異世界転生したのに幼女の吸血姫って変じゃない?

ぐまのすけ

第1話 幼女に転生しました

「……えっと、こんにちは?」


 現在の状況がさっぱりわからない俺はひとまず挨拶をしてみる。

 挨拶は基本中の基本だし、ここが本当に異世界でも挨拶なら通用すると思ったからだ。


「「……」」


 しかし目の前の女性からの返事はなく、目を見開いたまま反応すらしない。女性のかたわらで怯えている少女も似たようなものだ。


(あれ? もしかして通じてない?)


 もう一度、今度は日本語だけでなくつたない外国語を何種類か入り混ぜて挨拶をしたけどやっぱり反応はない。しかも少女の顔はさっきより青褪あおざめてるように見えるのは気のせいだと思うよ……うん。


(俺ってすべての言葉がわかるはずなのに話が違わないか?)


 しばらく経っても女性は無言のまま何も語らず、ただジッと俺の顔を見つめているだけ。


(うーん、どうしようか……)


 さすがに困った俺は女性の反対側で同じように固まっている人ならざる生き物たちに挨拶をしてみる。


「あの……こんにちは。俺の言葉はわかりますか?」

『……キサマ、ナニモノダ?』

「あ、通じた!?」


 最初に口を開いたのはドラゴンの姿をした戦士だ。

 血に濡れた戦斧バトルアックスを肩に担ぎ、全身からは青白い炎を吹き出しながら爬虫類特有の縦長の瞳孔どうこうで俺のことを睨みつけてくる。


(もしかして怒ってない? でも俺だって困ってるんだよなぁ……)


 俺の名前は由井恭一よしいきょういち

 三十歳の誕生日に事故から女神様に出会うイベントを経てレインエラと呼ばれる異世界に転生させられたのだ。


『私は女神だよ。キミは死んだけど転生させてあげるね』

「……はい?」


 女神様に転生先や自身の姿、能力なんかを色々質問されたけど、この時の俺は「本当に異世界ってあるんだ!?」という驚きの方が強過ぎてちゃんと話を聞いていなかった。


『キミは魔物で転生先は魔王のお城だよ。頑張ってねー!』

「えっ、ちょっ――!?」


 慌てて女神様にやり直しを要求するも時すでに遅し。

 その結果が今の俺なんだけど……。


(まさか幼女の吸血鬼……吸血姫きゅうけつきに転生って……)


 なんせ俺の見た目は五歳くらいの少女……というより幼女。

 宝石のような深紅の瞳に肩口まで伸びたつややかな銀髪で、口を開けば可愛らしい八重歯が見え隠れしている。


(……しかも素っ裸って……せめてなにか着せてほしかったよ)


 見た目は幼女でも心は三十路のおっさんだ。大勢の見ている中でつるぺたの裸体を晒すのはやっぱり恥ずかしい。


 そしてここは恐らく魔王城にある玉座の間とかそんな感じの場所だ。というのも部屋を見渡すと壁や天井には禍々まがまがしい装飾が施されていて、床には気持ち悪い魔法陣が幾つも描かれている。


 極めつけは悪趣味な玉座で偉そうに座っている骸骨と、その横で控えるように立っている悪魔の姿をした幹部の者たち。


(こいつ絶対にラスボスだよな……ってことは床に倒れてるのは魔王討伐で派遣されたパーティーってところか……)


 見渡せば部屋のあちこちには魔王軍と戦って首や手足を切り落とされたり、胸を貫かれて殺された人間の姿がいくつもあった。


(みんな凄惨せいさんな最後をげてるな……)


 俺はイレギュラーだから今すぐ殺されることはないと思うけど、この状況はかなりマズい気がする。


 内心、ため息を吐きつつ、とりあえず目の前にいる二足歩行のドラゴン戦士に向かって微笑んでおいた。

 もちろん営業スマイルである。


(だって仕方ないじゃん? いきなり転生させられて敵対するのは得策じゃないしな)


 それにしても、これからどうしたものか。

 ゲームやアニメではステータス画面を開いて自分の能力を確認したりすると思うけど、残念なことに異世界レインエラではそんな便利な機能はないらしい。


『オイ! キサマ、ナニモノダッ!』


 さっきより怒った様子のドラゴン戦士。

 そういえば、まだ名前を名乗ってなかったっけ。


「あ、すいません。俺の名前は……どうしようか?」


 ゲームなら本名の由井恭一よしいきょういちからキイチって名付けるんだけど見た目が幼女だし、これから新しい人生を歩むわけだから別の名前がいい。


「えっと、マリア……マリア・ヴァーエストでお願いします」


 ちなみにマリアにした理由は特にないよ。

 いて言うなら女の子っぽい名前にしておけば将来、美少女になれるかなーと思ったからだ。そこにヴァンパイアの英文字をアナグラムしてくっ付けただけ。

 正直、自分でも何を言ってるのかわからないけど、咄嗟とっさにしてはよく浮かんだ方だと思うぞ、うん。


『マリア・ヴァーエスト。キサマモ、マゾクダナ?』

「魔族……ですか?」


 ドラゴン戦士の言うように、確かに吸血姫は人間とは違うよな。

 できれば姿は人間のまま能力だけを爆上げしてもらって異世界を楽しみたかったけど、この際贅沢は言えないか。


(それにしても魔族……つまり俺は魔物ということか)


 確かに体の内側から黒いオーラのような熱いものが溢れてくる感覚がある。これが魔力というものかもしれない。


『キサマモ、マゾクナラバ、ヤツラハテキダ! コロセッ!』


 ドラゴン戦士の視線の先には、俺が声をかけてもピクリとも動かない女性と少女の姿があった。しかもよく見れば女性は男性を抱きかかえている。


「……」


 俺は無言のままゆっくりと近付き二人の側にしゃがみ込むと、抱きかかえられた男性の顔を覗き込む。

 年齢は三十歳前後くらいだろうか。痩せ細っているものの整った顔立ちをしている。見事な純白な鎧の腹部には大きく切り裂かれた跡があり、そこからおびただしい量の血が流れ出てすでに絶命していた。


「これは酷いな……。彼は勇者な――」


 そこまで言いかけたところで女性の姿を見て言葉を詰まらせる。

 俺が話しかけても反応がない意味もわかった。


「喉と耳を潰されてたのか……」


 顔や手足には痛々しい傷跡があり、女性には不自然で大きなかせがはめられている。体はすでにボロボロで、まるで拷問でも受けたような悲惨な状態だった。


『マリア・ヴァーエスト! ニンゲンヲ、コロセッ!』


 ドラゴン戦士の声を背に女性の首に手をかける。

 ビクッと体を震わせると観念したのか小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとまぶたを閉じると最後の時を待っていた。


『マリア・ヴァーエスト! ハヤクシロッ!』

『ニンゲン、コロセ!』

『バラバラニシテ、クッテヤルッ!』


 周囲を見渡せば俺たちを囲むように大勢の異形いぎょうの者たちが『コロセ』と騒いでいる。

 悪趣味な玉座に目をやると、その顔には愉悦ゆえつに満ちた笑みを浮かべ、これから始まる残酷なショーを楽しみにしているようだった。


(はぁ……)


 俺は心の中で大きなため息をつく。

 いくらファンタジー世界とはいえ、別に誰かを傷つけて楽しみたいなんて思っちゃいない。むしろせっかく異世界に転生したんだから平和でのんびり生きていきたいと思ってるのだ。


(やっぱり俺の選択肢はこれだよな)


 女性や少女と目線を合せるように片膝をつくと優しく微笑みかける。

 もちろん営業スマイルだけど今はそれでいい。


(……女神様、お願いしますよ……)


 そのまま静かに目を閉じると俺の意思が伝わったのか、呼応するように小さな手に淡い光が宿り、女性の顔や体に刻まれた傷口がみるみる塞がっていく。


(ふぅ、よかった。ちゃんと回復できたみたいだ)


 女性の体から傷跡が完全に消えたことを確認していると、虚ろだった瞳に少しだけ光が戻る。そして今までピクリとも動かなかった女性の腕が伸びてきてギュッと抱きしめられた。


「……よく頑張ったね」


 俺は安心させるように女性の耳元で優しく呟くと、そっと背中に腕を回して抱きしめ返し頭を撫でる。


「――!」


 女性がなにかを言いたそうに口を開いた瞬間、背後から強烈な殺気を感じて振り返ると戦斧バトルアックスを振り下ろさんとするドラゴン戦士の姿があった。


「危ないっ!」


 俺は咄嗟にドラゴン戦士に向かって手をかざすと、ドラゴン戦士の大きな体が見えない壁に阻まれたかのように弾かれる。


『……マリア・ヴァーエスト。ドウイウ、ツモリダ?』


 ドラゴン戦士は険しい表情で俺を見下ろしているけど、そんなことは気にせず女性と少女をかばうように両手を広げて一歩前にでた。


「この二人は殺させないよ?」

「「――!?」」


 今は幼女の姿をした吸血姫だけど元は人間だしな。

 正直、この姿でなにを言っても信じてもらえるかわからないけど、だからこそ俺は精一杯の笑顔と言葉を二人に向ける。


「必ず助けるから心配しないで」


 そう言ってにっこり笑うと、二人の頬を一筋の涙が伝った。


「「……あ……ありがとう……」」


 弱々しいけど、はっきり聞こえた二人からの感謝の言葉。

 その言葉を聞けただけで十分だ。


『マリア・ヴァーエスト。ワレラニ、サカラウカ?』

「逆らうもなにも、お前たちに従うつもりなんて最初からないよ?」

『ッ!?』


 そう答えると俺たちを囲んでいた大勢の異形の者たちが一斉に襲いかかってきた。

 ゴブリンやオークといった定番の魔物と違って、それぞれが個々に強大な力を持つ精鋭の魔族たち。魔王討伐のために派遣されたパーティーを全滅させるほどの力が、たった一人の幼女――俺に牙を向ける。


(でも恐怖は感じないんだよね)


 俺は慌てることなく右手を前に突き出すと頭に浮かんだ魔法を唱える。


「<血の牢獄ブラッドプリズン>」


 すると目の前に直径五メートルほどの大きな赤い球体が現れ、それが一瞬にして広がるとあっと言う間に異形の者たちを飲み込んでしまう。


『グゥオォッッッ!』

『ギャアァッ!』


 次々と断末魔の悲鳴を上げる異形の者たち。

 血の牢獄とは読んで字のごとく血でできた檻であり、捕らえた者の体中の血液が沸騰し内側から肉が溶けていく極悪な仕組みらしい。

 中には必死にもがき苦しむ者もいるけど、この檻からは逃れることができず事切れていく。


(うわぁ……ひでぇ……)


 自分で使っておきながら思わずドン引きしてしまった。

 それは魔王軍の精鋭たちも同じで、血の牢獄から聞こえる苦痛に満ちた絶叫に顔をしかめて後退あとずさりしている。


『……キサマ、ナニモノダッ!』


 ドラゴン戦士が苛立った様子で俺を睨みつける。


「さっき言ったじゃん。俺の名前はマリア……マリア・ヴァーエストだよ」

『クッ、バケモノメェッ! コロシテヤルッ!』


 ドラゴン戦士が声を荒げて斬りかかってくると、それに呼応するかのように周りにいた異形の者たちも襲いかかってくる。


(はぁ……こんなに可愛い美少女……美幼女に向かってお前がバケモノとか言うなよな。少しは気にしてるんだから泣くぞ?)


 心の中でツッコミを入れつつ、迫りくる攻撃をかわして反撃していく。

 大剣を振りかぶったオーガの攻撃を軽く避けると魔力を込めた拳で胸を貫いた。そのまま体を回転させて巨大な斧を持つミノタウロスに手刀を振り下ろすと、そこから真っ赤な血の斬撃が発生し、胴体を真っ二つに切り裂く。


『アガァァーーッ!』

『グギャッ!』


 俺と刃を交えた異形の者は悲鳴を上げながら絶命していくけど、いくら倒しても次から次に襲いかかってくる。さすが魔王城だけあって兵力が多くこのままではキリがない。


(さすがに面倒になってきたな)


 ため息をつきながら右手を空に向けてかざすと、すでに絶命した異形の者たちの血液が集まり始める。そして徐々に大きな塊になると、それに魔力を込めて魔法を唱えた。


「我が敵を滅せよ、<血に飢えし者ブラッディスレイヤー>」


 俺の言葉と共に現れたのは大きな赤色をした半透明のゼリー状の物体だった。大きさは直径三メートルくらいあり、半透明の中には先ほど俺が倒した異形の者たちの血や魂が込められている。


(これってどう見ても血でできたスライムだよね?)


 ゆっくりと脈動みゃくどうするゼリー状のスライムに触れてみると、ひんやりとした感触と共に小さくプルンと揺れる。


「よしっ、いけ!」


 命令を出すとスライムは触手を伸ばしながら異形の者たちに向かって襲いかかる。<血の牢獄ブラッドプリズン>と違い意思を持つスライムは逃げる異形の者たちを次々と飲み込んで消化していった。


『グアァァッ!』

『ウギャァァーーッ!』


 それは一方的な殺戮さつりく

 ゼリー状の表面は柔らかく見えるけど異形の者たちの攻撃を軽々と弾き返し、そのまま体内に取り込んでしまう。そして溶かして吸収すると新たな獲物を求めて動き出す、まさに血に飢えたスライムだ。


「ふぅ……これで全部かな?」


 あれだけいた異形の者たちを倒し終えると、もう立っている者はいなかった。


『マリア・ヴァーエスト! コロスッ!』


 ドラゴン戦士が口から巨大な炎の塊を吐き出して攻撃してくる。

 俺は避けることもなく右手で掴むとそのまま握り潰した。


『オノレェェッ!』


 怒りに任せて突撃してきたドラゴン戦士の戦斧バトルアックスを受け止めると、すかさず蹴りを叩き込む。そして怯んだ隙を突いて喉元に手刀を突き刺した。


『ガッ……』


 白目を剥いて崩れ落ちるドラゴン戦士。


「っ!?」


 そこへ俺の背後から黒い炎が飛んでくるとドラゴン戦士の体を燃やし尽くして消えてしまった。


われが直々に相手をしてやろう』

「……」


 俺は振り返って玉座で偉そうに座っていた骸骨魔王に視線を向ける。

 くぼんだ眼窩がんかの奥に光る瞳には明確な殺意と敵意を宿し、俺のことを敵だと認識したようだ。


『ふっ……いくぞ?』


 声が響くと同時に骸骨魔王が手にしていた金色の杖の先端を俺に向けて魔法を放つ。


「うおっ!?」


 その瞬間、凄まじい魔力の衝撃を受けて吹き飛ばされそうになった。俺の周りを見れば床には幾つもの切り裂かれた跡があり、骸骨魔王の強さを証明している。


「さすがにドラゴン戦士よりは強いな」

『ほう……我が魔法に耐えるとは』


 骸骨魔王は不敵に笑いながらも驚きの色を隠しきれていない。おそらく全力ではないにしても本気で放った一撃だったのだろう。


(びっくりしたけど大丈夫っぽい? 俺ってかなり頑丈なのかも)

『ならばこれでどうだ?』


 俺にダメージがないと知って、再び杖を構えて放たれたのは先ほどよりも強力な魔法だ。

 それでも俺は同じように防ぐと、骸骨魔王は焦り出したのか今度は部屋全体を覆うような雷光を帯びた巨大な火球が現れる。直撃すれば横に居並ぶ幹部クラスであっても間違いなく即死だろう。


(さすがにこれはマズいか?)


 視界の端では女性と少女が口をポカンと開けたまま成り行きを見守っている。さすがにこの魔法が直撃すれば二人も巻き添えで死んでしまう。


「<血の盾ブラッドシールド>」


 二人を包み込むように現れたのは半透明のドーム状の壁。


(これで二人は大丈夫だな)


 ちなみに俺自身は平気だと思う……たぶん。

 真剣な表情に変わった俺の顔を見て、余裕を取り戻したのか骸骨魔王がにやりと笑いながら俺に声をかけてくる。


『……貴様に問おう。我の配下になる気はないか? 貴様の強さはずば抜けていて殺すのは惜しい。我と共にくるなら世界の半分を貴様にやろう』

「……」


 どっかの魔王と同じセリフが聞けるとは思わなかった。

 思わず世界の半分がもらえるなら、骸骨魔王の手下も……とは考えずにちゃんと断ったぞ?

 ほしくなったら自分で頑張るしな。


「遠慮しとくよ。俺はのんびりしたいんだ」

『……そうか、残念だ。ならば死ね!』


 刹那、巨大な火球を落下させる。


「ちょっ――!?」


 轟音と共に迫りくる稲妻を帯びた巨大な火球を両手で受け止めると、そのまま真上に蹴り飛ばしてやる。

 すると火球は魔王城を揺るがすような大爆発を引き起こし、その爆風と衝撃によって天井は崩れ去った。


「おー、やっと外が見えたな」


 玉座の間は完全に崩壊したけど二人は無事だ。

 骸骨魔王は信じられないものを見たかのように驚愕している。


『……貴様……まさか……』

「もう、終わりでいいよ」


 俺は拳に魔力を込めて骸骨魔王の顔面に叩き付けると、奴の頭は粉々に吹き飛ぶ。そのまま振り抜いた拳を手刀に変えて、骸骨魔王を一刀両断にすると黒い霧となって消えていった。


「さぁ、次は誰が相手してくれるんだ?」


 そう幹部たちに問いかけるも答える者は誰もいない。

 それどころか怯えるように後退りする者もいる。


(俺の方が魔王みたいで調子狂うな……。まぁ、全員戦意喪失してそうだし終わりにするか)


 改めて幹部たちを見渡すけど、これ以上の戦闘は無用だと判断してこの場にいる全員に告げる。


「……えっと、お邪魔しました」


 呆気にとられている幹部たちにペコリとお辞儀をすると、女性と少女の手を取って最後の魔法を唱えた。


「<空間転移テレポート>」



 ☆☆☆



 気が付けば俺たち三人は草原の上に立っていた。

 見上げれば青い空と白い雲が広がり、風に乗って草花の匂いも漂ってくる。


「ふぅ、疲れた……」


 大きく息を吐き出すと、俺は柔らかな芝生の上に座り込んだ。

 隣を見れば女性は恐怖から解放されて緊張の糸が切れたのか気を失って倒れている。呼吸も脈拍も正常だから大丈夫だろう。


 少女の方はペタリと座り込んだまま、両脚の間から液体が漏れ出し地面に水溜りを作っていた。時折、ツンとしたアンモニア臭が鼻を突く。


「えっと、大丈夫?」

「……うん」


 俺の言葉に頬を染めて小さくうなずく少女。

 ここは大人の対応としてツッコまないでおくのが正解だな。


「名前を聞いてもいい?」

「……イアン……イアン・アークレイリ……」


 この状況に戸惑いながらも小さな声で答えてくれる少女。

 まだ少し怯えているのは俺が何者かわからないから不安なのだろう。


「イアンさん、ここがどこだかわかる?」


 出来るだけ優しく尋ねるとイアンと名乗った少女は周囲を見渡すと小さく頷いた。


「……たぶん、コリンの森だと思う。あと私のことはイアンでいい……です」


 イアンさ……イアンはそう言うとジッと俺の顔を見つめている。何か言いたげな表情を浮かべる少女に首をかしげると、意を決したように口を開いた。


「……忘れて……ください」


 消え入りそうな声で言うと恥ずかしいのか顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 少女の言葉を聞いて一瞬、理解できなかったけど両脚をギュッと閉じてなにかを隠そうとしている姿を見てピンときた。


「……お願いだから……忘れて……」


 どうやら失禁してしまったことが余程ショックだったらしい。

 まぁ、あんな怖い思いをしたら誰だって漏らしても仕方ないよな。

 

「ぷっ、くくっ……あははは!」


 イアンのそんな姿に我慢できなくなって笑い声を上げてしまった。

 瞳に涙を浮かべて抗議をしているけどそんなイアンも可愛らしい。


「……マリアちゃん、嫌い!」


 頬を染めてそっぽを向くイアンの顔には笑顔が見えた。

 ついさっきまで感じていた殺伐とした空気はどこにもない。


(……まぁ、いっか)


 俺は青空に向かって大きく背伸びをして芝生に横になる。

 そしてただ穏やかな時間だけが過ぎていった。

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