第50話 魅了

「リュイ!!」


 クレアは、ディオンを引きずる勢いでヴィークの執務室に駆け込んだ。


 クレアが焦っているせいでディオンは引きずられるような格好になってしまっているが、彼は相変わらず爽やかに微笑んで、終始クレアにとても協力的だった。


「……ここにはリュイもいるが、俺の執務室だぞ」


 恐らく、王立学校から戻ったばかりに見えるヴィークは、クレアが自分ではないものの名前を呼んで飛び込んできたことに不満そうな表情をしている。


「……ごめんなさい、ヴィーク。リュイに、とても大事な相談があって」

「どうしたの、クレア」


 クレアには、ヴィークの軽口に付き合う余裕すらなかった。リュイはクレアの様子が尋常ではないことを察して、駆け寄る。


「実は……」


 クレアが話そうとしたその時、クレアの連れはミード伯爵家の長男だと気が付いたキースが、2人の間に割って入った。


「ディオン卿、お久しぶりです。今日はどのような経緯でこちらへ?」


「キース様。それがよくわからないんです。学校の後、クレア嬢と話していたら突然焦り出して、気がついたらここへ」

「禁呪のこと、ではなさそうだな」


 ヴィークは、クレアとディオンを交互に見る。酷く取り乱した様子のクレアと、清々しい表情を浮かべてのほほんとしたディオン。ヴィークにとっては全く面白くない組み合わせだった。


 しかし、いつも落ち着いているクレアが人前で冷静さを失っていることを重く見たヴィークは、リュイに言う。


「相談なら、隣の応接を使うと良い。……リュイ、任せたぞ」

「御意」


「ありがとう、ヴィーク」


 クレアはお礼を言うと、リュイの案内で隣の応接室に移動した。


 3人が応接室に入るのを見届けたヴィークは、まだ身に着けたままだった外套を脱ぎながらキースに聞く。


「……俺が王立学校から戻って何分経った」

「? 5分てとこだな」

「……それは早すぎるな」


 ヴィークは、神妙な顔で呟いた。





 応接室に移動したクレアは、隣にディオンを座らせてさっき起こったことをかいつまんで話した。


 ディオンと話していて、あることが原因で魔力が暴走しそうになってしまったこと。


 その直後から彼の様子がおかしいこと。


 彼は、クレアの言動に影響を受けている気がすること。


 一通り話を聞いたリュイは、ディオンに言う。


「手を握ってもいいかな」

「もちろんだよ」


 ディオンは快諾して、両手をリュイに差し出す。2人のやり取りを見ていたクレアは、慌ててリュイに囁いた。


「リュイ、加護は」

「……多分、必要ないと思う。だよね?」


 リュイはクレアではなくディオンに確認する。その瞳には何か確信めいたものがあるように見えた。


「ああ。安心して」

「じゃあ、始めるよ」


 リュイは目を瞑ってディオンの手を握る。時間にしてわずか数秒ほどだったが、ディオンの魔力の流れをじっくり見ているようだった。


「うん、わかった」


 数秒の後、リュイはパッと目を開けてあっさりとディオンの手を放す。


「話の内容からすると、クレアは、ディオンを洗脳してしまったのではないかと心配しているんだよね」

「ええ」


「結論から言うと、これは洗脳ではないね。でも、彼の意志は何らかの影響を受けて変わってしまったようだ。……これは、洗脳っていうより魅了だと思う」

「み、魅了?」


「うん。魅了。それにしても、上手にかけたね。綻びがまるでない」


 訳が分からず、混乱しているクレアをリュイはなぜか褒めた。


「へぇ。僕、クレア嬢に魅了されちゃったんだ。……悪くないね」


 ディオンも、怒っても良さそうなものなのにまんざらでもない。相変わらず、自信たっぷりに微笑んでいる。


(わ、笑い事ではないわ)


「どうしたら元に戻るの? リュイ」

「洗脳なら、聖女に見てもらえば治るけど、魅了はもっと根本的なものだからね」

「根本的?」


「そう。相手に強烈に共感したり、もしくはそれまでの境遇に強い猜疑心を抱いていないと魅了にはならない。ただ、潜在的なものでも材料にはなり得る」


「ああ確かに。僕、クレア嬢みたいに生きたいって思っちゃったもん。そう思ったら、神のような存在だったお祖父様が一瞬にして崩れ去った感じ」


 手で大げさに何かが崩れるような動作をしながら、ディオンはあっけらかんとしていう。


「では、元に戻すにはどうしたらいいの」


 クレアは震えていた。指先が冷たく、恐ろしさで胃がきゅうっとなる。何よりも、意図せず人の意志を変えてしまった自分がとても怖かった。


「元の環境や考えの方が素晴らしいと自分で気付かせることが有効だと思うけれど……コレは、無理だね」


 リュイは、ディオンの無邪気な笑顔を横目で見ながら言う。その表情には、この状況を少しだけ面白がっているのが見て取れる。


「そんな……」


 顔が青白いままなのは変わらなかったが、リュイが面白がっているのを感じ取ったクレアは、少しだけ落ち着きを取り戻し始めていた。


「それにしても」


 リュイは続ける。


「あのミード伯爵家の長男があっさり魅了の術にかかるほどの猜疑心の方に興味があるな。主君を呼んできてもいい?」


「ああ、もちろんだよ。なんでも話すさ」


 ミード家の長男として暗躍してきたディオンの姿は、そこにはない。


「少し待っていて」


 リュイは、クレアの魔力の色が相当高位なものだということに気が付いたはずだったが、それには特に言及しなかった。安心して、というようにクレアに目配せをすると、ヴィークを呼びに執務室へ戻っていった。


 クレアには、心配事があった。それは、自分の存在が未来をどんどん変えてしまうのではないかということだ。現に、ミード家は既に影響を受けすぎている。クレアの目的はシャーロットの暴走を防ぎ、ノストン国とパフィート国の友好関係を崩さないことだった。


 リュイが退出した後で、クレアはディオンに小声で話しかける。


「ディオン様。私、これが二度目の人生だということをまだ誰にも言っていないのです」

「そうなんだ。でも、伝え方によっては、リュイ様やヴィーク殿下は信じてくれると思うけど」


 ニコニコした笑顔のディオンに、なぜかクレアはホッとする。考えてみれば、この話を誰かに話したのは転生してから初めてのことだった。


「……私もそう思っています。ですから、真実を明かすタイミングは私にお任せいただいても宜しいかしら」

「了解、クレア嬢」


 優しく微笑むディオンに、クレアは頷いた。

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