第32話 不知火家ふたたび

俺は、自分のお人好し加減に嫌気が差していた。


現在、俺がいるのは不知火先輩の家の前である。以前、俺の軽率な判断で交わした約束が、こんなに早く履行される時が来るとは。我ながら、トラブル体質なのだろうか?


高校に入ってからというもの、何かとトラブルに巻き込まれてばかりな気がする。一度神社にお祓いにでも行こうか?


「旦那様、そろそろ行きましょう」


「は、はい、先輩」


「ふふふ、旦那様は私の許嫁なのです。『先輩』ではなく『澪』とお呼びください」


「い、いやぁ、それはちょっと」


流石にちょっと、気がひけるので断りたい俺だったが、先輩から「呼び方でバレてしまうかも」と言われ、今日は渋々名前で呼ぶことにした。


「わかりました、澪さん」


「『さん』は入りません。それから敬語も不要です」


何度か抵抗してみたが、結局先輩に気圧される形で、呼び方から話し方まで矯正される羽目になった。


「わかったよ、澪。もう勘弁してくれ」


「ふふ、よく出来ました」


俺は、先輩の後を追い、屋敷の中に入った。玄関には男性と思われる靴が置いてある。数人で来ているようで、靴が何足か置いてあった。


「お嬢様、お客さまがすでにお見えになっております」


「もうですか?約束の時間には、まだ早いようですが」


見るからに先輩が不機嫌になっているのがわかる。先ほどまで笑顔だった先輩の顔からは表情がごっそりと抜け落ちていた。


「旦那様、行きましょうか」


そう言って振りむた時には、先ほどまでの綺麗な笑顔が戻っていた。先輩のあんな表情は初めて見たな。男嫌いって話だけど、いつもあんな感じなのだろうか?


「失礼致します」


お屋敷の使用人の方が、襖を開ける。すると、中には先輩と同い年くらいの男性と、その父親らしき男性が居た。


「おまたせ致しました」


「いえ、少しばかり早く来過ぎてしまいました。申し訳ありません」


第一印象はとても礼儀正しい人に見えるが、この人ではダメなのだろうか?


「晴翔様、私達も座りましょう」


「あ、あぁ」


俺は先輩に促されるまま、先輩の隣へと座った。


すると、先ほどの男性がこちらをチラッと見ると、不敵な笑みを浮かべた。この時、俺は思った。あぁ、こいつは嫌いなタイプだと。


「なるほど、そちらの男性が澪さんの許嫁ですか」


先ほどに続いて、値踏みするような視線には嫌気がさす。隣に座る父親からも不快な視線を向けられる。だが、それ以上に気になったのが、先輩の機嫌がめっちゃ悪いことだ。


こいつら、先輩のこの顔見てもなんとも思わないのか!?気づいていないのか、はたまた強靭なメンタルの持ち主なのか、さっぱりわからない。


「こんなどこの馬の骨とも分からぬ輩では、あなた様のような方には不釣り合いでしょう。顔がいいのは認めますが、それだけです。私の息子の方がメリットが多いと思いますよ?」


「ふふふ、嫌ですわ。晴翔様に対して馬の骨とは」


先輩は必死に隠そうとしているが、顔が引き攣っている。


「そんな一般人では、不知火家を盛り立てることはできませんよ」


「そうですよ、澪さん。私なら、そんな男と違い、不知火家を盛り立て澪さんの支えとなれるでしょう」


何だか、先ほどから言いたい放題だな。それにしても、先輩の我慢も限界が近いらしい。眉間には皺がより、ものすごい目つきで睨みつけている。


「心配には及びませんよ。晴翔様は素晴らしいお方です。それに、もうこの方以外に恋人は考えられません」


「ぐっ、貴様はどうなのだ!?どうせ、許婚とやらも芝居なのだろう?でなければ澪様が男性と仲良くなどされるものか!!」


「そうだ、そうだ!きっと裏があるはずだ!」


うわぁ、めんとくせぇ。本当に信じてなかったんだな。まぁ、実際嘘だからあれだけど。


しかし、先輩の方を見ると、こちらにパチンっとウインクする。これは、あらかじめ決めておいたサインだ。


このサインが出たら、仲睦まじい姿を見せつけると言われていた。


はぁ、仕方ない。腹を括れ、俺。やるしかないんだ。俺は、母さんとの稽古を思い出していた。


俺は、先輩の彼氏だ。役になりきるんだ。目を閉じて、呼吸を整える。よし。


「晴翔様、私達は疑われてるようですわ」


そう言って、澪はこちらにもたれ掛かるように姿勢を崩した。俺は、そんな澪の肩を抱くように支えた。


「澪、大丈夫だ。俺達が愛し合っていることは、見れば誰でもわかることさ」


「は、晴翔様、お顔が、ち、近いです」


「照れてる澪も可愛いね。もっと見せてくれ」


照れて、頬を赤く染める澪。そして、俺は追い討ちをかけるように、澪の頬にキスをした。


「ひゃ、ひゃるとしゃま!?」


「どうした、澪?」


俺は、さらに真っ赤になる澪をみて、優しく微笑む。本当に可愛い人だ。


俺は、澪の顔に手を伸ばし、頬に触れる。特に抵抗されることなく、迎え入れらる。


「ふみゃぁ」


すっかりとろんとした表情の澪に、先程まで騒いでいた男達も、口をあんぐりと開けて固まっている。


さて、そろそろいいかなと思い、距離を取ろうとしたが、俺の手を両手で包み込み、離してくれなかった。


「晴翔様、もっと触れて下さい。あぁ、私、なんだか変な気分です♡」


「み、澪?」


あれ、ちょっとやりすぎたか?もう十分だぞ、戻ってくれぇ。俺がそんなことを思っていると、俺の願いが叶ったのか、助け舟が出される。


「い、いつまで、イチャイチャしてるつもりだ!!」


「そうだ!もうわかったから、一度離れろ!」


そんな怒鳴り声に、先輩の意識ははっきりとしたのか、先程までの甘い雰囲気など微塵も感じさせない険しい表情である。


「2人の仲がよろしいのはよく分かりました。しかし、顕彰様は許さないのではないですか?」


「そうですよ、私の方がふさわしいと思われるでしょう」


動揺しながらも、勝ち誇ったように先輩のお爺さんを引き合いに出してくる二人。だが、それでも一切動じない先輩。いや、むしろ勝利を確信しているかのように見える。


「お爺さま、居るのはわかっております。出てきたらどうですか?」


先輩がそう言うと、隣の部屋から年配の男性が現れた。もしかして、あれが先輩のお爺さんで、不知火グループの会長。


「お爺さまのことです。もう晴翔様についてはお調べになっているんですよね?」


「もちろんだ」


えっ?どうゆうこと?まさか、俺の素性を調べたってことか?


「では、話が早いですね。晴翔様が私の旦那様にふさわしいことは、もうお分かりでしょう?」


「むむむ、そうだな」


あれ?なんだかあっさり解決しそうだぞ?しかし、俺の何が先輩の許嫁にふさわしいのだろうか?さっぱりわからない。


「な、なぜですか、顕彰様!?」


「そうです、私の方が澪さんを幸せにできます!」


「静かにしろ」


決して大きな声ではなかった。しかし、腹の底に響くような、重い声が静かに響き渡った。


すると、先ほどまで騒ぎ立てていた二人が、お爺さまの一声ですっかり静かになってしまった。


「儂が、認めると言っているんだ。それに、澪の相手は澪が決める。それで問題なかろう」


「はい、問題ありません、お爺さま」


何が何やらわからぬうちに、事態は無事収束へと向かった。その後も、なんとかしがみつこうとしていたが、そんなことは許されず、使用人達に外へ放り出されていた。


「澪、本当にいいんだな?」


「はい、お爺さま」


「むむむ、おい小僧!」


「は、はい!」


急にこちらに振られたため、驚いてしまった。なんだかお爺さんは、すごく葛藤しているように見える。


「澪を泣かせたら許さんぞ!それから、結婚するまでは、先程のように密着するでないぞ!?」


「は、はい!わかりました」


「うむ、分かれば良い。澪、幸せになるんじゃぞ。この小僧が嫌になったらすぐに言うんじゃぞ?」


最後まで、俺を睨みつけていたお爺さんは、使用人に呼ばれ、名残惜しそうにその場をあとにした。


ーーーーーーーーーー


「それにしても、お爺さんあっさりしてましたね。俺はもっと反対されると思ってました」


「ふふふ、お爺さまのことです、きっと晴翔様のことを調べていると思っていました。その時点で、私の勝ちは見えていましたから」


「なんで、俺について調べると勝ちなんです?」


俺を調べたところで出てくることなど、芸能活動をしていることくらいだろう。


「ふふふ、それは晴翔様のお母様の存在ですわ」


「俺の母さんですか?」


「えぇ、実はお爺さまは、真奈さんの大ファンなのです。イベントには欠かさず行っているんですよ」


「えっ、そうなんですか?」


「えぇ、きっと真奈さんに会えるチャンスだと思い、すごく葛藤していたと思いますよ」


葛藤している姿を想像したのか、先輩は急に笑い出した。


「ふふふ、考えるだけで可笑しいですね」


「でも、不知火グループの会長なら、母さんに会うのも容易いのでは?」


俺は我慢をそのまま投げかけたが、先輩は少し驚いたような顔をした。


「晴翔様は、知らないのですね。お爺さまは、真奈さんにお会いしたくて、何度か頼み込んでいるのですよ?」


「そうだったんですか」


「えぇ。ですが、いずれも断られてしまって。大金を積んでもそうそう会える方ではないのですよ、あなたのお母様は」


「不知火グループの頼みを断って大丈夫なんでしょうか?少し、肝が冷えましたよ」


「ふふふ、単純にこちらの足元を見て断りを入れてきたのなら、お爺さまも黙って居ませんが、断った理由が『子供との時間が減る』でしたので、怒るに怒れません」


そんなことがあったのか。確かに母さんは決まっている仕事しかせず、急な依頼はほとんど断っている。それが、俺の為だったとは。


帰ったら、それとなく感謝の気持ちを伝えよう。そんないいムードだったのに、先輩の一言で現実に戻された。


「さて、用事も済みましたので、デートに行きましょうか♡」


「へっ?」


行きますわよと言って、俺はリムジンに乗せられ連行されて行った。どうやら、俺の長い一日は、まだ終わりそうにない。

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