第1話:茜色の道のその先は
空が茜色に染まったその日、景信がそれを発見したのは本当に偶然のことだった。
「――、こんな道あったかな」
それは何の変哲もない、ごく普通の道にすぎなかった。
景信が疑問を抱いたのは、彼是10年以上も住んでいてはじめて目にしたからに他ならない。
この道は幾度となく通った道であるだけに、景信の疑問は思考を深めるほどに強さを増していく。
しばらく悩んだ末、景信は――
「……行ってみるか」
見知らぬその道を進むことにした。
帰路とは正反対であるし、景信にはもうすぐ夕食が待っている。
育ち盛りであるがために現在進行形で彼の腹部からはくぅくぅと腹の虫が情けなく鳴いていた。
それでも内に湧き上がる好奇心を優先して、景信はどんどん見知らぬ道を進んでいった。
「……これといって特に何もない、な」
歩けど周囲の景色は住宅がずらりと並んでいるだけで、特に面白みも何もない。
これが普通なんだけど、と自嘲気味に笑いつつも景信は気にせず進んでいく。どうせならば最後までこの先に何があるかを見届けてやろう……そう思ってから五分と経たぬ内に変化は突然音もなく現れる。
まず景信の鼻腔をくすぐったのは、自然の香りだった。
土や草木といった緑がある境から景信の進む先にずっと続いている。
森と形容するのに相応しい場所に景信が「こんなところに森なんて普通ないぞ……」と、すこぶる本気で呟いたのも、ここが大都会の真っ只中にあるからだった。
大小新旧様々な建物が群集する街で、田舎のような自然が存在していることが景信は不思議でならなかった。
「どこに繋がってるんだ……?」
不安と期待を胸に膨らませながら景信は奥へ、奥へと進む。
空腹はもうこの時には完全に失せていて、好奇心を満たすことを最優先としていた。
この先には何があるのだろう……わくわくと胸の高鳴りに笑みをこぼして、景信はついに奥へと着いた。
そこは円形状に広く設けられた空間があった。
それより先に道はない、どうやらここが終点であるらしい。
さて、その終点で彼を出迎えたものに景信は関心を強く
「こんなところに、洋館……?」
森の中にひっそりと隠れるように佇むその洋館は、景信の好奇心を更に刺激する。
外観はさほど古さを感じさせず、しかし日本という場所ではいささか不釣り合いな気がしないでもない景信がふと視線を上にやると【夢幻の遊戯場】の看板が目に入った。
(ここは家じゃなくて店なのか……)
しばし外観を見つめていて、景信があっと声をもらす。
独りでに開かれる扉は、まるでこちらにこいと誘っているかのよう。
アニメやゲームのような演出をいざ
「――、行ってみるか」
結論は意外とあっさりと下された。
今の景信は、未だかつてないほどの好奇心で満ち溢れていた。
毎日が同じことの繰り返しで退屈を否めない彼が求めていたのは、強烈な刺激だった。
今までに経験したことのないような、それこそ超常現象が起きないだろうかとさえも思っていただけに、景信がこの機を逃すはずもなく。
まっすぐと力強い足取りで景信は洋館へと近付いた。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか……)
虎穴に入らずんば虎子を得ず……先人が残した名言を胸に、景信はついに洋館の中へと足を踏み入れる。
入館して早々に、景信は「あ~……」となんとも言えない
まず最初に出迎えたのは従業員ではなく、無数の人形であった。
ありとあらゆる角度から向けられる無機質なガラスの瞳が、来訪者を迎え入れる。
人形が動くはずがない、所詮玩具であると脳では理解しようとも心がこの歓迎には恐怖を憶えた。
さてどうしたものやら、と景信は沈思する。
まず本音を語るとすると、景信に人形で遊ぶ趣味嗜好はない。
近年においては、球体関節人形も劇的な進化を遂げている。その代表であるのがスーパードルフィーと呼ばれる代物で、完成度の高さはもはや単なる球体関節人形とは呼べない。
かつては景信も、スーパードルフィーに一目ぼれしたことがあった。
自分もほしい、とその時は思った景信も値段という現実を直面したことで呆気なく諦めた。
学生である身の彼に10万円はあまりにも高額な買い物である。小遣いではどうしようもできないし、また維持費や小道具代も含めると更に超える。親に頼んでどうこうできる買い物ではないと悟ってから、景信は見る専へとなった。見るだけだったら無料なのだから――店側にすれば、さぞ迷惑であっただろうが……。
それはさておき。
「――、帰るか」
景信はくるりと踵を返した。
人形遊びをする気もお金もない。
つまり完全に場違いであるし、店員に絡まれるのも御免被りたい。
幸いなことにまだ店員は入館したことに気付いていない。
ここぞと景信は外へと向かって一直線に走り出す――その最初の一歩目より彼の足が出ることはなかった。
「――、いらっしゃいませお客様。ようこそ【夢幻の遊戯場】へ」
「…………」
一足遅かったか、と景信は諦めた様子で振り返った。
「――――」
景信は思わず、ぽかんと口を開けた。
初対面の相手に対していささか無礼に当たるその行為だが、そうせざるを得ない要因が店員にはあった。
月並みな言葉なのは否めないが、景信を制止した女性店員はとても美しかった。
腰まで届く濡羽色の髪と燃える焔のように赤い瞳が印象的で、優しい微笑みは妖艶な雰囲気を醸し出している。それ故に「こんなきれいな人がいたなんて……」と、つい口についた景信は、クスクスと忍び笑う女性店員の反応にようやくハッと我に返った。
「お客様、改めましてようこ――あら?」
「あ、あの……何か?」
「……なるほど、そういうことですか」
「え? え?」
突然一人納得し出した女性店員の反応に、訳がわからない景信は軽く狼狽した。
(まさか……俺がただの冷やかしだってことがバレたのか!?)
そうと考えてみて、ありえないと景信は即座にこの仮説を否定した。
冷やかしにきたとわかった相手に、果たしてお茶を用意したりするだろうか――そもそも、来客者相手に茶を用意する店自体、景信にとっては極めて稀有である。少なくとも玩具屋さんでは、絶対に見られない光景だろう、とそう景信は認識している。
そんな彼を他所に、来客者との対談スペースだろう、テーブルにそっと女性店員がお茶を差し出した。
「どうぞ、召し上がってください」
「あ、えっと、その……」
「ご安心ください。毒なんて入れてませんから」
「そ、それじゃあ遠慮なく……」
おずおずとテーブル席に着くと、景信はお茶を少しすすった。
差し出されたものを過剰に拒絶するのは相手に失礼であるし、ましてや美人からのお茶だ。断る方がもったいないというもの。景信はお茶をすすりながら、対面に座す女性店員にちらりと視線をやった。
(……かなり大きいな。EかFぐらいはあるんじゃないか?)
大きく突出した着物が裸を晒すよりも艶めかしい。
きっと触ったら柔らかいのだろう、など想像しながら盗み見る。
関心を持たぬ方が無理というもの。露骨に見つめては変態の誹りを受けるのはまず間違いので、景信はバレないようちらちらと女性店員の胸部をその目に焼き付けた。
「――、あの、どうかされましたか? あっ、もしかして熱すぎましたか?」
「あぁいえいえ! なんでもないですお茶とってもうまいですから大丈夫ですよ!」
「そうですか、それならよかったです」
「あはは……」
「ところで、お客様のことなのですが……」
「あ、えっとですね。その、偶然ここを見つけたものでして、それでどんな店なんだろうなって思ってつい……」
「なるほど、そうだったのですね――申し遅れました。私の名前は
「あ、俺は
「景信さん……それと、千珠院?」
「あ、あの……俺が何か?」
名乗られたから名乗り返すのが礼儀だ。そう思って答えた矢先、突然深く思考を巡らせた女性店員……ではなく、
苗字が何やら彼女の中で引っ掛かったらしいが、まるで接点が思いつかない。
己の人生を
沈黙が嫌に長く感じられる。
景信はどうすればよいかわからず、立花が口を開くのを待つことしかできなかった。
「――、千珠院景信さん、でしたよね?」
立花が口を開いたのは、沈黙が流れてからおよそ二分後のこと。
口調こそ優しいが景信を見やる瞳は、どこか険しさを帯びている。
まるで自分が悪いことをしたかのような錯覚に陥りながら、景信はごくりと生唾を飲んだ。
「率直に申します。景信さん、あなたは
「え?」
聞いたことのない、明らかに医療専門用語に景信ははてと小首をひねった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます