第45話 式典の日

 次の日の朝。


 ソフィーが目覚めの紅茶を持って現れる前に、クレアはすっきり起きることができた。


 ベッドから下りて繊細な刺繍が施された豪華なカーテンを開けると、王宮の裏庭の美しい風景が広がっていた。メインの庭園と違って華やかな花は少ないが、木々には少しずつ春の新緑が芽吹き始めている。


(……この、穏やかな朝の空気。戻ってきたという感じがするわ)


 窓を開けて、ゆっくり深呼吸しながらクレアは安心した。


 この王宮は、さすが大国・パフィートのものらしく、ノストン国の王宮と比べて段違いの広さだ。中心となる王宮は中央棟・東棟・西棟・南棟・北棟で構成されていて、国の中枢機関や王宮で働く者たちの私室が設置されている。


 クレアに割り当てられたのは、王宮に3つある離宮の中の部屋の1つだった。


『部屋の1つ』と言っても、扉を開けるとそこには吹き抜け天井の広いロビーがあり、そこから二間続きのメインの部屋、スタジオタイプの護衛や侍女用の部屋3部屋に割り振られる造りになっている。


 ソフィーと2人でこの国にやってきたクレアには、随分と贅沢な部屋だった。


 ソフィーが聞いてきた話によると、この離宮には高位の魔術師や特殊な技能や知識を必要とされる専門職達が居住しているらしい。


 そのため警備は厳重だったが、メインの王宮から離れているため、周囲の目を気にすることなく気楽に過ごせそうだとクレアはすぐに気に入った。


 コンコン。


「はい」

「クレアお嬢様、お目覚めでしたか。おはようございます。隣に朝食の用意ができていますよ」


 顔を出したのはソフィーだった。


「おはよう、ソフィー。ありがとう。着替えたらすぐに行くわ」


 クレアは、顔を洗うと昨日片づけたばかりのクローゼットからシンプルで動きやすいドレスを出して着替えた。


 昨日までの移動で兄オスカーが選んでいたような重いデコラティブなデザインのドレスはしばらく着たくない、そう思う。


 リビングのテーブルには、クレアが大好きなメープルシロップが練りこまれたパンケーキがサーブされていた。


「わあ」


 クレアが声をあげると、ソフィーがウインクして言う。


「厨房の方が、お嬢様のお好きな食べ物をリクエストしてくださいということでしたので。異国からいらしたヴィーク殿下のご友人に、だそうですよ」


「……」


 その言葉に、クレアは焦る。


(もう厨房まで話が回っているのね。確かに、いくら王子側の要請とは言っても、未婚の淑女が4日間も男性と同じ馬車で移動するなんて普通ではないわ……。これからは、留学生としてもっと行動を慎まないと)


 甘くカリカリしたパンケーキに幸せを感じながらも、クレアは自身の振る舞いを反省した。


 今回、国王やオスカーがパフィート国を訪問しているのは、今年建国してから節目の年を迎えるパフィート国の建国記念式典に参加するためだ。


 クレアは招待を受けていないため、当然式典に参加することはできない。しかし、一般客として観覧することは可能だ。


 クレアが朝食を終えたころには、楽しそうな王宮の雰囲気が、窓から流れ込んでくる時間になっていた。


 たくさんの人が行き交う雰囲気、かすかに聞こえるマーチングバンドのリハーサルの音。その全てが、クレアには新鮮だった。


「お嬢様、午後の式典を見に行ってみますか」


 目を輝かせて窓の外をのぞくクレアを気遣って、ソフィーが声をかけてくれる。


「大丈夫よ。護衛をお願いして迷惑をかけたくないわ。……人ごみに1人で出歩いて、何かトラブルがあってもパフィート国に申し訳ないし」


 10年に1度しかないお祭りの日を見てみたかったが、身に余る待遇でお世話になっている身としては、絶対に迷惑をかけられない。


「お嬢様は、本当にいい子ですね」


 クレアが断腸の思いでソフィーの提案を断ると、ソフィーはクレアの顔を優しく覗き込み、小さな子供にするように頭を優しくなでてから部屋を出て行った。


 クレアは、精神的に随分と大人びた少女だったが、こうして甘やかしてくれるソフィーの存在にかなり救われていた。


(ソフィーにまた会えるなんて。少なくともそれだけは、過去に戻ってよかったことの1つだわ)


 コンコン。


 ソフィーが出て行ってまだ数分しか経っていないが、ロビー側の扉がノックされる。


「はい」


 ソフィーではないのかしら、とクレアが不思議に思いながら出ると、


「こんにちは、クレア嬢」


 そこには、リュイがいた。


「リュイ……様!どうかなさったのですか」

「ヴィークから、クレア嬢に式典まで王宮内を案内するように言われて来たんだ。もし時間があったら、どう?」


(……!)


「もちろん、行きます! うれしいわ」


 クレアが控えめに飛び上がって喜ぶのを、リュイは優しく微笑んで見ていた。


 2人は離宮を出て、王宮の中心まで裏庭を歩いていく。


「ヴィークが来られたら良かったんだけど。今日は忙しくてどうしても抜けられないみたい。私でごめん」


「そのようなことは全く! リュイ……様と一緒に式典前の王宮を見て歩けるなんて、とてもうれしい」


 ついつい、先の世界でのクセで呼び捨てにしてしまいようになるのをクレアはぐっと我慢する。


 そんな様子のクレアに気が付いたリュイが言う。


「クレア嬢、私のことはリュイと。主人の友人だからね」

「……そんな。では、リュイ……様も、私のことをクレアと呼んでください」


 クレアの台詞に、リュイは珍しく戸惑った表情をしている。


「それは……やきもち焼きの主人に確認してからでもいいかな」

「ええ、もちろん。今度会ったら、私からもお願いするわ!」


 2人で楽しく会話をしながらメインの王宮に辿り着くと、そこは多数の一般国民で溢れかえっていた。


「今日は、東棟と式典が行われる中央棟が解放されているんだ。国民はそこで式典を見られる」

「素敵。本当に、10年に1度の日なのね」


「式典は私も出るから案内はできないけれど、1人でも良ければヴィークの執務室から見る? 彼は喜んで開けると思うけど」


 クレアには願ってもないうれしい誘いだったが、ミード伯爵家のことが頭をよぎる。


(まだ、リンデル島の聖泉を埋め立てようとする動きの真意も分かっていないし、あまり目立つ場所に1人でいるのは良くないわ)


「ありがとう。でも、大丈夫よ」


 クレアは、断った。


(……あ!)


 クレアは、王宮内の少し離れた場所に、打ち合わせ中のオズワルドを見つけた。


(やはり、お会いしたことどころか見かけたこともない方だわ)


「あの……。オズワルド殿下は、普段お外にはあまり出られない方でいらっしゃるのかしら」


 クレアは、小声でリュイに聞く。


「? いえ。そんなことはないよ。ヴィークがまだ王立学校に通っていることもあって、第二王子でもヴィークより表に出る機会は多いかもしれないね」

「そうなのね……」


 どうしてもオズワルドの存在が気になるクレアは、さらに聞く。


「……パフィート国では、王位継承順位は生まれた順ではないのね」

「……ああ。当然、正妃の子が優先。でも、側室の子が先に生まれた場合でも、基本的には第一王子と名乗るよ」


 クレアの質問の意図を理解したリュイは、さらに詳しく教えてくれる。


「オズワルト殿下は少し特殊なんだ。元々、現国王陛下の子供はヴィークしかいなかった。だけど数年前、万一の際に王朝が途絶えることを危惧した国王が、臣下に下賜した側室の子を呼び戻したのがオズワルド殿下。ヴィークが第一王子として周知されていたから、彼はヴィークより4歳年上だけど第二王子になったんだ。……オズワルド殿下のお母上は側室時代から臣下の者と不貞の噂があって、一連の騒動に関連しては特に同情の声もなかった」


「そういうことだったのね」


 クレアは、複雑な表情を浮かべた。


「オズワルド殿下は、他国に婚約者がいらっしゃるとかそういうことはないのかしら」

「ないね。国の慣習として、第一王子の婚約者が決まった後でないと」

「そういうものなのね。……あ! 向こう側も見てみたいわ」


 他国の姫と結婚して国を出たのではとクレアは一瞬思ったが、その可能性もなさそうだ。これ以上突っ込んで聞くことは不可能だと判断したクレアは、話題を変えた。


(……でも、どうしてオズワルド殿下は1年後にいないのかしら? ご病気や事故で亡くなるとか?)


 ふと、クレアは馬車の中で、ヴィークと話した内容を思い出す。


 先の世界では、ノストン国を追われた経緯に姉妹間の格差があったことをクレアが話した時、『そういう話は、俺にも心当たりがある』と同意してくれた。しかし、先日、内容に微妙な違いはあるものの、自分の境遇を話したクレアにヴィークの同意はなかった。


(もし何かあるとしても、1年後のヴィークは笑っていたわ。だからきっと、大丈夫)




 クレアは、この不思議な胸騒ぎを、10年に1度の式典に際する感情の高ぶりだと思い込もうとしていた。

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