第8話 さ か ず き
鶴組、亀組など各組ごとに棟梁がいて、組ごとに仕事をするという、これまでにないやり方に初めはぎごちなかった普請現場も,日を追うごとに慣れ、いっそ楽しそうに仕事に励む人足達の姿が見られるようになった。
“小僧蕎麦”もシジミの季節は終わったが。今度は野菜の棒手降りが売れ残りを持ち込むようになり、ついにシゲは天麩羅に挑戦すると言い出した。
とはいえ、魚や海老など高価な天麩羅ではない。野菜くずや出汁こぶの残りで作る掻揚げ天だ。
自分たちの取り分から少しづつ出し合って、油と粉を買うというので、喜市や観音屋の若い衆も幾らか銭を出してやった。
「食ってみたらよ。牛蒡と芋の天麩羅が旨えのよ。海老にも負けねえぜ」
と、シゲは胸を張った。
蕎麦八文に天麩羅五文。それでも十六文の夜泣き蕎麦よりも安い。
今日も八つ半(午後三時)には売り切って、シゲ達が引き揚げたのと入れ替わりに、目つきのよくない連中が五・六人やってきた。
ちょうど休憩に入ろうとした亀の親父さんを見つけた連中、さっそく取り囲み、
「やい亀、これまで高え給金ではたらかせてやったのを忘れたのか」
「手慣れた奴ばかり引っこ抜きやがって、喜の字組だあ?ふざけるな」
匕首でも呑んでいるのか。懐に手を入れている奴、後ろ帯に鳶口を挟んでいる奴もいる。
亀の親父さんも青ざめて、俯いた。
「大変だ、棟梁が絡まれてる。」
「小桜組の連中だ」
ただならぬ険悪な雰囲気に、近所の店も半分戸を閉めたり、暖簾の隙間からおっかなびっくりのぞいたり、気の早い店からは番屋へ人が走ったりした。
と、堀の中から声がした。
「静かにしねえか。ご近所迷惑だ」
喜市だった。梯子を使って堀からあがってくると、源兄いに頷いて見せてから、亀の親父さんを庇って、小桜組のお兄いさんたちに向き合った。
「小桜組の親方さんにゃ確かご挨拶いたしましたよね。そう、赤不動の寅蔵親分も御一緒でしたが・・」
「あんときゃお前えらが人足の引き抜きをしようたあ、思わなかったんでえ」
「手慣れた野郎ばっかり引き抜きやがって、まったくカスしか残ってねえ」
喜市はにこっと笑った。
「そう言やぁ小桜組さんも普請を請け負われたんでしたっけ。けど、亀の親父っさんや、平さん、鶴の兄いや京太兄い、それに七郎兄貴のことなら、引き抜きじゃござんせん」
と後ろに合図する。待っていた源兄いが五人に法被を配る。法被を羽織るのを待って、
「ご覧のとおり、五人はうちの・・観音屋の身内になりやしたんで。つまり、雇われる側から雇う側になってくださった、ということでござんす。文句がおありなら、赤不動の親分さんともご相談の上、出直してくだせえ」
ぐいっと一歩前へ出た。五人の棟梁を含む観音屋の若い衆が同じく一歩前に出る。
恐る恐る覗き見していた近所の店の女衆が、あの迫力と目力には惚れ惚れしたと騒いだほど、その啖呵は見事だった。
やくざ渡世で生きている者にとって、身内というのがどういうものか、身に染みて知っている。身内は家族と同様、傷つけられたりすれば、大騒動になりかねないのだ。
そこへ、番屋で知らせを聞いたのだろう、定周りの同心が十手持ちを連れて小走りにやってきた。
「どうした喜市、喧嘩か?」
同心は気安く呼びかける。
「とんでもございやせん、井上の旦那。小桜組の皆さんが、激励に来てくださったんで」
「ふーん」
井上同心にじろじろ見られて、小桜組の面々はお得意の捨て台詞も言えないまま消えた。
「ささっ、旦那方はこちらへ」
と源兄いが同心と十手持ちを奥へ誘うと、喜市は五人衆の前に頭を下げた。
「みな、勝手に観音屋の身内にしてしまって申し訳ねえ。こうするのが一番角が立たねえだろうって。法被、用意してたんだ。このまま観音屋の身内になってもいいってんなら、改めて兄貴から盃を渡すが、気に入らねえってんなら、盃は返したってことで・・」
すると、野面積みの平さんが口を挟んだ。
「俺ゃあ観音屋の身内にはなりたくねえな」
と、法被を脱いだ。俺も、おいらもと五人がみな法被を脱ぐ。
そうか・・と脱いだ法被を受け取りながら喜市がしょんぼりすると、蛇籠の七郎がどんと肩をぶつけてきた。すると残る四人も肩やら腰やらをぶつけてくる。
「俺たちゃな、喜の字組の喜市っちゃんから盃が貰いてえのよ」
そう囁いて杭打ちの京太が喜市の頭をぽんと叩くと引き上げていった、
源兄いが振り向くと、喜市は赤い手拭を握りしめて天を仰いでいた、そして、手拭で鼻をしゅんとすすって、しばらく動かなかった。
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