくい。
その日、学校から帰ってきた娘は娘ではなかった。
見た目こそ娘と瓜二つではあったが、彼女が娘ではないことは明らかであった。
だが、娘はいつも通りの娘のふりをしており、
僕も彼女に、「お前は何者なんだ!?」と言えるわけもなく、
結局僕らは今まで通りの父親と娘の関係を続けた。
「そういえば、今日はお兄ちゃんと一緒じゃなかったんだね」
僕がそう言った瞬間、娘の表情がこわばったのを僕は見逃さなかった。
「・・・お兄ちゃん、今日は遅くなるかもって言ってたよ」
小学一年生の娘には、五つ年の離れた小学六年生の兄がいた。
それはつまり僕の息子という事になるのだが、
その息子は去年亡くなった妻の連子であった。
二人は血が繋がっていなかったが、
兄は妹のことを世界で一番大切な存在だと思っており、
妹は兄のことを世界で一番大好きな存在だと思うほど仲が良かった。
「そうなんだ。それじゃ、今日は二人で夕飯の準備しようか」
僕と娘は二人で夕飯の準備をしていると、「痛っ!」と娘が言った。
どうやら誤って包丁で自分の指を切ってしまったらしい。
「大丈夫?見せてごらん」
僕は娘の指を見て驚いた。
確かに包丁で指を切ってしまったようだが、そこから血が一滴も出てきていないのだ。
ちょうどその時、小学六年生の兄が帰ってきた。
そして兄は妹を見るなり、まるでお化けでも見ているかのような顔をして
逃げるように自分の部屋へと行ってしまった。
「・・・なぁ、君はいったい誰なんだい?」
そこでようやく、僕は娘にずっと聞きたかったそのことを尋ねた。
「お父さん、落ち着いて聞いてね。本当の私は、三時間ほど前に死んだの。
今お父さんの目の前にいる私は、五年後の私なの」
何を言っているのか、さっぱりだった。
そんな僕の様子を見て、彼女はどのようにして自分が亡くなったのか、
今僕の目の前にいる彼女は何者なのかを説明してくれた。
放課後、いつものように兄と一緒に帰るために兄の教室へ行くと、
彼は友達と楽しそうに話をしていた。
「お兄ちゃん、帰ろう」
彼女は兄に言ったが、兄は友達とゲームの話で盛り上がっており、
「ごめんな、今日は一人で帰れるかい?」
いつもなら一緒に帰ってくれる兄が、珍しく妹にそう言った。
「うん、わかった。先におうちに帰ってるね」
大好きな兄と一緒に帰れないのは寂しかったが、
彼女は自分の気持ちを必死に押さえ込んで、兄にそう言った。
そして彼女は一人で家に帰る途中、
道端が真っ黄色になるほどびっしりと咲いていたタンポポに気を取られ
そのまま足を滑らせて用水路に落ちて亡くなった。
用水路に落ちた彼女の遺体が見つかったのは、その日の夜中の事だった。
「本当の私は、既に遺体となって今も用水路にいるの」
「じゃあ、君は誰なんだい?君は娘そのものじゃないか」
「さっきも言ったように、私は五年後の私。天国から来た五年後の私なの。そしてこれは、神様に作ってもらった私そっくりの人形なの」
彼女の言っていることは到底信じることが出来なかったが、
それでも彼女の言っていることを信じるしかないと思った。
「つまり、神様が生き返らせてくれたって事かい?」
「そういう事だけど、そういう事じゃないの。この身体はあともう少ししたら消えてなくなってしまう。神様に私そっくりの人形を作ってまでお父さんに会いに来たのは、お父さんにどうしてもお願いしたいことがあるからなの。―――を、いっぱい植えて欲しいの。きっとそれが、彼を救ってくれるはずだから。それと、お兄ちゃんに伝えて。今でもお兄ちゃんのことが―――って」
「危ないから、早くこっちに来なさい!」
マンションの屋上のフェンス越しにいる息子に向かって、僕はそう叫んだ。
「もう耐えられないんだよ。本当なら、今日はサクラの小学校の卒業式だろ?でも、サクラは卒業できずに死んじまった。あの日、サクラを殺したのは俺なんだよ。俺がいつもみたいにサクラと一緒に帰っていれば、サクラが死ぬことはなかった。きっとサクラは俺のことを恨んでいるだろうけど、それでもサクラに謝りに行かなきゃいけないんだ」
息子は涙をボロボロとこぼしながら、この五年間ずっと胸にため込んでいた気持ちを吐き出すように言った。
「そんなことない!サクラはお前のことを恨んでなんかいないよ!あの日の事、覚えているかい?サクラが亡くなったあの日、家に帰ってくるとサクラがいただろ?信じてもらえないかもしれないけど、あれは五年後の、ちょうど今日のサクラだったんだよ。お兄ちゃんがマンションの屋上から飛び降りるのを、サクラは天国から見ていたんだ。あの日、サクラはそれを知らせるためにわざわざ僕に会いに来たんだよ。お兄ちゃんを止めるために、わざわざ僕に忠告しに来てくれたんだ」
兄は、あの日のことを思い出した。
あの日、友達と話し終え一人で家に帰っていた兄は
偶然にも用水路に浮かんでいる妹を発見した。
だが、それを見て怖くなった兄は
誰かに助けを求めることもせず、逃げるようにその場を去り家に帰った。
だから、家にいた妹を見て心底驚いたし恐怖した。
そのことは今でも覚えている。
父の言っていることは到底信じることが出来なかったが、
それでも父の言っていることは嘘ではないと思った。
「・・・サクラ、サクラ」
兄はフェンスにしがみつきながら、妹の名前を呼び続けた。
「大丈夫だ。サクラはお前のことを恨んでなんかいない。今でもお前のことが世界で一番大好きだって、サクラはあの日僕にそう言ったんだ。だから、お願いだから馬鹿な真似はよしてくれ」
だがその瞬間、兄は足を滑らせマンションの屋上から落ちた。
目が覚めると、病院のベッドの上だった。
「・・・俺は、生きているのか?」
「ああ、地面にびっしり咲いていたタンポポがクッションになって、幸いにも軽症ですんだんだ。お医者さんもびっくりしてたよ」
「タンポポ?あんな高さから落ちたのに、タンポポなんかがクッションになったっていうのか?それに、どうしてあんなところに大量のタンポポが・・・」
「それは、サクラに頼まれ―――」
そこまで言いかけた僕は、喉元まで出かかった言葉をグッと飲み込んだ。
「どうしてだろう。でも、そんな事どうでもいいじゃん。それより、退院したら二人でサクラのお墓参りしなきゃね」
No.11【ショートショート】救い 鉄生 裕 @yu_tetuki
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