幽霊の推し活

花見川港

第1話

 四角い枠から溢れ出るキラキラ。輝きの洪水が世界を塗り替え、彼女は高揚に乗って腕を振り上げる。


「あああああああ! もうさいこぉおおおアンくぅううううううん!!」


「やかましいこの浮遊霊!」


「きゃあ! ちょっと何すっ、ちょ、消臭剤かけないでよこのバカ地縛霊!」


 真っ暗な部屋の中、テレビだけを点けて二人の男女が言い争う。


 ベッドの上ではもう一人が頭に枕を被せて喧騒から逃れようと耳を塞ぎ、うぅと魘されている。この人間が越してきてから三ヶ月。もう保たないだろう。毎日深夜になると勝手にテレビがつき、録画した覚えもないアイドルライブの映像が流れ、それだけならともかく、食器は割れるわ、襖に穴が開くわ、自分は何も言っていないのに隣人からは女の声がうるさいと苦情が入る。家賃の安さに負けて事故物件を選んでしまったことに後悔していた。


 そんな住人の状態などよそに二人は、住人の上で声を上げる。


「もう邪魔しないでよ。今いいところなんだから」


「お前それもう何度も見てるだろ。いい加減にしろよ。ここ俺ん家・・・だぞ」


「あらダメよ。だってテレビを持ってる知り合いあんたしかいないんだから」


「いや、お前ならどこだって入り放題だろうが」


 地縛霊の不満など聞き飽きたと言わんばかりに浮遊霊は再び画面に映る茶髪のアイドルに釘付けになる。


 地縛霊は慣れたようにため息をつき、住人の所有物であるノートパソコンを起動させる。すると浮遊霊が犬のように肩に飛び付いてきた。


「あ! アンくんのえすえぬえす見せて!」


 鬱陶しいと思いつつも地縛霊は望み通りにする。彼女はパソコンの操作は苦手なので、しばし地縛霊が代わりの手になるのだ。


 五人組のアイドルグループの一人、吉沢アン。通称「アンくん」。


 グループの中で一番の長身で、立ち位置的には端っこにいる存在。リーダーと比べると地味ではあるが、穏やかで優しいお兄さん的なキャラクター性で多くのファンの心を掴んでいる。


「あ、今のつぶやき・・・・にりぷらいして!」


 この浮遊霊もその一人なわけだが。


 出演する新ドラマの宣伝に「とても楽しみにしています!」と返信する。気をつけないと文字化けするので慎重に。


「あ、らいぶもまたやるのね」


 絶対行きます、というファンのコメントを見て「いいなあ」と羨ましそうにする。


「というか、そんなに好きならライブでもなんでも会いに行けばいいだろ。お前にはそれができるんだし」


「あらダメよ。らいぶはきちんとちけっとを買わないと」


 残念ながら現世の金を所持していない彼女は、いくらグッズが欲しくても、いくら遠征に行きたくてもできないのである。御布施・・・資金がない代わりに、彼女はこまめにSNSなどを通して感想などを伝えることを欠かさない。


「それに……アンくんの素敵なきらきら笑顔を直に見ちゃったら成仏しちゃうっ!」


 頬を両手で包み、体をくねらせる浮遊霊を心底気持ち悪いというような目で見る地縛霊。


「そのまま成仏しちまえよ」


「なんですって!」


 ぼかっと背中を叩かれる。


「アンくんのあいどる人生を見届けるまでできるわけないでしょ!」


「あー、そうですか」


 いつものことだ。


 過去のつぶやきをスクロールで遡っていると、浮遊霊の気配が尖った。真っ黒な目を見開いて画面を凝視し、彼女の髪が蛇のようにうねる。


「この女、すとーかーだわ」


 ええ、またかよ。と地縛霊は思った。


 浮遊霊は地縛霊を促して、あるアカウントのプロフィール画面を表示させる。そこから過去の発言を遡る。


 こうしてアンくんのストーカーを発見するのは初めてではない。「アンくん愛」とやらで発揮される女のカンとやらは鋭く、アンくん本人が気づく前に彼女が対処することも多い。


 おどろおどろしい陰気を纏い、「ちょっと行ってくるわ」と残してその場から消える。




 彼の家に向かう途中に彼がよく行くコーヒーショップに立ち寄る。彼の好きなコーヒーを買って、ついでおすすめのケーキも買う。


 喜んでくれるといいな。今日は早く帰ってくるかしら。いなかったらどうしよう。少し寒いけどマンションの前で待つしかないわね。今度合鍵を作らなくちゃ。


 エントランスの自動ドアのところで中から出てくる住人とすれ違いざまに挨拶しながらオートロックをすり抜ける。


 エレベーターで上に向かい、彼の部屋へ向かうと、女が立っていた。


 誰?


 愛しい人の家で立ち尽くしている女を見て顔を顰める。


 学生? こんな時間に何しているのかしら。邪魔ね。


 女を学生だと思ったのは、卒業式で見るような袴姿だったから。だがよく考えると、卒業式にはまだ早い。


 しかしそんなことよりも、彼の家の前に女がいることの方が問題だ。


「ちょっとあなた!」


 水色のマニキュアを塗ってきた手で女の肩を掴む。


 ぞっとするほど冷たかった。


 女がゆっくり振り返る。視界が点滅する。


 照明が消えかかっていた。


 ごふりと、女が口から血を吐き出した。顎から滴り落ちて、着物を汚す。目元からも赤い涙があふれ出し、足元に真っ赤な水溜まりが広がっていく。


 呆然としていたらヒールのつま先が水溜まりに触れそうになって慌てて後ろに下がる。


「あ、あなたっ」


 きひっと女が笑う。血を流しながら、女は手を伸ばす。


 手首を掴まれて、どうしてと驚いた。女の手はまだ届いていないのにと見下ろすと、蛇が腕に巻き付いていた。


 叫ぶ。


 腕を振り回して、手に持っていた紙袋も投げ出して蛇を振り払うとエレベーターに向かって駆け出した。


 逃げないと逃げないと逃げないと!


 下表示のボタンに何度も人差し指を叩きつけて、開いた先に身を乗り出す。


「え!?」


 慌てて出入り口の縁を掴んで落ちるのを防いだ。エレベーターの中身が来ておらず、がらんどうの空間。吹き抜ける風に髪を煽られる。何も見えない不気味な穴の底では何かが蠢いているような気がした。


 身を引こうとすると上腕を掴まれて抑え込まれ、耳元で笑い声がする。


「ひっ——」


「ん?」


 エレベーターで上がってきた男は、開いたところに落ちている女物のカバンを見て首を傾げた。




 地縛霊の家は人の出入りが激しい。2LDKのそれなりに広い間取りの格安物件っということで何人かの若者がよく来るが、長くて半年も経たないうちに出て行ってしまう。地縛霊としては人がいようがいまいがどちらでもいいのだが、住人がいないとテレビもないので浮遊霊が不貞腐れて面倒になる。


 なんで私は円盤を買うお金もないのかしら、とぶつぶつ窓辺でうずくまる彼女に朗報を伝える。


「今度新しいのが来るぞ」


「ほんと?」


 出て行くのは早いが、入るのも早いのがこの家の良いところ。


「ちゃんと録画できるてれびだといいのだけど」


 と言っているうちに鍵が回る音がした。


 なんらかの理由で最初から姿が見えたりすると逃げられるので、二人は気配を薄くする。


 入ってきた新たな住人は、帽子にメガネ、マスクまでしていた。


 顔を隠した姿になぜか既視感があると訝しげにする地縛霊の横で浮遊霊はわなわなと震える。


「あ、あ、あ、あ——」


 男が帽子とメガネとマスクを外すと。


「アンくぅうううん!?」


 浮遊霊は天井に頭を突っ込み、「マジかよ」と地縛霊は項垂れる。


 突然割れた窓ガラスにアンくんはきょとんと首を傾げた。

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幽霊の推し活 花見川港 @hanamigawaminato

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