野球を愛し野球に愛されし者、野球のない異世界に降り立つ。
おとのり
第1話
男の名は中村悠二。17歳。この物語の主人公である。
平凡な家庭に生まれた長男。
長男なのに悠二? と、思ったことだろう。
それには、母方の祖父の影響があった。
祖父は、野球大好き人間。そして、祖父の時代でもすでに伝説級の存在でありながら、世界で一番有名であろう次男なのに『一』の文字を授かった人物を崇拝していた。叶うならば、自分に次男が生まれた時にもあやかりたいと思っていたのだが、女の子しか授かることはなかった。
そこで次に目を付けたのが孫である。
しかし、娘夫婦に次男が生まれるとは限らない。ならば、次男にイチロウと名付ける夢は一旦保留し、長男にジロウと名前を付けるのはどうだろうかと目を輝かせながら彼の両親を説得したのである。
むろん、即座に却下されたのだが、あまりの落胆ぶりにジロウは諦めてもらう代わり、名前に『二』の文字が加えられることになったのだ。
それから時は経ち、悠二は祖父の影響もあって野球に打ち込んでいた。
祖父の言葉は「世界で通用する二刀流になれ! そのために名前に『二』の文字が刻まれているんだからな」だった。完全に後付けである。
ピッチャーとしても一流、バッターとして一流。
時代が違えばプロを舐めるなと批判されたものだが、実際にメジャーで通用する人間が、しかも、同じ日本人の中から登場してしまったとあれば話も変わる。
幸い、悠二も体格に恵まれ、運動能力も野球センスも抜群であった。
しかも、利き腕の右で投げれば最速で160キロに迫るだけでなく、左で投げても150キロを超えるというのだから呆れたものだ。しかも、どちらで投げても今すぐプロで通用すると言われるコントロールの良さまで兼ね備えている。
更に、バッティングでも非凡な才能を見せた。
むしろ、指導者の間ではバッティングのセンスの方が優れているとまで言われるほどなのだ。ちなみに、スイッチバッターでもあるのだが、試合では左打席にしか立つことはない。極稀に右打席に立つこともあるのだが、これは余程相手ピッチャーが左打者に強く、且つ、チャンスで打順が回って来た時に限られた。
何もかもが規格外の彼のことを面白がってメディアは取り上げ、スイッチピッチャー×スイッチバッターであることから、四刀流と称されるまでになっていた。
ただ、そんな彼も成績には恵まれなかった。
日本選抜に入ることはあっても、個人の能力だけで勝ち続けることができるほど、野球というスポーツも甘くない。
彼がどれだけ優れたピッチングで抑えても、球数制限というルールが存在する。そして、バッティングの方は、もっとあからさまな理由がある。
敬遠というルールが公式に認められている点だ。
しかし、それで彼が腐ることはなかった。
彼の目標は、プロで一流の選手になることだからだ。周囲も、彼がそうなることを期待していた。
だからこそ、日夜練習に打ち込めた。
……の、だが。
「どこだ、ここ?」
ブラックアウトしていた意識が徐々にぼんやりと覚醒し、悠二は目を覚ます。
森の中にぽっかり空いた場所で、ひとり横たわっていた。
「あの世にしては、あんまり変化ないな。これじゃあ、天国なのか地獄なのかもわかりゃしないぞ?」
自分が死んだという感覚はあった。
家の近くの歩行者信号。
隣には小さな女の子も信号が変わるのを待っていた。
横断歩道の反対側には、少女の母親が手を振って帰りを待っていた。
悠二はスマホに送ってもらった自分の投球フォームをチェックしながら、ぶんぶんと手を振っている少女を横目でチラリと見て頬が緩んだのも覚えている。
信号が青に変わった直後、少女は母親に駆け寄ろうと一目散に飛び出した。
咄嗟に悠二も飛び出した。
車道用の信号は完全に赤に変わっていたというのに、止まる気配のない車の影が、スマホに視線が向きながらだったにもかかわらず、彼の優れた視野の広さで確認できてしまったからだった。
少女を抱きかかえた刹那、ドンと衝撃を受けた。
そして、そのまま意識は消えていった……はずだった。
「そういえば、何か色々説明された気がする? なんだっけ?」
何か大事なことを告げられた気がしたが、人の話はあまり聞かないタイプ。天才肌であるが故に、感覚的に何でもやれてしまっていた。それは、スポーツに限らず、勉強でも似たようなもので、授業中眠気に耐えてボンヤリしていることが多い割には成績も優秀であった。
とにかく、死んだはずなのに、生きてるっぽい。そして、ぽっかり開けた森の上空に異形の存在を確認した直後、自分の知らない世界で目を覚ましたことを直感で理解した。
「あれって、ドラゴンだよな?」
野球バカと称される彼でも、さすがに知っているファンタジー生物のド定番。
鱗で覆われた巨大なトカゲが翼を広げて飛んでいるのだ。さすがの彼も、クラスの友人が話していた異世界転生という言葉を思い浮かべるのに時間がかからなかった。
「さっきまで話してた相手って、アレか」
神の使いである竜神王と呼ばれる存在であると丁寧に説明してもらったことなど、忘れてしまっている。
そもそも、その説明を受けている時、どうやってしゃべってるんだろう? とか、良い筋肉してるなあとか、こういうの相手にした時って、ストライクゾーンどうなるんだろう? とか、どうでもいいことばかり考えていたからである。
故に、この世界にやってきた理由も、異世界のルールも頭に入っていない。悪いことに、悠二は野球の練習に明け暮れていたせいで、漫画(スポーツ漫画以外)やラノベ系の知識も少なければ、ゲームの知識もほとんどなかった。
地球と違い、危険な魔物が存在し、剣と魔法に頼って生き抜かなければならないこと。魔物を倒すことで体内に神素――RPGゲームでいうところの経験値――を取り込み、神素が一定量貯まると肉体がレベルアップし、この世界で生き抜く能力が向上したり新たに手に入れたりできること。といったお約束もわかったフリで誤魔化していた。
それでも、練習は裏切らないって感じでいいのかな? と、本能的な部分は理解していることだけが救いだろう。
こうして、彼の異世界生活は始まった。
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