第22話 夜泣きそば
「てらちゃんも誘ってみたらどうですか」
僕がふと思い立ち、みんなに提案した。
「そうだな」
守也氏が腕を組む。
「てらちゃんまだ生きてんの」
美咲さんが驚くように守也氏を見る。
「生きてますよ」
守也氏がそれはいくらなんでも失礼でしょといった感じで美咲さんを見返す。
「ああ、まあ、そうよね」
「そうですよ。ちょうど昨日会ったばかりですよ」
「あっ、またお金借りに行ったんだ」
美咲さんがにやりと守也氏を見る。
「え、ええ、まあ」
守也氏はどもる。美咲さんはお見通しだった。
「でも、来ないんじゃない」
美咲さんが言った。
「そうですね」
守也氏がうなるように言う。
「今まで来たことないですもんね」
赤木氏。
「うん」
守也氏がうなずく
「そうなんですか」
僕が訊く。
「うん、一度もない」
守也氏が目を閉じうなずく。
「本格的なんですね」
「筋金入りだよ」
この当時まだ引きこもりという言葉はなかった。
「ところで、お腹減りましたね」
赤木氏が言った。会も進み、キャベツ炒めだけではさすがにちょっと物足りなくなってきた。
「じゃあ、私なんかつまみを作ってくるわ」
美咲さんがそう言って立ち上がりかけた。
「いや、大丈夫です。大丈夫です。やっぱり僕たちお腹空いてません」
慌てて僕たち三人は同時に叫んだ。
「そう、全然空いてません」
僕たちは立ち上がろうとする美咲さんを全力で止めた。
「あらっ、そう?」
「はい、大丈夫です」
僕たち三人はかなり無理のある作り笑いを浮かべ美咲さんを見た。美咲さんはどこか納得しない顔をしながらももう一度座りなおした。
「そういえばせんべいがあったよ。昨日野々村さんにもらったんだ」
守也氏が、茶箪笥からせんべいの袋を取り出した。
みんなバリバリと小気味いい音を立てながら、せんべいをかじり始めた。
「固いっすね」
赤木氏がものすごい形相で、顔全体を使ってせんべいをかみ砕く。
「げんこつせんべいだからなぁ」
守也氏も歯を食いしばるような表情でせんべいをかじっていた。せんべいは、岩石のように固かった。
「じゃあ、あたし行くわ。仕事あるから」
時刻も深夜に近づき、宴もたけなわこれからという時、美咲さんが突然立ち上がる。
「えっ、今日ぐらいいいじゃないですか。まだ焼酎ありますよ」
赤木氏が言った。
「そうもいかないのよ。明日までにネームやっとかないと」
そう言って、自分の部屋に美咲さんは行ってしまった。
「やっぱ週刊連載って大変なんだなぁ」
守也氏が呟く。
「ええ」
赤木氏が答える。
「というか、僕たちの方こそ漫画描かないといけないんですけどね・・」
「・・・」
僕が言うと、みんな黙った。それはみんな心の底で強烈に感じていることだった。全員の頭に君子さんの顔が浮かんだ。
「それにしても、腹減りましたね」
赤木氏がお腹を押さえながら言った。
「ああ」
守也氏もお腹を押さえる。
パッパラパ~ラ~
そこに、何とも間の抜けたラッパの音が鳴り響いた。
「あっ、夜泣きそばだ」
と、誰かが気づくか気づかないかのうちに、もう僕たち三人は立ち上がっていた。そして部屋を飛び出す。
外に出るとちょうど、夜泣きラーメン屋台の車がトキワ荘の前の道路にやって来るところだった。
「おお~い」
僕たち三人は、両手を思いっきり振りながら、ものすごい勢いで屋台の車を止めた。
「ラーメン三つね」
暖簾をくぐると同時に、守也氏が三本の指を突き出して言った。
「はいよ」
人のよさそうなスキンヘッドの対象が小気味よくそれに答える。
「ああ~、めっちゃいい匂いですね」
僕が鼻から思いっきり空気を吸い込む。
「うん」
他の二人も、同じように思いっきり鼻から空気を吸い込む。スープのいい香りが鼻の奥に入って来る。
「おじさん、最高のタイミングだよ」
守也氏が、夜泣きそばのおじさんに声をかける。僕と赤木氏もうんうんとうなずいている。
「ん?」
そこにまた誰かトキワそうから人が出てきた。
「あっ」
その人を見て、僕たち三人は同時に声を上げる。
「あっ、あんたたち」
美咲さんだった。
「み、美咲さん・・」
「あなたたちの部屋をのぞいたら、誰もいないから変だと思ったのよ」
美咲さんが鋭く僕たちを見る。
「すみません」
思わず僕たちはあやまる。
「なんであたしを誘わないのよ」
「いや・・、もう夢中で・・」
守也氏が答える。正直、ラーメンのことしか頭になかった。
「ん~、もう」
美咲さんはふくれっ面をする。
「ラーメン一つね」
そして、美咲さんが大将に向かって指を一本立てる。
「はいよ」
大将はやはり愛想よく答える。
「あっ、そういえば、お腹空いていないって言ってなかったっけ」
美咲さんが横目で再び僕たちを見た。
「い、やぁ~、急にお腹が・・」
僕たち三人はお腹を押さえる。
「急にねぇ・・」
美咲さんはぎろりと、滅茶苦茶疑いの目で僕たちを見てくる。
「はい、ラーメン三つお待ちどう」
そこに大将が、完成したラーメンをカウンターに置いた。
「あっ、美咲さんお先にどうぞ」
僕が言った。
「そうそう、美咲さんどうぞ」
すると、二人も慌てて真似て言う。
「あらっ、いいの?」
「は、はい、どうぞどうぞ」
「じゃあ、いただくわ」
美咲さんは割り箸を取った。そしてコショウを手に取り振りかけた。
「あなたたちもいる?」
「あ、はい、お願いします」
三人同時に答える。
「ところで残り二つは誰が食べるの」
「・・・」
僕たちは顔を見合わせた。
「ジャンケン」
誰が言うともなく、僕たちは拳を振り上げていた。こういう時、仲間とか平等なんてものは関係なくなる。
「ポンっ」
「あああっ」
負けたのは僕だった。
「うううっ、グーのバカ」
僕は震える自分の右こぶしを恨めし気に睨んだ。
「おいしいな」
三人が僕を尻目に、ラーメンをかきこむ。
「うううっ」
僕はそれをよだれを飲み込みながら黙って見つめた。
「ふぅ~、うまかったね」
ラーメンを食べ終わり、守也氏が至福の声を上げる。
「はい」
僕たちもそれに答える。やはり夜中のラーメンは最高だった。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
「あっ」
その時、僕たち男三人は同時に叫んだ。僕たち男三人は誰もお金を持っていないことに気づいた。
「・・・」
僕たち三人は顔を見合わせる。
「まったく、しょうがないわねぇ」
すると、それを見た美咲さんが財布を開いた。
「ありがとうございます」
僕たち三人は並んで同時に美咲さんに深々とお辞儀する。
「今日は私のお祝いじゃなかったの」
「・・・」
僕たち三人は誰も何も言えなかった。そして、自分たちの不甲斐なさにうなだれた。
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