第2話:夢現乖離症候群
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなりそんなこと言われても俺にはなんのことかさっぱり……! そ、それに俺が病気ですって? そんなのありえないですよ」
景信が自慢できることの一つとして、風邪を患ったことが一度もない。
どれだけ周囲で風邪が爆発的に流行しても、景信だけはいつもぴんぴんとしていた――人間じゃないんじゃないか、となかなかに酷い言葉を送られたが……。
とにもかくにも超健康優良児と自他共に認めるだけに、景信は立花を真っ向から否定した。
(俺が病気だって? 絶対にあえりえない)
何をもってそうと断言するのだろう。
怪訝な眼差しを返す景信であるが、立花の瞳は真剣なまま彼をジッと見つめ返している。
自分の主張は決して間違ってなどいない、と今にもそう聞こえてきそうな雰囲気に景信の自信がわずかに揺らいだ。
(まさか……本当に?)
芽生えた不安から景信はつい、立花へ恐る恐る事の詳細を促した。
「……その、
「……まず景信さん。景信さんはご自身のことを語れますか?」
「それは、そうでしょう」
もちろん個人情報をここで曝け出すつもりは毛頭ない景信だが、自身を語れるぐらいのことはできて当然である。どこで生まれ、どのように育てられてきたか、今日に至るまでにどんな経験を積んできたか……どれも昨日のことのように鮮明に思い出せる。
立花の質問の真意は皆目見当もつかない。景信は疑問に眉をしかめた。
「……では、ご自身のお姿を見たことは?」
「お姿って、別に何も変わったとこなんて――」
はたと己を見やり、景信は驚愕からその目をこれでもかと見開いた。
よって学生らしく制服姿だ――現実は景信の予想を遥かに裏切っていた。
「なっ……なんじゃこりゃー!?」
学生服はいつの間にか青い質素な服装に変わっていた。
とても外を出歩くような恰好とはお世辞にもいえず、寧ろそのデザインは入院着と形容するのが正しい。鞄だと思っていたものも、枕だったという始末である。
(な、なんで俺はこんな格好してるんだよ! 学生服とかかばんはどこにいった!?)
慌てて周囲を見渡してみるも、求めている物が落ちているはずわけもなく。
ともあれ異常事態と呼ぶに相応しいこの状況に独り取り残された状況に景信は、立花に助けを求めるように視線をやった。落ち着きを失くした鼓動の音がガンガンと鼓膜を叩き、強烈な嘔気にも苛まれる。一瞬でも気を抜けば卒倒しそうな景信の意識を辛うじて現世へと繋ぎ止めたのは、彼の頬をそっと優しく撫でる立花だった。
頬を撫でながら「どうか落ち着いてください」、たったその一言が景信の荒れた心を穏やかにさせる。幾ばくかの冷静さも取り戻して、景信は震わせた声で立花に尋ねる。
「お、俺はいったいどうなってるんですか……? だって、俺さっきまで学校に……」
「……それが
「ゆ、夢……?」
「そうです。
「そ、その
景信に問いに、立花が静かに首肯した。
「――、
「…………」
「そしてこの奇病の一番厄介なのは、発症者の発症者の
立花の言葉はあまりにも残酷な現実だった。
経験はともかくとして、最愛の両親や大切な友人までも実在していなかった、という現実を景信はどうしても受け入れられなかった。
「う、嘘です! そんなことあるわけがない!」
「あ、景信さん!」
立花の制止も振り切って景信は【夢幻の遊戯場】を飛び出した。
荒々しく開放した扉の先――森からあまりにもかけ離れた光景に、さながら糸が切れた人形よろしく、景信はその場に力なくへたりと座り込んでしまう。この洋館へ来るまでに通ってきたはずの森がどこにもなく、代わりにあるのは多くの人でわいわいと賑わう街並みだった。
「な、なんだよこれ……!」
街といっても、風景は景信が知るそれとはあまりにかけ離れていた。
ビルを始めとする、見上げるほどの建物がないからその分空は見やすい。
建物自体も日本古来の和を主としていて、その中でたまに洋風の建物もちらほらと見掛ける――
まるでタイムスリップでもしたかのようだ、とそう景信が思うのも無理はなく。そこに更なる追い打ちを掛けるかのように、一台の馬車が彼の目の前を通過していった。
令和の日本ではまずありえないと断言できる光景を前にさしもの景信も「これは夢なのか……?」とすこぶる本気で呟いてしまう。
明治か大正か……いずれも歴史の教科書でしか目にしたことがない光景に、景信はそう思わざるをえなかった。
その考えを否定したのは背後からやってきた立花でも、景信自身でもない。彼の視線の先、険しい
男女合わせて6人で、年齢層や背格好もバラバラなその集団だが唯一の共通点なのは、皆同じような格好をしていることにあった。
(な、なんなんだあの人達は……警察、じゃないよな。軍人……いや、どっちかって言うと――)
外套を風になびかせて、上下共に緑で統一した彼らはさながら憲兵のようであると景信に強くイメージさせた。どっちみち現代ではありえない恰好に景信は恐怖を憶え、外套の下……裾がなびく度に露わとなる軍刀が景信の恐怖を助長した。
銃刀法違反ではないか、と景信がツッコミを入れる間もなく彼らはついに立ち止まる。
距離にしておよそ3メートル前後。近くもなければ遠くもない絶妙な距離感を保つ彼らの内1人が口を開いた――羆のように大きいし、表情も鬼のような男だ。
「……君が
「……へ?」
「ちょっと隊長、怖がってるじゃないですか。だから我々の誰かが言った方がいいっていったのに……」
「隊長はただでさえその体躯ですし威圧感ハンパないんですよ」
「う、うるさいな! 俺が隊長なんだから問題ないだろ!」
まったくもってそのとおりだ、と景信は心の中で激しく同意した。
例え隊長と呼ばれたこの男に敵意がなくとも、対峙すればその威圧感に尻すぼみしてしまう。
しかし彼の声質はその恐ろしい外見にはとてつもなく不釣り合いだった。
相手に恐怖を与えないための演技かと思うほど男の声は高い。
そのギャップがおかしかったから、景信は驚いてしまったのだ。
「隊長、ほら交替してください。後は私達が対応しますので」
「や、やめろ! 俺が隊長なんだから部下のお前達は見守るのが普通だろう!」
「だ~か~ら~隊長怖いんですってば。この前も小さな女の子泣かせたのもう忘れちゃったんですか?」
「泣き止まそうとして余計に泣かせて……宥めるのとっても大変だったんですから」
「うっ……うぅ! 俺だって……俺だって好きでこんな風になったんじゃないやい!」
「はいはいわかりましたから――あぁ、なんだかごめんね。ウチの隊長あんな感じだからさ。あっ、俺の名前は斬崎っていうんだ。見てのとおり
「あ、ど、どうも……」
隊長格の男とは違って、代わりに対応を務めるこの斬崎なる男は親しみやすい雰囲気を醸し出している。ひとまず安心してよいとわかった景信は安堵からホッと胸を撫で下ろして、しかしまたしても聞き慣れない単語にいい加減うんざりとした。
「一応説明しておくと、僕達衛宮はこの高天原を……都を護る者ことが役目なんだ。そして今はある人達の対応について僕達は追われている――それが
「……俺が、何をしたって言うんですか」
衛宮……守護職である彼らに景信の
むろん景信は、自身が悪事を働いた憶えはこれっぽっちもない。
どんなに惨めになろうとも決して人道を踏み外すな、とは父の言葉であるし彼も幼少期からずっと言い聞かせられてきたこの言葉を遵守している。
衛宮が自分をどうするつもりだ……景信はこの斬崎という男をぎろりと睨んだ。
「安心して、君は何も悪いことはしていないし逆に被害者だよ」
「被害者……?」
「――、
「――、ッ!」
「……その様子だと、既に知っているみたいだね」
「…………」
「……ここ最近になって突然この国で発症した奇病――
「失踪……?」
「今正に君のことだよ。君は病院で入院していた、だけど二時間ほど前に病院から失踪した……一応、
「さすがは千珠院家のご子息ってところかな」と付け加える斬崎に景信は怪訝な眼差しを返す。
彼の言葉の意味がまったく理解できなかった。
いや、理解することを恐れていた、という方が正しい。
現に景信の恰好は入院着であるし、斬崎の言葉が虚言でない何よりの証となる。
「……そだ」
「景信くん?」
「嘘だ! なぁこれは何かのドッキリなんだろ!?」
「落ち着いて景信くん! 君の気持はわかるけどこれが――」
「うるっさい! 皆で俺に嘘を吐いてるんだ……そうでなきゃ、おかしいだろこんなの!」
「あ、待つんだ景信くん!」
「斬崎は俺と一緒に彼を追い掛けろ! 他は彼のご家族に至急連絡しろ!」
周囲からの制止も無視して、ただ
「――、嘘だ。こんなの嘘なんだ。こっちこそ全部悪い夢なんだ……!」
すべてが夢だった。この世界そのものが
そしてこの残酷な現実を受け入れることは、これまでのすべてを否定しなければならない。
最愛の両親との日々も、友人との馬鹿な思い出もすべて――できるはずがない。景信はその場から逃げるように走り出した。そうでもしないと心が壊れてしまいそうだった。
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