第4話   藪 入 り


 正月の藪入りは十六日、目当てのお圭がいなくても、宗助は律義に喜市を訪ねてきた。

「足が覚えてるんだよ。他に行く処無いし」

「男二人じゃ何だか様にならねえなあ」

ぼやきながら、喜市もいつものように宗助と肩を並べて明神様の鳥居をくぐる。

石燈籠の脇には七味唐辛子の屋台が出ていて赤い手拭で鉢巻をした小太りの女が店番をしていた。

「お圭の店はよく売れてたからな、贔屓ってほどじゃねえが、唐辛子は明神様で買うってえ客も多い。あのショバは取り合いだったらしいよ」

喜市がそう言うと、宗助はふうんと鼻を鳴らして呟いた。

「唐辛子がしけってそうだ」

喜市が吹き出し宗助も笑いだして、ようやくぎごちなさがとれた。

「守銭奴に・・」

と宗助が拳を上げると。

「なってやろうじゃねえか」

と、喜市がその拳に自分の拳をふつけた。

参拝を済ませた二人は、水茶屋で団子をかじりながら近況を語り、門前町をぶらぶらしながら愚痴を言い、蕎麦屋の二階で今後の見通しを語った。

「見習いとはいえ一応番頭だろう?そうそう勝手はできないんだよね。旦那様は大目にみてくださるけど」

「そうだろうな」

「でね、山根様にお願いして、前もって問題を知らせてもらうことにしたんだよ。で、解への道、その一から三までを作って高麗屋さんに預けておくことにしたんだ」

「なんだその〈かいへの道〉って。アサリかハマグリの漁場か」

「ちがうよ、答えを導き出す道しるべって意味だ」

「あ、なるほどね。そうか、易しい順に一・二・三か」

「最後は自分で答えを見つけないと楽しくないって,山根様に言われたからね」

(解への道)の使いみちは 高麗屋のご隠居に任せていて、宗助は三つの(道)で二朱。藪入りの時にまとめてもらうのだそうだ。

ほら・・と宗助は巾着から小判を数枚出して見せた。

「おお、すげえ。立派な守銭奴だ」

喜市が手を打って喜ぶ。

「自分で持ってると物騒だから、武藤先生に預かってもらおうと思ってるんだ」

「それがいいかもな。おいらの分と合わせて・・それはそうと、身請けの値があがったらしいな」

「え。そうなのかい?前は確か三十両って」

「お圭の奴、啖呵売女郎なんて言われてよ」

ちょっと話題になり、人気も出た。手放したくないと思ったのか、於福屋が身請けの値上げを言い出したのだという。

「五十両とか吹っかけたらしいけど、太市の兄貴がそれは阿漕だろうって」

「で・・・」

「四十両」

「そんな・・」

宗助は苦虫を噛み潰したような顔になる。

この十月、頑張ってやっと四両1分だ。

「十年かかる」

「おいらが半分稼ぐから五年だな」

「稼げるのかい」

「まぁこれからだな。さっき話した人達が動いてくれたら、観音屋の新しい仕事になると思うんだけど、まだ何とも・・」

「お役人が絡むとねえ」

「そうなんだ。でもこれは金儲けのためじゃねえ、使い捨て同然の人足たちのためでもあるんだ」

「うん、うまくいくといいね。」

言いながら宗助は、旦那様や算学志の面々で、普請奉行様とか偉い人たちに口をきいてもらえる人はいないかと考えを巡らせていた。


蕎麦屋を出ると、二人は自然に別の方向に向かった。お圭が一緒だと、あっという間に一日が過ぎたが、今は時が惜しかった。

宗助は浅草片町にある天文台、(頒暦所ともいう)、に向かった。

元々、天体観測をし暦を作るのは都の陰陽師の仕事だった。徳川の世になって、幕府はこれを渋川春海と言う人物に委託した。渋川は自邸を司天台と称して観測を始めたが、低地であったり、樹木に邪魔されたりで何度も移転を繰り返し、天明二年(1782年)浅草片町へ、天保十三年(1842年)には同じ浅草だが九段坂上に天文屋敷を作っている。

宗助はすでに一度見学を許されて、大きな物干し場のような縁台に太陽と月の運行を表した天球儀や、大きな三角定規や規矩元器、分度の矩、根発{コンパス}のような道具を見せてもらっていた。

「米を全ての基礎に置いているわが国では月の満ち欠けを基にした太陰暦を用いている。一方、異国では太陽の動きを基にした太陽暦を用いておる。例えば・・」

と、説明も受けた。長崎の出島にやってくるだけでなく、あちらこちらで異国の舟がみかけられるようになった昨今、太陽暦と我が国の暦の摺合せも重要なのだと教えられた。

またここは蛮書和解御用を勤める蛮書調所でもある。鎖国しているとはいえ、異国との交流が全く無い訳ではないから、最低限ではあっても異国の政治、経済、社会情勢を知り、暦上の日時も擦り合わせる必要があったためで、八代将軍吉宗の英断だったという。

つまり、ここでは算学だけでなく、医学、地誌学、科学等々、堂々と海外の書物を調べることができた。ちなみに、この少し前、彼の伊能忠敬が、最新の測量法を学びに通い、後に大砲を作るための反射炉を韮山に作ることになる韮山代官の江川英龍が通ったのも、ここ浅草天文台だった。

宗助は、算学志の師匠である天文方の山根様にもう一度見学したいと願い、今度の藪入り、すなわち今日、訪ねて来るよう言われていたのである。


一方、喜市は人足仲間の亀の親父っさんと鶴次郎に呼び出されていた。昼は一善飯屋、夜は居酒屋という最近流行の店で、色は売らないからカラッとしている。

暖簾を払って腰高障子を開けると。いらっしゃーいという小女の声と、おい、こっちだこっち・・という鶴次郎の声が重なった。

結構広い土間に、樽の上に板を乗せた卓が四つ、小上がりの席がそれを囲んで、奥には障子を開け放った座敷もあり、その座敷から鶴次郎が顔を覗かせていた。

客は七分の入りというところか、ごめんなすって、と喜市は客の間を掻き分けて座敷にあがると、膝をそろえた。

「お待たせして申し訳ねえ。遅くなりやした」

ぺこりと頭を下げると。

「ガキだたぁ聞いてたが、こりゃ本物の小僧っ子だぜ」

いきなり頭上から野太い声が降ってきた。

「もう、のっけから喧嘩腰はよしねえな、京さん。小頭、こいつが俺と同じ杭打ちの京、京と・・お前え京太だっけ、京三だっけ」

「どっちでもいいや」

京さんはそっぽを向く。

「で、京さんの隣のち・・いや小柄なのが野面積みの平さん。そっちの色男が蛇籠の七郎ってんだ」

喜市は一人一人に頭を下げた。

「で。本当の処、幾つなんだい」

蛇籠の七郎が欠伸混じりに聞いた。

「ご挨拶が遅れやした、観音屋喜市と申しやす。土方人足を始めて一年にも満たねえひよっこで。年が明けて十九になりやした」

「ふうん、そのひよっこが川普請の差配をしようってえのかい?」

「とんでもねえ。普請の差配は皆さんがなすっておいでじゃありませんか」

「どういうことだい?鶴と亀の話じゃよくわからねえ。筋道立てて話してみねえ」

喜市は丹田に力を入れて座りなおした。

「あっしが始めて川普請に出たとき・・」

川に入るまでは確かに小桜組の若い衆が仕切っていた。しかし川の中に入ると、杭を打つ者、蛇籠や板で流れを遮る者、崩れかけた石垣を補修する者と見事に分かれ、自分たちのような新入りも、お前はあっちに回れとか、こいつをやってみろとか、振り分けてくれる。

「あっしは最初、杭を支える仕事をさせてもらいやした。そん時・・」

二間ほど上流で、いままさに重い掛矢が振り下ろされる、その瞬間杭を支えていた男が足を取られて尻もちをついた。

「あっしは尻もちをついた男が掛矢に叩き潰されると思わず目を瞑ったんです。でも、悲鳴も骨の折れる音もしませんでした。恐る恐る見てみると、掛矢は男のほんの二寸ばかり横にうちこまれてやした」

「時々いるんだよ、ああいうひょろひょろしたのが、危なくってしょうがねえ」

鶴次郎が嘯いた。

「名人だと思いやした。杭打ちの職人で、名人だと」

同じように、亀の親父っさんの石組の見事さにも感動した。

そういう目で見てみると、川普請は二人のような手練れを中心に動いている。小桜組が何を言おうと、川の中は彼らが差配していた。

「ところが、二人の給金を聞いて腰が抜けました。新米のおいらと百文も違わねえんですよ。そんなことってありますか?」

「あいつらは俺たちを職人だなんて思ってねえ、只の人足としか思ってねえからな」

杭打ちの京さんが悔しそうに呟いた。

「なるほど、それで鶴組・亀組か」

野面積みの平さんが吐息と共にそう言った・

「へい、初めから皆さんに普請を仕切ってもらい、人数や工期も決めてもらったら、こないだのように工期が延びるなんてことにはならねえと思いやした」

「なるほど、鶴や亀の言うように面白いとは思うが・・」

「へい、まだ海の物とも山の物ともわかりやせん。お役人には賂も絡んでるみてえだし、ややこしい手続きなんかもあると思いやす。皆さんにも“助”ってぇか手下みたいな人を幾人か見つけてもらわにゃあならねえし、給金のことも・・」

今のような一律の給金に腕によってちょいと足し前なんてケチなことはしないで、頭は幾ら、助は幾ら、腕の確かな者、ちょいと慣れた者、新米と、誰が見てもすぐ分かる給金にする。しっかり働けば給金があがるとなれば励みにもなるし、頭の技術を学ぼうとする者が出てくるかもしれない。

喜市の説明に、五人はそれぞれ考え込んだ。腕を組んで虚空を睨む者、猪口を持ったまま目を閉じて考え込む者、唸り声をあげる者。

「ややこしい計算やら何やらは、お前さんがやってくれるのかい?」

「へい、誰が見ても一目でわかるような、給金表を作ろうと思ってやす。」

喜市が生真面目にそう言うと、蛇籠の七郎が徳利を差し出した。

「人足仕事なんぞ、しんどいばかりで金にならねえと思ってたが、何かわくわくしてきやがったぜ、ま呑んで下せえ、親方」

喜市は思わず”親方“を探して目を泳がせたが、自分のことだとわかると慌てて手を振った。

「親方なんてとんでもねえ。親方は皆さんであっしはお役人や人宿や、普請場の周りの衆との使いっ走りでさあ。喜市と名前えで呼んでもらってもいいが、呼びにくいなら”小頭“と呼んで下せえ」

「いいだろう小頭。普請場を仕切るとなりゃあ今までと違う目で見直さなきゃならねえ。今日の、明日のってえ話じゃねえよな。目途は・・そうさな、四月か、五月って処か?それまでは時々打ち合わせだな。よし、今日は呑もう」

杭打ちの京太が大声で酒を追加した。

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お圭   その三 @ikedaya-okami

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