魔を統べる王の好きなもの

因幡寧

第1話

 東の小さな島には魔を統べる王がいるらしい。闘争を求めるある剣士はそんな噂をもとに船に乗り込んだ。……その船の貨物を装って。


 噂によれば、かの王の右目に白目はなく、そのすべてが吸いこまれそうな漆黒であり、その目は相対するものの心すら読んでしまうとか。加えてその左腕は木製の歯車で組み立てられた魔道具であり、その腕からは数多もの強力な魔法が瞬時に放たれるとも聞く。


 まだ見ぬ強敵に狭い箱の中で思いを巡らせながらうとうととしていると、いつの間にか目的地に到着していたらしく気づいたときには剣士の入り込んだ貨物はどこかに運び込まれた後のようだった。


 海の上特有の揺れから解放された剣士はじっと耳を澄まし、外の世界を推測しようとする。人の声、誰かの足音。あるいは風の音。そんなありきたりな音すら剣士の耳には届かず、永遠とも思われる静寂だけがある。


 ゆえに、剣士は慎重に貨物の蓋を押し上げようとした。……だが、返ってくるのは想定よりも固い感触で、蓋はびくともしない。


 考えればすぐにわかることだった。自分が入り込んだ箱の上に、また別の何か重い荷物が置かれたのだ。


 事ここに至っては仕方がないと何度か大声を出してみても、誰かに届いた気配はない。


 ――途端に、背筋になにかひやりとしたものが通った。同時に、嫌な予感が次々と浮かぶ。


 どうにかこの状況を打開しなければ。そんな焦りを覚え、いつも使っている短剣を自分が携帯していることを思い出した。剣士としての装備はほかの貨物に紛れ込ませたために今この場にはなかったが、唯一短剣だけは何かあった時の護身用にと持ち込んでいたのだった。


 手探りで短剣を握りしめ、箱の内側に突き立てる。当然ながら貨物の箱はある程度頑丈にできており、その程度では穴をあけることなどかなわない。しかし、剣士の狙いはそれではなかった。


 確認用にごく小さな光球を生み出した剣士は、短剣を突き立てた面に傷ができているのを確認すると、手早くその傷を広げ線にしていく。

 常人に比べマナの量が少ないその剣士は、光球を生み出す初歩的な魔法ですら短剣に刻まれているルーンの補助を必要とした。マナの消費量を考慮すると、あまり時間はない。


 手早く知識の中にあるルーンを完成させた剣士は光球を消しさり、一呼吸置く。そうして最後に大声を出して周りに人がいないのを確認した後、狭い箱の中でできる限りルーンを刻んだ面から離れ、その魔法を起動した。


 体内のほとんどのマナが持っていかれる感覚とともに視界を光が覆う。

 剣士自身が使われたことのある対人用の攻撃魔法ゆえに強い指向性を持った魔法ではあったが、狭い箱の中で使ったこともあり剣士も多少の被害を被る。同時にマナ不足で意識がもうろうとしているのを感じた。


 閃光がおさまると、そこには人が一人ギリギリ通れるくらいの穴ができており、箱がきしむ音も手伝って剣士は大急ぎでそこから這い出す。マナをほとんど使い果たした剣士にはその行動が思っていたよりも重労働で、完全に体を箱から出すその時には意識をつなぎとめるので精いっぱいだった。


 ぼんやりとした視界の中で、はい出てきた箱が上の荷物の重みに耐えきれず破損する音が聞こえる。ガラガラと何かが崩れ落ちるような音が次いで聞こえ、振り返った剣士の目にはなにか大きいものが落ちてくる影が見えた。




 ……目覚めた剣士の目に最初に飛び込んできたのは回転するいくつもの歯車だった。思考がはっきりしていくのに合わせて、それらが駆動する音も耳に届く。


 そこでようやく最後の光景のことを思い出した。


 剣士は勢いよく上体を起こし、自分の体を確認する。死んでいない以上何らかの大きな怪我を負っているだろうと覚悟しながら眺めた体には、自分の放った魔法による損傷は見受けられてもそれ以外の傷は一つも見当たらなかった。


 あの大きな影は幻影だったのか。そんな疑問を感じていたところに扉が開く音が聞こえた。同時に女の声が聞こえる。


「やあ、起きたかい」


 漆黒の右目、機械仕掛けの左腕。うわさに聞いた魔を統べる王。それが、すぐ目の前に現れた。


 反射的に剣士は寝かされていたベッドから飛び起き身構える。


「せっかくわざわざ介抱してあげたのにその反応は少し傷つくな」


 女の手には剣士自らがほかの貨物に紛れ込ませた装備が抱えられていた。


「まあ取りあえず座りなよ。なにもしないから。これも返すし」


 魔を統べる王。そううわさされる対象が本当にこの女なのかを疑ってしまうほどゆったりとした声色だった。だが、噂通りの特徴を持つものがそうホイホイといるわけがない。


 女はベッドの上に装備を置き、それでも警戒を緩めない剣士に一つため息をつくと椅子を持ってきて座り込んだ。


「君のせいで君一人分箱の中身が届かなかったんだから。そのせいで材料足りないし、多少損してるのにさらに時間を使って君をここに寝かせたりしてるわけ。……だからまあ、なんでこんなことしたのか話ぐらい聞かせてくれない?」


 大人が子供に説教するように、女は剣士に語り掛ける。……事実、剣士は若く、確実に女より年下であることは確かだった。


 剣士は女のその言葉を聞き、警戒を緩めることを選択した。自分が密航者であることは疑いようのない負い目であるし、噂の中で魔を統べる王とされたその存在が邪悪であるとはとても思えなかったからだった。向こうから襲ってこないのならば手合わせをお願いするしかなく、それには友好的な態度こそが必要だと感じたからでもあった。


 剣士が事情を語る間女はただじっとしていたが、時折何もないところに視線を向けることがあった。闘争の中で視線というものに敏感になった剣士にはその女の視線が自分の周りを飛び回る何かに向けられているように見えた。だが、剣士の周りには何も飛び回ってはおらず、それだけが不気味だった。


「困ったな。そんな噂が流れてるなんて。私王になんてなった覚えないんだけど。それに、多分君のほうが強いよ?」


 ひとしきり聞いた後女が初めに口にしたのはそんな言葉だった。


 じゃあその目と腕は何なのかと剣士が問うと、少し自慢げに女はその正体を口にする。


「これ? これは妖を見るために自分で改造した目と、妖に触れないかなって自分で作った腕だよ。今はあの装置があるから無用なものなんだけどね。あっ、妖っていうのはこの地に根付く君たちで言う精霊みたいなので、ここにしかいない固有の種なんだ。それで……」


 つついてはならない部分だったのか、女は怒涛の勢いで妖というものについて説明を始める。気圧されながらも剣士は女がその妖を研究している人物であり、加えて妖という存在が好きすぎるがゆえに目と腕を犠牲にしたことを理解した。剣士はそこまでする女の熱量に少し引いた。


「……まあ、だいぶ話が脱線しちゃったけど取りあえず私は君が言うような存在じゃないってことさ。私と戦う価値なんてないと思うね。ていうか絶対痛い目にあうからごめん被る。痛いのは嫌いなんだ」


 剣士はすでに噂が噂でしかないことをわかっていたし、自分の行動が徒労でしかなかったということも理解している。剣士の目標はここにはなく、それならば次にするべきことは決まっていた。


「え、贖罪のために何でもするから帰らせてほしい? 贖罪なんてしなくても別に……、あーいや、じゃあその子を一緒に連れてってくれる?」


 次の強者に出会うために思考を切り替えた剣士に向かって女は虚空を指さしそう返す。

 妖の存在とそれを見るための目の説明を聞いた今となっては、先ほどの経緯の説明中に女が見ていたものが何だったのかということにも見当はついていたが、改めて自分の周りに自分には見えていないものが存在することを指摘されると言葉にできないものがある。


「あ、ごめん。……ねーだれかー、あのゴーグル持ってきてー!」


 急に誰かに向かって大声を出す女に呆然としていると、扉が開き謎のゴーグルだけがふわふわと浮かびながら入ってきた。


 奇妙な光景に剣士がぎょっとする中、女はそれをつけるよう促す。こわごわとそれを受け取った剣士は促されるままそれを装着し、今さっきの光景に納得がいった。そして常日頃こんなことを誰かの前でやっているから魔を統べる王なんて呼ばれているのではないのかとかすかに思う。


 ゴーグルを通した世界では、女の横に大きめの獣のような存在が浮かんでいる。そして自分のそばに小さなそれと似た白い獣が浮かんでいるのがわかった。


「その子は君が気に入ったみたい。だから君の旅に連れて行ってほしいの。私が最近開発したそれもあげるからさ」


 剣士は何でもするといったものの、旅に同行者が増えることはあまり好ましく思わなかった。それゆえ少し拒否する態度を見せるがそこに女は剣士がこの島に着いた時のことを詳しく説明し始めた。


「その子が君が貨物に紛れ込んでることを教えてくれたの。君が箱に閉じ込められてることを私に伝えて、先に戻ったその子が無茶なことをしたあなたを落下する貨物から守りもした。つまり命の恩があるってわけ。それに、君が苦手な魔法もその子が助けてくれれば多少は使えるようになると思うよ」


 女の言葉に合わせてすがるように白い獣が剣士の周りをまわる。その時、背筋にひやりとしたものを感じた剣士は箱の中で感じた感覚とそれが同じであることを思い出す。その感覚はその時この獣が近くにいたこと――つまり女の言っていることが事実であることの証明にもなった。


「うん。じゃあ交渉成立ってことで。三日後にもう一回船が来るからそれに乗って帰りなよ。旅を共にすればきっと君も妖が好きになるよ」


 そう言葉にする女の笑みが剣士の脳裏に強く残った。

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