夕暮れ、先輩との放課後

助兵衛

第1話 先輩、黄昏れる

夕暮れ。


西の空が哀愁漂う茜色に染まり、校庭では新世代を迎えた野球部の声が響く。


暦の上ではとっくに冬は終わりを迎えたと言うのに、中途半端に開く窓から吹き込む風は冷たい。


「……」


一際強い風が吹いて先輩の長い髪が揺れる。

腰まである黒髪は手入れが行き届いていて、俺が窓を閉めると髪はピタリ……と元の肩に収まった。

一切乱れていない髪先を、先輩は指で弄んでいる。


「日が沈むとまだ寒い」


「今年は大寒波でしたから、名残かもしれませんね」


先輩は所有者がとっくに下校したのを良い事に、隣の机に腰掛けて俺を少しだけ見下ろす。


「寒波なんて言うけれど、この辺りじゃ結局雪なんて降らなかったじゃないか」


「雪が降らない方が寒いそうですよ? 放射冷却ってやつで」


「へぇ、君は相変わらず物知りだね」


「まぁ、この前テストに出ましたし……と言うかそろそろ帰りませんか? 」


俺も、先輩も部活等には所属していない。

委員会や先生の手伝いなんかで残っている殊勝な生徒という訳でも無かった。


ただ、放課後、2人で過ごしている。


教室を出ていく最後の同級生らを見送り、もう1時間が過ぎようとしていた。


先輩はポツリ、ポツリと独り言とも取れる言葉を発し、俺はそれに答えたり答えなかったり。

答えないでいると、先輩は1分くらいしてまた同じ言葉を、今度はこっちを見ながら繰り返す。

多分独り言では無いんだとは思うけれど。


じゃあ普通に話しかけてくれればいいのに。


「僕はまだ、下校って気分じゃないな」


「そんな事言って……俺達もう3年生です。受験勉強だって、真面目な人はもう始めてますよ」


「君は青春を、人生で1度きりの青春を謳歌しようとは思わないのかい? こうやって、君と過ごせる日々も限りあるのにさ」


「勉強を頑張るのだって、十分青春だと思いませんか? 」


先輩は可愛らしく、む、と唇を曲げる。

こういう何気ない仕草に、少しだけドキリとしてしまう自分が嫌だった。


「後輩のクセに生意気だ。じゃあ何かい? 君は勉強だけで高校生活を終えたって良いと言うのかい? 」


「先輩……」


「もう少し、僕と一緒に放課後を楽しもうじゃないか。別に夜通し語り合おうって言う訳じゃないんだ、駅前に新しいカフェが出来ただろう? 君さえ良ければ」


「先輩」


「もう、なんだい? 」


何故か、ちょっとだけ頬を赤くしながら話し始めた先輩を遮った。

不満げに、また可愛らしくこちらを睨むが、気にしない。


「そんなんだから留年するんですよ」


「……」


「先輩の場合、1度きりのだけどちょっと長い高校生活送ってるじゃないですか」


「……」


「先輩、今度こそ頑張って卒業しましょう。同級生の卒業式に、在校生として出るのはもう嫌でしょう? 普通に何食わぬ顔で送り出してた時はコイツまじかって思いましたけど」


「……まだ1年あるじゃないか」


「先輩は普段のテスト、提出物、出席日数、授業態度、その他諸々の内申点で留年になったんですよ」


先輩はぷん! とそっぽを向く。

駄目だ、現実はそんな事したって迫ってくる。


「先生が用意してくれたお情けの卒業テスト……あれ、先輩赤点でしたよね」


「……意外と難しくてね」


「途中で先輩寝たってお聞きしましたよ」


難易度を大幅に落とした、留年候補者を対象とする卒業テスト。

学校創立以来の留年者を出すまいと必死になった教師陣の努力虚しく、先輩はテスト中に爆睡こいてしまったらしい。


学校で知らない人はいない有名な話だ。


「テスト勉強を……頑張りすぎてね」


「前日、深夜までゲームしてましたよね」


「……」


「俺と」


ランクマッチのシーズン最終日だから、と先輩に頼まれてゲームを一緒になってしていたのは他ならぬ俺だ。


朝日が昇る直前の、通話越しの先輩の絶叫は今も耳を離れないでいる。


「と、止めてくれない君が悪い」


「いや流石に卒業テスト前日とは思いませんよ。と言うか留年直前とか知りませんでしたよ」


ここまで言うと、不遜な先輩といえど流石にしょげてしまった。


ただし、雰囲気はミステリアスなままだ。


物憂げに夕焼けを見詰め、諦めた様な笑みを浮かべる。


「いや諦めないでください」


「ねぇ、君に同級生が卒業していく悲しみが分かるかい? 」


「先輩とおんなじクラスになる動揺も理解して下さいよ。めちゃくちゃびっくりしましたよ、サプラーイズ、じゃないですよ。あんなプラカード何処に売ってるんですか」


「ドンキ……」


しゅん、とした先輩を放って立ち上がる。

慌てた様子で、先輩は俺の袖を握った。


「も、もう帰るのかい? 」


「そりゃあ……もう結構こうしてダラダラしていますから。部活も無いですし、そろそろ先生とかが見たら怒ってくるかもしれません」


「大丈夫さ、僕は教師陣からは腫れ物のように扱われているからね」


「恥を知ってください」


その後も、あーだこーだと屁理屈をコネて帰ろうとしない先輩。

何度か教師は廊下を歩いていたが、先輩の顔を見ると足早に立ち去って行ってしまった。


「はぁ、先輩、分かりました。じゃあ帰りにコンビニでも寄りましょう、何か奢りますから」


「全く…….僕が買い食いなんかに釣られる安上がりな女だと思うのかい」


「はい」


先輩は奢る、と俺が口に出した瞬間から荷物を纏めて帰る準備を万端にしてしまった。


正直、最後の手段だったが帰って勉強もしたいし、あんまり遅くなると家族も心配する。


「先輩、何食べたいですか? 」


「セブンのファミチキ! 」

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