86.しゃりしゃりなあいすくりん

 日本で最初にアイスクリームが販売されたのは横浜の『馬車道』です。1869年(明治2年)に、町田房蔵まちだふさぞうさんという人物が『アイスクリン』という名前で販売を開始しました。馬車道にあった彼の店は、日本初のアイスクリームショップとして知られているんだそうで、これが日本におけるアイスクリームの始まりと言うお話が先日ラジオから聞こえて来て思わずふ~~~んと思ってしまいました。


 ちなみにファミレスでお馴染みの『株式会社馬車道』とは全く関係無くて当時のお店は残ってないんですが横浜市中区本町・太田町・相生町・住吉町周辺に地名は残ってるみたいです。


 このアスクリンは当時日本語では『氷菓子ひょうがし』と表現されていて現代思い浮かべるクリーミーなバニラアイスみたいな物では無くて正に日本語表記の様に細かい氷の粒が感じられて見た目は白くて食べるとシャリシャリとした食感でさっぱりとした甘さの物だったそうです。


 で、たぶんこれと同じような物を私はその昔かなり頻繁に食べてました。特に夏場、青森の実家近くに有る弘前公園の中、ちょいと良いお年頃のおねい様方がリヤカーに見た目も鮮やかな青い屋台を積んで白い屋根を被った物を引っ張って売り歩いているのがこの食感そのまんま。さくさくコーンの上に丸く盛られたアイスクリン、夏の風物詩でしたねぇ。勿論、桜祭りの頃にも出展されてたんですが、私が子供の頃の桜まつり時期って結構涼しかったのであんまり耐えた記憶が無いですね。


 ただ、頻繁に食べてたのは小学校卒業することまでで中学に入ると夏場は吹奏楽部の練習で夏休み丸々学校に入り浸ってたのであんまり公園まで出かけて食べる事は無くなってそれ以降の思い出ってあんまり無いんですよね。ただ、コンビニのアイス売り場の箱の中を覗いてみるとそれに近そうなものが結構売られてるんですね。その名もずばり『昔懐かしアイスクリン』なんてのも有ったりしますもの。


 でも、食べ物ってその背景も結構重要な物で妙齢のおねい様が抜ける様な真っ青な夏空の元、屋台引っ張って鐘をちりんちりん鳴らしながら売り歩いているのを呼び止めてそれを雑談交えながら買い求めるって言うちょっとした隠し味みたいな物って意外と大切なんじゃないかって思うんですよ。風情とまでは言いませんがなんでもかんでも簡単に手に入ってしまう世界って正直どうなのって最近思ってしまうのは、ひょっとして年取った証拠なのでしょうか。


 前回のかき氷のお話もそうですけど、江戸時代は真夏に氷を食べるなんて事は十中八九じゅっちゅうはっく不可能だったわけで、それを裏返すと旬と言うのがはっきりしてて食べ物に対するありがたみって言うのが今より強く感じられてて逆にその不便さが喜びに繋がってたんじゃないかって感じてしまう訳ですね。


 便利さを可能にしているベースには電気って言う物が欠かせないと思うんですよ。最近電気代が高いって嘆くしかない状況になってて原発を再稼働したらいいんじゃないのって言う意見が強く発信されてます。でも、それで良いのか本当にって感じなくも無いんですよ。電気の消費量を減らせば温暖化も少しは治まりそうな気がしなくも無いですし(根拠となる理論、エビデンス等は全く有りません・・・)


 一歩引いてみる勇気って言うのも必要なんじゃないかしらんと思いつつ、コンビニでアイスクリンを買い求める私の行動に対する矛盾、どう理解すればいいんでしょうね。

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