恋の季節は終わらない

クララ

第1話 午後のアンティークマーケット

 その日、学校帰りにまずはコベントガーデンに寄った。まっすぐ本屋に行くつもりだったけれど、その前にどうしてもと、ヴェロニカにせがまれたからだ。甘え上手なこの親友の頼みを断れた試しがない。特に急いでいるわけではないし、目的はなくても目の保養にはなるだろうと頷いた。

 彼女がお目当てのブースを覗いている間、ふらふらと近くを歩き回る。平日の午後、中途半端な時間のためか人出はそれほどでもない。ヴェロニカが私の姿を見失うこともないだろう。

 ふと、小さなブースが目についた。小綺麗でいい感じ。女の子が一人、スツールに腰掛けて奥で本を読んでいる。気軽な店番といったところだろうか。積極的な接客もなさそうなその雰囲気に、ここならいいかと足を進める。

 アンティークのジュエリーやレースのテーブルクロスにドイリー。バイヤーが目の色を変えるようなものではないけれど、大好きな祖母の家的な、丁寧で美しい生活を感じさせるセレクトには好感が持てた。


「ああ。どうぞ、ごゆっくり……」


 私の気配に顔を上げた彼女は、ちょっと微笑んだだけでまた本へと視線を戻す。どうやら思った通り、自由気ままにさせてくれるようだ。ありがたい。私はゆっくりと古びた品物を見て回る。大事に使われ、時を経たものというのはいい。アンティーク、ヴェロニカほどではないけれど、凝縮された時間がうっすらとベールのようにまとわりついているかのような雰囲気が私も好きだった。と、一枚の絵を前に足が止まる。


「……まさか……」


 テーブル上の小さな絵。それはざっくりしたスケッチを部分的に薄く色付けしたものだ。スケッチブックからちぎったままの無造作な感じがいいアクセントになっている。けれど問題はそこではない。その絵の中、こちらを向いているもの……。

 後ろ向きの女性。そしてそこに寄り添うようにいるのは巨大なライオン! たてがみはないけれど、間違いなくライオンだ。それも白いライオン。いや……真っ白ではない。所々影のように見えるのは模様だろうか。白地に揺らめくような濃淡。実際にはそんな色彩ありえないだろうけれど、でもそれはライオンなのだ。廃墟をバックにした一人と一匹はとてつもなく優雅な何かに見えた。心臓がばくばくと音を立て始めた。


「まさかね、でも……」


 私は一歩前に出た。彼らの周りに広がる黄色は花だろうか。そして女性の髪が薄い水色だということに気づく。長い髪がキラキラと青に輝いている。何かを反射しているのだ。俯いている彼女の向こうに、美しい水辺でもあるのだろうか。

 とんでもなくうまいというわけではない。けれど撃ち抜かれたと思った。風穴が空いたそこから、もどかしく絡んでいたものがほどけていくような高揚感がせり上がってくる。自分の中に湧き上がる期待にめまいがしそうだった。


「それ、いい感じですよね。売り物じゃないんですけど、ここに合うような気がして持ってきたんです。叔母のB&Bに泊まった人の作品なんですよ」


 いつの間にか後ろに女の子が来ていた。急に声をかけられたことに、けれど私は驚きも腹立たしさもなかった。それどころか、これ幸いと振り返る。もし彼女がまだ本を読んでいるようなら、こっちから行こうと思っていたからだ。その絵のことが聞きたかった。思わず気が急いて、挨拶もせずに切り出す。


「これ、タイトルとかってあるのかな?」

「えっと……」


 そんな私の態度にあきれることなく、彼女は頷きながらテーブルクロスの下からダンボール箱を引っ張り出した。中を覗き込み、厚紙に薄紙をかけたものを掴み上げる。絵を保存しておく用の台紙だろうか。目の前にそれをかざした彼女は、ひっくり返して裏に目を走らせる。


「……習作……(気高き白と水の乙女)……、ですね」

「っ!」

 

 息を飲んだ私の脇から、ひょいとヴェロニカが顔を出した。手には小さなバッグ。どうやらお眼鏡に叶うものがあったようだ。


「なになに、どうしたの?」


 私は黙って視線を投げる。それを追ったヴェロニカの目がまん丸になる。


「何あれ! サラが次にやる話に似てない?」

「え? 次の、話? ああ、すいません、私、店番のマーガレットって言います。今日は知り合いのブースにちょっと間借りなんです」

「へえ。一日店長さんなわけね。よろしく。私、ヴェロニカ。彼女はサラよ。で、マーガレット、次の話が何か聞きたい?」


 こくこくと頷くマーガレットを見て、私の何倍もよく喋るヴェロニカが瞳を輝かす。


「この子ね、学校で中世ウェールズ語やっててね。古い本を翻訳したりするんだけど、次の課題がね。こういう大きな猫みたいな動物の出てくる話なのよ。私たち、今日この後、その本を買いに行く予定なの」

「中世ウェールズ語ですか……」

「そう、えっと、マビ? マギ?」

「マビノギオン?」

「そうそう、それそれ。えっ? 知ってるの?」


 マーガレットは積んであった本から、底になっていた一冊を引き抜いた。


「これもそうなんですかねえ。マビノーギって、同じものですか?」

「え?」


 この返事には驚かされた。さすがに私も一歩前に出て、マーガレットから本を受け取り表紙をしげしげと眺める。


「うん、同じよ。……すごいね、こんな本、よく持ってたね」

「おばあちゃんのなんですよ。誰も読めないから、ただの置物なんですけどね。おばあちゃんがマビノーギって呼んでて、その音が面白くて耳が覚えてるだけというか」


 マビノギオンとは実は誤った解釈によってつけられた名称だ。本の最初にある「マビノーギの四つの物語」が指すように、この本はマビノギの話。マビノギとは息子を表す言葉マブから派生したもので複数形を表す。けれどそうとは知らず、最初の訳者がマビノギを複数形にしようと試みた結果がマビノギオン。後年になってそれがわかったけれど、その時にはもう広く浸透していたこともあり、タイトルとして残された。

 私がそう説明すると、マーガレットは無邪気に手を叩いた。


「そっかあ、そんな本だったんですね。うんうん。宝の持ち腐れになるところでした。サラさん、よかったらこれ、持っていきませんか?」

「え?」

「うちにあっても読めないし、好きな人が持ち主の方が、きっとおばあちゃんも嬉しいはず。それに何より、本が喜んでるしょうから」


 その言い回しにヴェロニカがぐっと胸を抑える。さすがはアンティークを扱う人というところか。本が喜んでいると言われ、私も胸が熱くなる。

 急ぎパラパラとページをめくった。そして見つける。最後の章は「アルスルの宮廷の三つのロマンス」。


「あっ、あった!」

「え? 当たり? ちょっとぉ、すごいじゃない。いやあ、何これ、なんか運命を感じるわあ」


 ヴェロニカの大げさな感動に苦笑しつつ、実のところ私自身もなんともいえない高揚感を感じていた。これこそが課題のテーマだった。本によっては収録されている内容が若干異なるため、ないものも多々あるのだ。

 もしそれがなかったとしても、こんな嬉しい申し出を断るわけはないのだけれど、おばあちゃんの本は買いに行こうとしていたまさに目的の本。バッチリだ。私はバックから財布を取り出し、本のために持ってきた金額を差し出した。


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