前編

 あの日、私が仕事を休んだのは、2つの理由からだった。

 一つは、午前、母の病院通いに付き添うため、もう一つは、午後、昔の勤め先の上司の転職先にあいさつに行くためだった。

 そういう訳で、東京の神田の、参画していたシステム開発プロジェクトの現場は一日休みを取った。


 平成23年3月11日金曜日の事である。


 午前の母の病院行きは、入れ歯を新調するためだった。

 私の母は、なかなか気難しい人で、それまでも入れ歯を2回作っていたが、嵌めても少しすると「違和感がある」と言って使わなくなってしまう有り様だった。

 とにかく、昔気質な人で、自分の感覚が重要、違和感が先に立つと使わない。PCしかり、携帯電話しかり。

 そこで、私の妻が考えたのが「うんと良い入れ歯を作れば使うだろう」というもので、そこで妻が選んだのが、御茶ノ水おちゃのみずの東京医科歯科大学附属病院だった。

 確かに良い病院だった。

 何しろ、入れ歯一つ作るのに、何度も何度も採寸する。

 母も、自分の体の不調などを丁寧に聞いてくれるお医者様が気に入ったのか、文句を言わずに通うようになった。

 入れ歯だけでなく、心臓の検診もそこで受ける事になった。

 ただし、練馬ねりま大泉学園おおいずみがくえんにある我が家からは、朝、西武池袋線に乗って池袋に出て、そこから地下鉄丸ノ内線に乗り換えて通わなければならなかった。

 知る人は知っているだろうが、朝の丸ノ内線、特に池袋から茗荷谷みょうがだにまでの2区間の混雑というのは、言語に尽くしがたいものがある。

 母が病院に行くのは、ピークを多少過ぎた時間だったのだが、それでも、大変である。

 母も、昔は元気な人で、都心で飲食店を営んでいたのだが、その店も十年以上も前に閉じ、しばらくは内房うちぼうで田舎暮らしをしていて、それも段々と難しくなって戻って来たという、いわば東京へは「帰り新参」みたいな人だった。

 朝の地下鉄になど、とても一人では乗せられない。

 そこで、病院へは、いつも、妻が付き添ってくれていた。

 それで、たまには私が付き添おうという事にした訳だ。

 別件もあったし。


 午後の、元上司への訪問だが、当時も今もフリーランスのPGとしてシステム開発の現場を渡り歩く私は、常に新しい取引先を開拓したいという意識がある。

 それで、元上司が新しい会社に移ったという知らせを聞いて、あいさつ回りをしようと考えた訳である。

 そこは、北府中にある工業会社で、3時に訪問する約束をした。


 その日、母と連れ立って、私は、普段の出勤よりは少し遅い朝8時過ぎに家を出た。

 前述のとおり、西武線で池袋に出て、人ごみの中、地下鉄丸ノ内線に乗り換え、ラッシュのピークは過ぎた車内で席を確保し、御茶ノ水についた。

 歯科と内科で定番の検診を受けて、病院の用事は終わった。

 初春の、天気の良い日だった。

 二人でぶらぶらと神保町じんぼちょうまで歩いた。

 母は、若い頃に東京に出て来た人で、最初に勤めたのが、神保町にあった出版社だった。

 神保町は、いわば、母の人生のスタートラインみたいな土地なのだ。

 「土地」というのは、何かしらそういうものだ。

 方向音痴気味な妻では、そうした都心のぶらぶら散歩につき合う事も出来なかろうが、たまに息子が付き添ったのだから、母の若い日の思い出の街歩きに付き合うのも良かろうと思ったのだ。午後の用事には時間があったし。

 要するに、私も、「所要あり」として仕事を休んで、のんびりモードだったのだ。

 だが、我が母も老いた。

 書店を少し覗くと「疲れた」と言い、レストランで昼食を食べると「帰る」と言い出した。


 それが、あの日の一番の「幸い」だった。


 帰りは一人で帰れるという母を、丸ノ内線の駅まで送って別れた。

 そうして、私は、午後の訪問先に向かうべく、JR御茶ノ水駅から中央線に乗った。

 西国分寺で武蔵野線に乗り換えて、北府中で降りた。

 北府中は、東芝府中工場のためにある様な駅である。鉄道の西側には、工場の敷地が広がっている。

 目指す元上司の職場は、その東芝工場の向こう側にあるらしかった。

 前述の通り、天気は良い。

 時間には余裕がある。

 私は、広大な東芝工場の北側の、片側には小ぎれいな住宅の並ぶ道を、ぽくぽくと歩いて行った。

 時刻は、午後2時40分ごろ。


 その途上で、揺れが来た。

(大きい!)

と感じた。

 初期微動が南北に揺れているようで、

(これは、北だな)

と思った。

 東京は、当時も今も、地震は多い。多くは、茨城が震源だった。

 今回もそれだろうと思った。

 しかし、揺れが大きい。しかも長い。

 電線が、風切り音を立てて揺れている。

 私は、「もしも」を思って、道沿いの電信柱から距離を取って、2本の柱のほぼ中間くらいに立った。

 そうして、歩道のフェンスにつかまった。つかまっていなければ立っていられない感じだった。

 脇の邸宅では、庭先に置かれた陶器の金魚鉢で水が波打っていた。

 やがて、2階のベランダの引き戸が開いて、その家の夫人が姿を見せた。

「揺れますね?」

 私は、ゆっさゆっさと音がする様な揺れの中で、夫人に声を掛けた。

 夫人はうなずき返した。

「揺れますね!」

「茨城ですかね?」

 テレビなどで速報を流しているかも知れない。私が尋ねると、夫人は、

「もっと北みたいです。宮城とか」

と返して来た。

 宮城あたりが震源でこの揺れは、相当な規模かも知れなかった。

 家族が留守でどうしたらよいのか分からないという夫人に、

「とにかく、家の中で、安全を確保して!」

と言うと、夫人はベランダから引っ込み引き戸を閉めた。

 なおしばらく、揺れが続いた。

 ただ、ピークは過ぎたと思った。大きな揺れだが、これ以上ひどくはなるまいと考えた。

 予想通りに、揺れは、やがて次第に弱まり、収まった。

 体感では十分くらい続いたように思えたが、実際はもっと短かったかも知れない。

 夫人が再び顔を出した。

「収まりましたね!」

というと、夫人もうなずいた。

「どうも、失礼しました」

と、その家の前を辞して歩き出すと、携帯電話が鳴った。

 妻からだった。

 こちらの状況と、家の状況を情報交換し合う。

 母は、帰宅していた。帰宅して、一休みしていたところに、携帯電話の地震警報が鳴り出し、二人で、家具の少ない寝室に移動していたという。

 鉄道が、都内で止まっているという。

 とりあえず、私は、こちらの心づもりを伝えて、なるべく早く帰宅すると告げ、電話を切った。

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