『歌舞伎町の犬』
石燕の筆(影絵草子)
第1話 『岬と勘九郎』
『岬と勘九郎』
ドン!という音を立てて、歌舞伎町の路上で男が倒れる。
誰一人男を介抱しようとする者はいない。
冷たいアスファルトのざらついた感触が男の頬に当たる。
すると、一人の少女が近づいていく。
『おじさん、いっせんまんであたしにかわれてよ』 そう言った気がしたが男の意識は途切れた。 気づくとちんけなバラック小屋の中にいた。 『おめざめ?』 そう言われたのと同時に、おにぎりをひとつ放るように渡された。 賞味期限はとっくに過ぎていたが、 美味しそうに少女は、頬張る。
夢中で自分も空っぽの胃袋におにぎりを詰め込んだ。 もう1ヶ月ぶりの食事だ。 最後の食事は、万引きしたパンだった。 男は、札付きだった。 莫大な借金を抱えていた。 名を、勘九郎と呼ぶ。 しかし、自分を買ったという少女は歳が離れた自分に、 『おじさん』と呼んだ。
それは、バカにするようでもあり、 どこか物珍しいものを見るように、 少女の汚れなき瞳が自分をまっすぐ見つめる。 ただし、その眼差しは、 尊敬じゃない。 次の瞬間に、それがわかった。 やがて、呼び名が、 『おじさん』から『ポチ』に変わったのだ。 少女は、ビールを飲むかと
自分に、顎をくいくいしながら聞いてくる。 『まったく育ちの悪いガキだ』 そう思ったが、なぜか逆らえず、 『へい、おじょうちゃん』 と言うと少女は、少し得意気に、 『おじょうちゃんじゃねえべさ、あたしはれでぇーだよ』 とへたくそな英語を言いながら勘九郎をキッとにらんだ。
『歌舞伎町の犬』 石燕の筆(影絵草子) @masingan
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