花の乙女が恋をして

寄賀あける

花の乙女が恋をして

戦場と化した地上に、再び乙女らは舞い降りた。地上に降り立つのはこれで何度目になるだろう。


まこと人とはなんと愚かなものなのか。二人以上いれば、常にそこにはいさかいの種がある。そして時に、知らずの内に争いは始まり、やがて自らを焼き尽すほど大きな炎となっていく。


人がこの星に生まれて以来、幾度となく繰り返される愚行、乙女らはただ呆れて眺めるばかりだ。


あるいは神のわざなのかもしれない。貪欲さを、罪深さを、卑劣さを、人に与えたのもまた、神なのだから。

でも、そうだとしたら、神もまたなんと愚かなのだろう。




生と死を定める乙女の一人、赤い花のロットはため息をついた。


命を奪う火は嫌いだ。命を脅かす流血など見たくもない。その二つの赤は、ロットの願いに背くものだ。呪わしいものだ。


赤には命をつかさどっていて欲しい。人に福をもたらすものであって欲しい。




別の乙女、薄紅色の花のローザもまた、ため息をついた。


今度は何人の命を死者の国に連れて行くことになるのだろう。生きる息吹が匂い立つ、薄紅色の頬が青白く変わるのを何度見なければならないのだろう。


命が消えるのを目の当たりにするのに慣れることなどない。ローザはきつく唇を噛んだ。




また、別の乙女、青い花のブラウがため息をついた。


この戦争はどれほどの地を戦場とするのだろう。そして戦場以外のどれ程を戦渦に巻き込めば、理性の青い空を取り戻せるのか。


空を汚す戦争は心底嫌いだ。早く終わって欲しいものだとブラウは呟いた




さらに別の乙女、黄色い花のゲルプもため息をつく。


しばらくこの地の人々は太陽を仰ぎ見る事を忘れるだろう。太陽が地平線に昇る朝が来ることを信じられなくなるだろう。


そして穏やかな太陽に照らされる日が戻ってくることを願うだろう。せめてその日が早からんことをとゲルプは祈る。




古参の乙女、黒い花のシュバルツもため息をついた一人だ。


安らぎの夜を奪われて、人々はいつ眠るのか。父が闇は恐ろしいものではないと教え、母が静かな夢に誘い、男が女を抱き締め、女が男を包み込む。


そんな夜は当分望むべくもない。暖かく柔らかな寝床を戦争が奪っていくとシュバルツは嘆いた。




そして、新たに加わった乙女、白い花のワイスはため息をついた。


初めての戦場で初めての勤めを、しっかりと、間違えずに果たせるだろうか。生き永らえる者、死におもむく者、それを決めるなんて、なんと難しい。


そもそも命を落とした者を死者の国に連れて行く時、なんと告げれば良いものか。ワイスは緊張で身を引き締める。


そんな乙女たちが己の使命を果たすため、戦場へと散っていった。




赤い花の乙女ロットは見た。


国境に向かう兵士たちは長々とつらなり、すべてを飲み込む蛇の姿と変わっていった。その蛇の舌先は赤い火だった。


敵対する国に向かい、敵対する国の兵士をあやめるためのその隊列の一人ひとりに意思はあるのだろうか。


ロットは兵士たちの顔を見た。「祖国のために」と、ある兵士が小さく呟くのをロットは聞いた。


 



薄紅色の花の乙女ローザも見た。


国境に集まった兵士たちは皆若く、薄紅色の頬は命の輝きと、決意の輝きを見せている。生まれ故郷を、親兄弟を、友人を、そして恋人を、蹂躙させてなるものか。


だがやはりそれも、迫りくる敵国の兵士を殺めるための群れに違いない。


雄叫びがローザの耳に届く。兵士たちは口々に「祖国のために」と叫んでいた。




青い花の乙女ブラウは見ていた。


空を引き裂く火薬の弾道、空を飛び交う悪意の翼、そしてそれを迎え撃ち、叩き落さんとする地上の怨み。


すべて空にも地にも似つかわしくない。空にも地にもあってはならないものだと、なぜ人には判らないのだろう。


判っていても忘れる時があるのが人なのだと、ブラウはここでもため息をついた。




黄色い花の乙女ゲルプも見ていた。


太陽よりも強い光、太陽をおおい隠す噴煙、そして耳をつんざく爆音、それらが人々を襲い、それらから人々が逃げ惑う。


ある者は戦渦を避けて隣国へと落ち延び、ある者は祖国の行く末を案じて故郷にとどまる。またある者は兵士となるべく国境へ向かった。


人々の、数多あまたの涙で濡れた頬をゲルプは拭いた。別れの苦しさにさいなまれ、優しい風が頬を乾かすのに人々は気が付かなかった。




黒い花の乙女シュバルツは目を凝らして見ていた。


ある兵士は死の恐怖に震え、ある兵士は殺める恐怖に震え、ある兵士はその両方に震えている。


だが闇はそれを許さない。兵士としての義務が彼らを鼓舞し、歩みを止めることを禁じた。


兵士たちはどこへ行くのだろう。闇はどこから来たのだろう。


シュバルツは彼らの心がむしばまれていくことを知っていた。そして戦争を終結させるには闇を追い払うしかないと知っていた。




白い花の乙女ワイスは若者を見ていた。


戦場で、戦場ではないのに戦渦に見舞われた場で、未だ戦渦の及んでいない場で、若者の瞳は常に前を見ていた。


ときに友を励まし、ときに怪我人の手当てをし、ときに退避の手助けをした。


若者は兵士であり、民間人であり、攻めてくる国の子であり、攻め込まれる国の子だった。そう、間違いなく誰かの子だった。


白い花の乙女ワイスは若者を見た。


この中の誰に死を告げるべきか。生を与えるべきか。そして若者の周囲を見た。すべての人々が、すべての若者に繋がる者だった。


死を告げるべき人がいない。ワイスは思い悩んだ。




爆音に乗って火は踊る。途切れる事のない叫声が、それでも僅かに途切れるとき、感じる気配は闇のものか。


闇は何を求め、どこへ人々をいざなうのか。




薄明りの中で若者が乙女を見詰める。乙女もまた若者を見詰める。

「僕は行くよ、キミを守るために」

「そんな事は望んでないのに」


若者の決意が乙女には判らない。乙女の涙の意味が若者には判らない。そしてどちらがよりとうといか、それは誰にも判らない。


ただ、白い花の乙女ワイスは願う。どうか乙女の望みが叶うように、と。


乙女の望みは若者との未来。花咲く未来が訪れる事をワイスも願わずにいられなかった。





地に放たれた炎が踊り狂う。多くの命が彷徨さまよって、多くの苦しみと怨みを生む。それをまた炎がらう。


そしてさらなる苦しみと怨みが生み出され、ますます炎が大きく踊る。





攻め込む国の妻がむせび泣く。妻は攻め込まれる国からきた花嫁だった。かの地に暮らす肉親を、兵士となった夫が殺めることになるかも知れない。


おのれの肉親が、愛する夫を奪うかも知れない。妻は泣くよりほかになかった。




攻め込まれる国の母親が涙をこらえる。母親は攻め込んでくる国から来た花嫁だった。夫と息子は兵士になった。母親は祖国を捨てる決意をした。


『今』を捨てることはできなかった。




攻め込む国の兵士は愛を捨てた。攻め込まれる国には恋を語り合う娘がいる。でも、それはもうかなわない。娘と結ばれることはない。


兵士は、愛とは何かと問われたくなかった。




攻め込まれる国の兵士は夢を捨てた。攻め込んでくる国に憧れて、いつかその地に住みたいと思っていた。でも、もう二度と思わない。憧れは憎しみに変わった。


兵士は、なぜ憧れたのか忘れてしまった。




生まれるのは憎しみと怨み。生み出されるのは苦しさと悲しさ。それなのに、なぜ人は戦争を引き起こすのだろう。


花の乙女たちは思わずにいられない。人は幸せを追い求めるものではなかったのか。幸せになるために生まれてきたのではなかったか。




いつしか戦場に歌声が響く。


祖国を、故郷を、肉親を、同胞を、恋人を、偲ぶ歌声が戦地に木霊する。メロディーは違っても、思いは国を問うことなく同じ。歌声はやがて美しい和音となった。


それでも炎は消えることなく地を焼き、人を焼き、思いを焼き焦がした。




おびただしい数の兵士が命を落とした。夥しい数の兵士以外が命を落とした。花の乙女たちはその命を等しく死者の国へといざなった。


花の乙女たちには選べなかった。戦場で死す者、戦渦で命を落とす者、その中に、死に値する行いをした者がどれほどいるというのだろう。


兵士たちは命じられ、そうでない者は巻き込まれ、責を負う立場にあるわけではない。


たとえそれぞれの祖国を思い、自らの意思で立ったにしても、それを誰が責められるものか。


だから、花の乙女たちは成り行きを見守る事にした。花の乙女によって生死を分けられた者はいなかった。






その中で、白い花の乙女ワイスだけは違っていた。


戦場で、戦渦に巻き込まれた街で、次から次へと命を生き永らえさせた。生きなさい、生きなくてはなりません、ワイスは多くの人にそうささやいた。


そしてワイスは巡り合う。多く敵国の兵士を殺めた兵士、若者に巡り合う。


若者の命は消えかけて、若者の心も消えかけて、必死でワイスは囁いた。生きなさい、あなたは生きなさい、と。


けれど若者は首を振る。大勢を殺めた自分が、なぜ生きられようか、と。


そしてワイスは思い出す。友を励まし、怪我人を手当てし、退避する人を手助けしていた若者は、この若者だったと思いだす。


思いやりにあふれた若者が、多くの人を殺めてしまう。そんな戦争をなぜ人は繰り返すのか。


ワイスは嘆き、怒り、そして思い至る。


若者を見たあの時から、私は若者に恋をしていたのだと。だから、若者に繋がる人々、すべての人々を生き永らえさせたいと思ったのだと。


愛しい人よ、死なせはしない、ワイスの想いに若者が微笑む。花咲く美しい乙女、あなたに愛されてもわが身の罪が消えることはない。


白い花の乙女ワイスは歌う。




血塗られた大地に花は咲かぬ

焼けただれた人の世に花は咲かぬ

踏みにじられた数多あまたの想い

取り消された数多の約束

忘れようにも忘れ得ぬ

忘れたくても忘れさせぬ

誰が彼に罪をなさせ

誰が彼を死に追いやる

誰が彼を憎んで恨んだ

誰が彼を愛して恋した

二度とこの地に花は咲かぬ

二度とこの世に花は咲かせぬ




それを見ていた黒い花の乙女シュバルツもやはり歌った。


血塗られた大地にも

やがて花咲く時が来る

焼け爛れた人の世に

やがて花咲く時が来る

踏み躙られた数多の想い

取り消された数多の約束

忘れぬ限り希望は残る

忘れぬ限り明日へと続く

彼に罪をなさせた誰か

彼を死地に追いやった誰か

その誰かを憎み恨みこそすれ

人々は彼を愛してやまぬ

再びこの地は花に溢れる

やがてこの世を花で飾ろう



他の花の乙女たちもそれぞれに歌った。それぞれの色の花を咲かせると約束した。そして声を揃え、人々にこう歌った。


追い払うべきは戦争

消え去らせるべきは戦争

その手に持つべきは武器ではなく

その目が見るべきは敵兵ではなく

その口が語るべきは罵倒ではなく

その頭脳が考えるべきは戦略ではなく

もう、その足で戦場に立つな

もう、その足で戦地に赴くな

平和の名のもとに平和を奪う愚行

平和の名のもとに立てるはただ平和のみ



歌の合間に黒い花の乙女シュバルツが、他の花の乙女に知られぬようにそっと白い花の乙女ワイスに入れ知恵をした。


若者に口づけすれば、花の乙女ではいられなくなるけれど、若者に生きる気力が戻るはず。そしてあなたは人として、若者とともに生きなさい。


白い花の乙女ワイスが若者に口づける。閉じかけた目を若者がゆっくりと開ける。


「僕の罪はどこに消えた?」

問う若者にワイスが答える。

「すべて闇のいる場所に」


花の乙女ではなくなったワイスが若者の手を取って微笑んだ。




遠く銃弾は響いていたが、若者と乙女には平和の足音が聞こえ始めていた。


そしてワイスは気付いていた。

白い花の乙女はもういない。花を咲かせぬ呪いも消えた。やがて大地に花が咲く。


勿忘わすれなぐさの白い花がいい、とワイスは思った。


平和を忘れるな、愛を忘れるな、と、勿忘草の白い花が咲けばいい ――


ワイスは強くそう願った。

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