有形感情論

玲希

1.ある者の話

 久しぶりに実家に帰れば、母親は良い顔をしなかった。もう赤の他人とでもいうような素っ気ない態度。「久しぶりだね」なんていう親子の会話はない。私としてはもちろん想定していた事ではあるので今更どうとも思わない。私だってこんなところへ一時でも帰りたくはなかった。良い思い出なんてものは何も無い。母親から可愛がってもらった記憶なんてない。どこかに一緒に出掛けたことも当然ない。いつからか、母親は私を可愛がってくれなくなったのだ。それどころか、まだ幼い私の面倒を見なくなった。それがいつからかはもう覚えていない。何故母親の態度が一変したのかも分からない。そのことについては今更思い出したいとも思わないのでかまわないが、何が原因なのか純粋に疑問には思う。私が覚えていないくらいだから、きっとどうでもいい理由なのかもしれない。人によっては機嫌を損ねてしまう事象には差があるものだろうし、実際ニュースで流れている事件だってそんなことが原因で?と思うようなことはざらである。そもそも本人に「どうして私を嫌うのか」なんて聞いたところで、答えてくれるとも思えない。実家とは言っても、そんな母親のいる家なのだから長居したくないもの当然だ。明らかに自分のことを嫌っている人間と一緒の空間にいて気分が良い訳がない。だから当然、余程の理由が無ければこんなところへ自分の意志で帰ったりしない。しなければいけない荷物の整理さえ終わればすぐにでも出て行くつもりだ。

 私には自分の部屋というものがなかった。それは母親が私に無関心になる前からずっとそうで、祖母と一緒の部屋で過ごしていた。元々祖母の部屋で過ごすことが多かったから、そのまま流れで自分の部屋を持たずに祖母と私の部屋になったような気がする。両親が共働きだと、子供は必然的に祖父母が面倒を見ることになる。自分の子よりも孫の方が可愛いとはよく聞くし、たくさん遊んでもらったと思う。正直小さい頃の記憶なんて皆無と言っていいくらいなのだが、遊んでもらったり一緒に何かしたりした記憶に関しては、朧げだが確かにある。そしてそんな私の面倒をたくさん見てくれていたであろう祖母の部屋に、今回の目的である私の荷物がある。そこへ行けば、縫い物が好きだった祖母の作業台とも言える立派な机がある。今は物が何も置かれておらず、少し埃を被った机。引き出しを開ければ、毛糸玉やフェルト、お菓子の空き缶を利用した裁縫箱があった。それらを見るだけで懐かしい気持ちが溢れてきた。

 ここでいつも祖母は私にぬいぐるみを作ってくれた。私はそれを横でじっと見ている時間が何よりも好きだった。椅子に座って机に向かい、背を丸めて縫い物をしている姿は、今でも鮮明に思い出せる。

 小さい頃の私はいわゆる男の子向けと言われる戦隊ものの、ヒーローごっこをするようなタイプではなかった。どちらかと言えば女の子向けのままごとや人形遊びなどの方が好きだったと思う。もしかしたらこういった点でも母親は好ましく思っていなかったのかもしれない。でも祖母はそんなことはなくて、むしろどういう人形やぬいぐるみが好きなのか聞き、私の好みに合わせていろいろ作ってくれた。

 だが、そんな祖母はもういない。大好きだったのに、私は葬式にも参列する事が出来なかった。祖母が亡くなった当時、私は大学生になり家を出て一人で暮らしていたのだが、私のところへ祖母の訃報が届く事は無かったのだ。その訃報を知った頃には亡くなってから一年以上が経っていた。知った経緯だって、学校のことで嫌々母親に連絡を取ったらそこで祖母の訃報を聞いた、という形である。それがなければずっと知る機会などなかったのかもしれない。そのことについて怒りなどはなく、いくら私が嫌だからってそこまで徹底して連絡をとりたくないのかと呆れるだけだった。

そのせいか、そんな突然の訃報に不思議と涙は出なかった。ただ、心にぽっかり穴が空いたような感覚。今まで感じた事の無い感覚だった。単純に悲しいとか辛いとか、そんな言葉一つでまとめたくない。言葉で形容しがたいとはああいう感情のことを言うのだろう。

 そして祖母が亡くなったことを知ってからようやく今、祖母の部屋にいる。もう祖母がいないのだからこの部屋で誰かが遺品整理をするだろう。既に一年以上経っているのだから、整理も終わっていて綺麗な部屋になっているかと思ったりもしたが、そんな事は全く無かった。忙しくてまだ手つかずなのか、私のものにまで手を出したくないからなのか。どちらにしても私には好都合だった。私の荷物も、祖母の荷物も、ほとんど当時のままということだ。祖母の遺品を勝手に形見として持って行ったとしても、文句はないだろう。

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