髪留めをステージで。
一天草莽
01 梅雨のころ
心の底から嫌っているというわけではないけれど、特にこれといった理由もなく「なんとなく気に食わないなぁ」程度のことを思わずにはいられない人間、いわゆる因縁の相手というものがある。
よほどの善人か、あるいは善人ばかりに囲まれた素晴らしい環境で生きている人でもない限り、そういう奴って誰でも一人くらいはいるだろう。
高校二年生になった私にとってのそれは、おそらく向こうも同じく思っているであろう藤川さん。一年生の頃から同じクラスで部活も同じ、もはや腐れ縁じみた関係にある女子だ。
フルネームを
あだ名はミッチー。
同性である女子にはもちろん、違うクラスの男子たちからも気安くミッチーと呼ばれ慕われている彼女は誰の目から見たって人気者。ちょっと高飛車だけれど、それを補って有り余るくらいに明るくて社交的。
それだけでなく、彼女のことを苦手に思っている私の目から見ても憎らしいほどに可愛い顔をしていて、いわゆる……まあ、これを素直に認めるのも癪ではあるけれど、一般に「美少女」と呼ばれるカテゴリーに属している女子だ。
それも学校随一の美少女である。
これは彼女も自分では謙遜して否定するかもしれないが、きっと彼女は「アイドル並みに可愛い!」などとハードルを上げて紹介しても大丈夫な存在だろう。おそらく無駄に高まった期待を裏切らず、出会ってみれば大抵の人間は男子も女子も喜んで友達になりたがるに違いない。
だからというわけでもないのだろうが、どちらかというといつも「かっこいいよね!」はともかく「頼りがいのある男の子みたいだね!」などと、褒めているのか貶しているのか反応に困る言葉ばかりもらってきた私とは対照的な立ち位置にあるようで、なにかというと私と彼女は周囲に比較されることが多かった。
多いというか、多すぎるというか、もはや最近は日常的に比較されすぎていて、お互い軽い絶交状態だ。
なにしろ我がクラスの女子は彼女が率いる「イケてる女子高生」を自称する一軍グループと、その輪に入っていけない「冷めてる系」の二軍グループにきっぱりと二分されているのだから。
「……かぶってるんだけど?」
気が付けばもうすっかり梅雨の季節に突入して、じめじめと湿度が高くなっている朝の教室。
あたかも独り言のようにぼそりとつぶやいたのは、教室でも窓際の奥まった場所にある自分の席へ行こうとして、ちょうど目の前を通りがかった私をちらりと一瞥した藤川さんである。
「かぶってるって……ああ、これ?」
何かと思えば、どうやら前髪に輝く新しい髪留めのことを言っているらしい。
いきなり挨拶もなしに声を掛けられて、友達でもないのに律儀に足を止めた私。
かぶってる。ああ、そうか。わざわざ顔を上げて確認してみるまでもなく、きっと彼女も同じ髪飾りをつけているのだろう。
具体的に私を非難する言葉はないけれど、そこはかとなく嫌みを感じさせる絶妙な一言だ。
二年連続で同じクラスの一員となり、一年のころから続く同じ部活の仲間であるにも関わらず、長らく直接的な交友を避けて冷戦中の関係にあった私たち。そんな私たちの間に突如として降り掛かったキューバ危機とも呼ぶべき不穏な空気を察したのか、両グループに属する女子を中心として教室に息をのむような緊張が走ったのがわかる。
こういうとき決して彼女は「おそろいね♪」とは言わない。たとえ言われたところで、私だって微笑まない。
いや、あえて苦笑くらいはしてみせるかもしれないが。
あまり挑発し過ぎない程度に、ふふっと鼻で笑って肩をすくめてみる。
「私に外せと?」
それだけ言って私のターンはおしまい。期せずして彼女と同じ物を選んでしまったのだという少なくない動揺を隠しながら、決して弱みだけは見せまいと強がった私は鷹揚に振り向いた。
あちらから不意打ちを受けたのだ。こちらが焦っていると思われては弱みに付け込まれる形で連撃を受けて、たちどころにノックダウンさせられてしまいかねないではないか。
わざとらしいほどに余裕を持って振り向けば、椅子に座っている彼女の机を挟んでそう遠くない位置に、いつも敵情視察と称して遠目に眺めていた彼女の可憐な顔があった。
憎らしいまでに可愛い彼女。理想的に整った美少女。
気に食わない。
こうして近くで見ると、普段から感情を素直に出しがちな彼女の表情が実によくわかる。
今の彼女に浮かんでいるのは対抗心と苛立ちと……なんとなく私にも共通しているような焦りと戸惑いの色。示し合わせたわけでもないのに、たまたま同じものを選んでしまったことを驚いているような。
「…………」
すぐには答えず、こちらを伺うようにして私の髪留めに視線を向けていた藤川さん。彼女はまるで初恋に陥った乙女がするみたいに潤んだ上目遣いのまま、今度はそろりと私の顔へと双眸を動かす。
ずいぶん久方ぶりに彼女と至近距離で目が合いそうだ……と、もはや一秒も待たずに訪れるであろう未来を想像した瞬間、どきりと私の胸が痛んだ。
可愛くなれない私が可愛い彼女を前にすると、いつもこうだ。
生まれ持っての格差に傷つきたくなくて、思わず目を背けようとして息をのんだ私だったが、すんでのところで気を強く持ち直す。
ここは戦略的撤退をする場面ではなく、真正面から反撃するべきタイミングだ。
こちらをじっと見上げる彼女の瞳から逃げず、こっちからも見下ろすように覗き込むことにした。
星を映す夜の湖面のように美しく澄んでいて、丁寧な職人技で磨き上げられたように奇麗に輝く二つの黒水晶。こんなものに直視されれば私が男子なら間違いなく惚れているなと痛感して、これはもう敵ながらあっぱれで喝采したくなる。
けれど、それは一瞬。
核ミサイルが直撃するくらいの攻撃力で繰り出された彼女の言葉を聞いて、ある種の賛辞や憧憬に染まりつつあった私の心は鉄のカーテンによって閉ざされる。
「そうね、外して? これが似合うのは私だもの。あなたじゃないわ。……どちらかといえばクール系のあなたより、私の方がずっと似合ってる」
クール系、ね。
衆目がある手前、ちゃんと言葉は選んでいるけれど、要するに私は可愛くないと言いたいわけである。
いつもながら自信に満ちた表情からよどみなく発せられたのは、迷いなく凛と響いた女の子らしい声だ。
さすが一軍のリーダー。自然と人を引き寄せるだけはある。
いつもの私なら、有無を言わせない彼女の偉そうな言いようにむっとして眉根を寄せて、相手を馬鹿にし過ぎないよう気をつけながら鼻で笑うところ。
なのに今日の私はそうしなかった。
「……悔しいけど」
一拍ほど呼吸を止めて、ぎゅっと拳を胸の下で握る時間を置いて、
「それには同意する」
と、自嘲気味に肩をすくめた上で答えた。
悲しいかな、わざわざ自分でそう言い切ってしまったからには負けを認めるようなものだ。いつまでも馬鹿みたいにつけているわけにもいかない。すっと伸ばした右手で髪留めを外すと、ちっとも名残惜しくないさと言いたげな仕草でポケットに押し込んだ。
それほど高価な物でもない、どこにでもありそうな髪留め。
ピンク色をした二つのハートマークが斜めに並んだシンプルなデザイン。
これをつけて家を出るときには、なんだか自分のおしゃれステータスが何段階も上がった気がして誇らしげだった。けれど今になって冷静に自分の容姿やイメージを考えれば、鏡を見るまでもなく私には似合いそうもない。
自分の足が届く範囲にあるショップをいくつか探しまわっても売られておらず、つい先日スマホであれこれと検索して、未だに慣れないネット注文でようやく手に入れたものだ。
だから本当は簡単に手放したくない大事な一品なのだけれど。
「クール系、ね」
可愛げがなく男の子じみている私なんかよりもずっと、いうなれば女の子ど真ん中なキュート系の藤川さんにこそふさわしいと私は思うのだった。
これがなんとも不思議なもので、昼休みの教室は関ヶ原の戦いかと見まがうばかりにクラスの女子が二つのグループに分かれる。もちろん両軍の御旗は誰がそう言ったわけでもないのに私と藤川さんだ。
本来は仲のいい友達同士で集まって弁当を食べるだけのはずなのに、昨日はあっちに何人いて、今日はこっちに何人いると、カレンダーの日付をまたいで駒を取り合う将棋をしているみたいで息苦しい。教室の前側に集まるのは藤川さんグループで、それとは背中合わせで教室の後方を占めるのが私たちのグループだ。
「いやー、今朝は怖かったよ。ゆかりってば藤川さんと一触即発の状態だったからね」
「ほんとほんと。ついに雌雄を決する時が来たのかと思った」
怖かったなどという言葉の割には楽しそうに語って笑うのは、杉内愛と谷山雪という私の親友二人だ。
一般的に類は友を呼ぶとはいえ、かけがえのない私の友人である彼女らはクラスで二軍扱いされがちな私のグループにあって、どちらかといえば藤川さんグループに見られる特徴を持っている。
すなわち、何かいいことがあったわけでなくとも普段から明るく、誰に対しても堂々としていて、とにかくアクティブに女子高生ライフを楽しむことを至上としている女の子たちだ。
「別に私は藤川さんに対抗心をむき出しにしているつもりもないんだけど。あたかも犬猿の仲であるかのように噂されるのは、あまり心外ではないにせよ不思議なのよね。ただ私たちの間には言葉を交わすためのホットラインがないだけで……」
実際、今朝は二年生になって初めて藤川さんと一対一で面と向かい合って喋ったせいで緊張した。
ほんの短い言葉の応酬だったけど、あれでも私なりに健闘した方だ。
「同じクラスにいて会話を避けるほどの関係性っていうのがね、もうそれは無力な私たちにとって戦々恐々と見守るしかない源氏と平家なの。だったら一度はっきり爆発してくれたほうが助かるくらいには気がかり。それよりもね、ゆかり。あの話ちゃんと考えてきた?」
「あー、あれね……」
即答を避けた私が目を泳がせると、それを見た愛は唇を尖らせる。
「まだ渋ってんの? らしくないなぁ。ここはゆかりらしく、清水の舞台から飛び降りる気持ちで一も二もなく快く承諾してよ」
「そうは言ってもねぇ……だって、その……ライブでしょ?」
いまいち乗り切れない声で確認を求めると、待ってましたとばかりに愛は頷いて胸を張る。
「もちろんライブだよ。みんなで楽器持って歌うの。これまでにも何度となく言ってきたでしょ? 私と雪と、それからゆかり。私たち三人で一緒に、十一月の文化祭でガールズバンドやるんだって!」
演説でもやっているのか教室中に響くくらいの声量で愛が言うので、そのバンドとやらに巻き込まれつつある私は顔だけでなく耳まで赤くしてうつむいた。たくさんの観客の前で楽器を演奏しながら歌うなんて、ちょっと想像してみただけで泡を吹いて倒れそうだ。
普通に考えて罰ゲームではないか。セルフ市中引き回しの刑みたいな。
「お祭り騒ぎが大好きな愛はこう言ってるけど、雪はいいの? みんなの前でバンドだよ? 恥ずかしくない?」
何を隠そう私は恥ずかしくって仕方がないのだけど。そんな気分で本気の同意を求めてさじを向けると、緩くウェーブのかかった髪を揺らした雪は首を横に振って答えた。
「私は楽しみ」
にこにこ笑っている。恐るべきことに不安や緊張感といったネガティブさは一切どこにも感じられない。こんなときばかり彼女は鉄のハートになる。ジェットコースターでもバンジージャンプでも平気な顔をして楽しみそうだ。
見た目に似合わず壊れやすいガラスのハートな私は言葉が出てこずに唖然としていると、それを無言の承諾と受け取ったのか、真ん中を陣取っていた愛が私と雪の肩をポンと叩いて今日一番の笑顔を浮かべた。
「よし、じゃあ練習はゆかりの部活が休みになる水曜日の放課後だ! 時間があるときは昼休みも使おう! 場所は弁当を食べた後で職員室に行って、どっか使えないか交渉してみるね!」
そう言ったきり、こちらが異論を挟む余地なく愛は弁当をがっつき始めたので、もうなるようになれと身を流れに任せるに心を決めた私はため息を一つ漏らすのだった。
なんとなく、本当になんとなくだけど、それとなく藤川さんの視線を背中に感じながら。
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