忘却の淵

蓬葉 yomoginoha

忘却の淵

 去年はぼうウイルスのせいではばかられたけれど、私たち家族は毎年、夏になるとお墓参りに行っていた。

 大体の人は年を取るとお墓参りなど行かなくなるだろうが、私たちはかたくなに手を合わせに行っていた。それは、あんな体験をしたから当然だろう。

 この話は母方の実家に行った時の話だ。


 

 その年は、私、母、妹の三人で母方の実家に向かっていた。

 暖かい、海沿いの集落で、畑があり森があるような、自然の綺麗な田舎いなかだった。

 あの頃はまだ曾祖母そうそぼも健在で、私たちを迎え入れてくれた。


「みかんばとってくっさけ」

 こしを曲げて曾祖母は畑の方に向かう。

「ばばちゃん、おいもいくで」

 いつもと違う口調くちょうで言ったのは母だ。

 帰省きせいした時と電話の時だけ、母には方言が宿る。おさなながらに面白いなあと思うのが半分、いつもと違う母が現れることに怖いなあと思うのが半分だった。




「お姉、お外行こ」

 当時の妹はまだ幼稚園ようちえん生。

 若干じゃっかんムチムチ加減かげんが残ったうでが後ろから巻き付いてきた。

「外?」

「海行きたい」

「だめだよ。ママに聞いてみないと」

「海行きたいー!」

「そう言われても……」

「行きたい行きたい行きたい!!」

 こうなるともう手をつけられなくなる。余談だけれど現在の妹も似たようなところがあって、男性と付き合っては別れ、付き合っては別れしている

 しかたなく私は妹の手を取った。

 海と言っても、縁側えんがわから見下ろせるくらい近くだし、大丈夫だろうと思って。


 サンダルのまま海に入って、少しだけ水のすずしさを楽しむ。 

 夏の海なのに、遠くの方にサーフィンをしている人がいるだけで、他には誰もいなかった。

「涼しいね、明梨あかり

「気持ちいいねー」

 私はお姉ちゃんだから、妹の模範もはんにならないと、と漠然ばくぜんと思っていたのだけれど、思ったよりも海が楽しくて、水着も着ていないのに、つい言ってしまった。

「もうちょっと奥行ってみる?」

「あかりおよげないから、やだ。うきわ持ってくる」

 そう言うと妹は堤防ていぼう上の自宅に戻って行った。

 

 

 ほっとしている自分がいた。

 当時の私にとって妹は、可愛らしい反面、うとましくもあった。

 小学生中学年だったし、まだ両親に甘えたかったのに妹が優先された。

 それなのに「絵梨えりはお姉ちゃんだから明梨のこと頼んだよ」とだけ言われて、幼ながらに、思っていた。

「なんで私の方を向いてくれないのに命令してくるの」、と。

 妹がそばを離れてくれたことで、きっと解放感を覚えていたのだろう。

 だから私は、普段だったら絶対にしないような行動に出たのだ。

 



 鎖骨さこつくらいまで水に浸かる。

 都会のプールとは違う涼しさがあった。

 服はいうまでもなくびしょれだ。普通だったら母に怒られるだろう。

 けれど、きっと大丈夫だと私は思っていた。

 なぜか実家に帰って来た時の母は優しいから。ようは風邪かぜを引いたときとおんなじだ。

 ちょっともぐってみようかな。

 そう思ったときだった。


 姉ちゃん……


 背後から腕が回ってきた。さっきとおんなじ、幼さの残る腕だ。

 きつく抱かれているせいでうまく首が回せない。

「どうしたの明梨。浮き輪あった?」

「……」

「明梨?」

 後ろから回された腕はなんとなくいつもより白く見える。

さみ……」

「寒い? っ……!」

 私ははっと息をのんだ。

 前に妹がひどい熱を出して、びっくりするくらいひたいが熱くなっていたときと同じくらいの衝撃しょうげきだった。

 しかし、今はその時とは温度が真逆だ。

「駄目……早く上がらないと!」

 身をよじってそう訴えた。しかし、彼女は身体を動かすどころかさらにきつく抱きついてくる。

さみい……」

「だから……!」

「なんで……?」

「え?」

「なんで。なんで……」

「明梨?」

「なんで……! なんでっ!」

「どうしたの……」

 呆気あっけに取られた、その時だ。



「お姉?」


 

「え?」

 瞬間、腕の感覚が、なくなった。

 あれだけきつく抱きしめられていたのに、まるで幻だったかのように。

 振り返ると、浮き輪でふわふわと浮きながら、こちらに妹が来るところだった。

「あ、明梨……」

「おもしろいねー海」

 けらけらと楽しそうに笑う妹。明らかに今来たという様子だ。

 じゃあ、さっき後ろから来たのは、誰?

 ぞわり、背筋せすじが波を打つ。

 近づいてきた明梨に、私は飛びついた。

「わっ! ちょっとお姉、何?」

「戻ろう……。海、怖い……」

「え、ええ……?」

 水の中で、腰は抜けていた。だから浮き輪に縋りついて、砂浜まで戻った。

 妹はアヒルのように、必死に足をばたつかせてくれた。


 その後の記憶は、何故かない。

 家に戻ったのは確かなのだけれど、どうやって戻ったのか、家族とどんな会話をしたのか、全く覚えていない。  




                             次回完結

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