我が家の押勝

ささなき

我が家の押勝

「推し活してる」

 と娘がつぶやくように言ったので、思わず、

「恵美押勝」

 と口にだしてしまった。もちろん意味はない。思いついたことをぜんぶ喋ってしまう癖を、いい加減どうにかしないといけない。

 娘が、なに言ってんだこいつ、という目でこちらを見ている。

 ちなみに、恵美押勝は奈良時代の政治家。藤原仲麻呂の名でも知られる。

「なに、お父さん。わたしと喋りたいの?」

 えー、それ、こっちのセリフなんですけど? 急に喋りだしたの、そっちじゃん。

 と口にしかけたが、ぐっとこらえた。先ほどの反省をさっそく生かした。これを継続しなければ。

「うん。まあ、そうだね。お喋りしたい」

「……じゃあ言うけど」

 娘は少し深く息を吸い込んで、力強く言った。

「わたし、猫を飼いたい」

「え、推し活の話じゃなかったの?」

「だからさ、」

 娘が、何かに堪えるような仕草を見せる。

「最近、庭に猫きてるよね」

「きてるね」

 不細工な茶トラが。

「耳のところが、くしゃってなっててさ」

 うん。

「ほぼスコティッシュフォールドじゃん、って思って」

 うーん?

「マジ推せる、っていうか」

 あー、

「もしかしてエサとかやってる?」

 娘が肩を震わせた。あからさまな動揺。

「だめだよ、そういうのは。マナー違反だから。ご近所トラブルのもとだよ」

「だ・か・ら、うちで飼えばいいじゃん、ってそういう話してんの」

 うん。

「でも、もういいよ」

 え?

「どうせダメなんでしょ?」

 いや……別に?

「お父さん、猫、嫌いだもんね」

 そんなことない——

 と私が言う前に、娘は立ち上がり、部屋へ戻ってしまった。

 いいよ、と一言、すぐに言えばよかった。なんだろうな。反省が裏目にでてしまった。上手くいかないな。


 翌日。

 よんどころない事情で、日中、暇してる私は、娘が学校へ、妻がコンビニのバイトへ出かけた後、庭に出て猫を待った。

 生垣の間から、小柄な茶トラが、ぬっ、と現れたのは、正午近くのことだ。

 私がゆっくり瞬きしながら、片手に持ったちくわをふるふるさせると、茶トラは特に警戒するでもなく、ニャー、と鳴きながら近づいてくる。だめだな、こりゃ。すっかり野生を失ってる。

 茶トラは私の前まで来ると、こてっ、と転がって腹を見せた。

「ふふ」

 思わず笑ってしまう。

 とりあえず家ん中入れ、お前。


「マリン!」

 帰宅した娘はすぐに茶トラに気づき、開口一番そう言った。

 マリン?

「お父さん、なんでマリンいるの? 飼っていいの?」

「だめなんて一言もいってないよ」

「ありがとう! やった!」

 娘は茶トラを持ち上げて、くるくる回す。

「マリンなの?」

「え?」

「いや、名前」

「うん、そうだよ」

「押勝にしない?」

「なんで」

 睨まれた。

「だって、男の子だよ」

「えっ、雄なの? マジで?」

 娘は茶トラをひっくり返して、股間を確認する。

 やめなさい、ハラスメントですよ。

「マジじゃん」

 娘は、すっ、と目を細めた。猫のように。

「すぐ取っちゃおうね、マリン」

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我が家の押勝 ささなき @ssnk

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