ツクヨミビト

春夕は雨

前編 家出

許婚 side.



「今夜の月は綺麗やなぁ、お嬢さん」


欠ける所のない満月。明るい。本当に綺麗だ。まぁ月詠の意味は良くないんやけど。


「そうだね」

「あれ、元気ない?」

「別にいつも通り」

「そやな、俺の前ではいつもそっけないもんな」


親が勝手に決めた許嫁に簡単には心開いてくれんよなぁ。相変わらず俺に対して愛想がない。


俺は俗に言う貴族階級で、月詠という家業を継ぐ長男。


今隣にいるのはお嬢さんは半年前に「お前の許嫁に会うぞ」と親に無理やり連れていかれた先で会った。顔に表情がなく、何考えているか分からない子だった。けど頬を少しだけ膨らましていたのは「私は不機嫌ですよ」と主張しているようでちょっと面白いなと思った。


それから3日に1回逢いに来てるが中々進展がない。会話も弾まない。ある時、何とか話題を出そうとお嬢さんを見ていると体にやたらと傷があるのを見つけた。


腕、足首、鎖骨のあたりにどれも着物にぎりぎり隠れていて、よく見なければ気づかない。


『お嬢さん、その傷なに?』


少し目を丸くして驚くお嬢さん。まさかバレないと思っていたのかな。はは、俺がどれだけお嬢さんのこと好きだと思ってんの?


しばらくしてお嬢さんは口を開いた。


『………自戒』

『は?』

『昔から誰かを傷つけたり、自分で許せないことをしてしまったら切ってるの。初めては母上にお前は私の子どもなんかじゃないって言われた時』

『…は』


この子の母は小さい頃離縁して家を出ている。つまり、昔から?



『ねぇ、お嬢さん』

『なに』


小さく息を吸って、


『バカなん?』


俺の言葉にさっきより目を丸くするお嬢さん。


『自分を傷つけるとか絶対したあかん』

『でも、』


『でもじゃない。絶対に切らんといて。いい?これは俺との約束やで。』


不服そうに訳が分からないと言う顔をするお嬢さん。


あぁ、この子はずっと1人やったんやな。守ってくれる人がいなかったから自分で自分を傷つけて守ってたんだ。


気が強そうに見えて中身は弱い、ただの女の子だった。


俺はこの時初めて「人を守りたい」と思った。








「ねぇ」

お嬢さんが急に声を出した。数ヶ月前に飛ばしていた俺の意識を現実に戻した。お嬢さんの真剣な目は俺を捉えている。右手には…小刀?



「私が今からここを逃げるって言ったらどうする?」


ん〜?いきなり難しいこと言うなぁ。ていうか刃物は危ないで。また切るつもりなん?


「とりあえずなんで逃げるのか理由を聞いてもいいかな?」

「そうねぇ」


少し考えて、


「好きな人ができた、とでも言おうかな」


好きな人ができた?しっかり5秒固まって言われた言葉を反芻する。


「私と共に生きたい人がいるの。だから逃げる」

「…つまりお嬢さんはこの家を出ていく?」

「そうなる」




…そっか。そっか、好きな人ができたんか。


失恋したはずなのにどこか安心してる自分がいた。もちろん悲しい。悲しくない訳がないやろが。でも、好きな人ができたってことはお嬢さんは1人じゃなくなったってこと。守ってくれる人ができたんや。


良かった。これでもうお嬢さんは体に傷をつけなくて済む。


この半年間、お嬢さんの側にいたけど俺じゃダメだったってことやな。


それなら仕方ないじゃないか。




「お嬢さん、今夜みたいな月はどういう意味か知ってる?」

「月の意味?」

「満月はね、



さよならって言うんやで」






お嬢さんは賢いからそれだけで理解してくれたみたい。



「お嬢さん、さよなら」



俺がそう言うと同時に屋敷を駆け出し、道を抜けていく小さな背中。小刀は俺に襲われた時用に持ってたんかな。そんなことしないのに。




「好きやったで、って言ったんやけどちゃんと聞こえたかなぁ」



まぁどっちでもいいか。こんな朽ちる夜はお嬢さんを想って眠りにつこう。





彼の背には煌々と満月が光り輝いていた。





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