アテナの横顔

@nobu65

第1話 買い物そして、放送室ジャック


 携帯電話もなく、テレビが華やかだった頃。まだ学校に本当の意味でゆとりがあり、土曜日(午前中のみ)にも授業があったころのお話。


 


 4月のある日の昼休み、おれは放送室の前で深呼吸を繰り返した。徐々に心拍数が下がっていくのを自覚する。放送室は第2校舎1階の西端にある。向かい合った校舎の2階にある職員室からは渡り廊下を通って150mほどだろう。2分以内に事を終えなくてはならない。もう一度深呼吸をしたのち、放送室のドアを3回ノックした。

 そこでは昼休みの校内放送が行われていた。

 マイクの前に座ってアナウンスしているのは山下。放送機械の前に座っているのは部長の森だ。森が突っ立っているおれにパイプ椅子を勧める。古びたパイプ椅子のきしむ音がおれの緊張感を増大させる。

 山下のアナウンスはあと1分ほどで終わる。その横で、森とおれは手筈を確認した。山下のアナウンスが終わるとリクエスト曲を2分かけ、フェードアウトしてコールサインのアナウンスの後、放送終了となる。

今日のリクエスト曲は「カルメン77」の予定だが、実は別の曲がかかる。

「落し物の連絡があります。2年2組の山本さんが青色のポーチを落として困っています。メーカーはプーマです。見つけられた方は、職員室にお届けください」

 山下は一度アナウンスを切り、声を整えた。

「今日はリクエスト曲の後、大事なお知らせがあります。ぜひ、お聴きください」

 

 森がおれに目くばせした後、テープデッキのプレイスイッチを押しこむ。

 全校にビートルズの『エニィ・タイム・アット・オール』が大音量で流れ出した。ジョン・レノンのシャウトがいかしてる。間奏でフェード・アウトをかける。

 山下が席を離れ、マイクの前に座ったおれは神経を集中するために目を閉じ、見えないリスナーに語りかけた。

「いきなり驚かせてごめんなさい。みんなにどうしても聞いてほしいことがある。みんな『村ばあ』を覚えているか?そう、この3月まで古文を教えてた村上先生だ。先生はこの春退職した。おれは先週街で偶然『村ばあ』に会った。その時、なぜ辞めたんですかって訊いたんだ。

 先生のお母さんは心臓が悪くて、何度も入院している。だれかが介護しなけりゃならないけど、家にはお母さんと『村ばあ』の二人きりなんだ。

『村ばあ』はこの学校を辞めたくて辞めたんじゃない。お袋さんの世話ができなくなるから、泣く泣く退職したんだ。

 転勤先の学校はJRの特急で片道3時間かかる。そりゃ、お母さんの世話は無理だろう。おれは、みんなにそのことをわかってほしい。こんな状況で、それでも『村ばあ』は転勤せないかんのか!みんな、どう思う!」

 放送室のドアを外からたたく音とともに、

「山村、放送をやめよ!!」

 怒鳴り声と、鍵穴に鍵を差し込む音が聞こえる。残り時間がない。

「一人の声じゃ何も変わらない。だけどみんなが声を合わせれば、事態は変わるかもしれない。繰り返す。『村ばあ』は、、、」

 誰かの腕が伸びてきて、アンプのメインスイッチが切られると同時に、すさまじいハウリング音が校舎中にこだました。

 4本の腕がおれを放送室から追い出し、体育教官室の4畳半「反省部屋」へと運んで行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る