第42話 再会へ
王立貴族学院を辞めてパフィート国へ、というベンジャミンの提案。
本来であれば、クレアは飛び上がって喜んで、二つ返事で了承したかった。
体のいい厄介払いだが、それは今まさにクレアが望んでいることでもある。
しかしそれを受け入れると、1年後にイーアスの街でヴィーク達と出会うことはほぼ不可能だと分かっているクレアは、快諾するわけにはいかなかった。
「理由を聞かせてください、お父様」
「……これから、クレアにはつらい状況が待ち受けているかもしれない。1年を待たずして、シャーロットの洗礼式もある」
クレアは、ベンジャミンがここまでクレアとシャーロットの関係に心を砕いていたことが意外だった。
クレアはシャーロットの夜会に同行ばかりさせられていた頃、父はクレアが傷ついていることを察していないのだと思っていた。だが、全て知っていたことを悟って、少なからずショックを受けた。
「私の留学は既に決まったことなのでしょうか」
「……クレアも、シャーロットとアスベルト殿下がお似合いだと言っていただろう」
ベンジャミンはクレアから目を逸らし、お酒の入ったボトルを傾けてグラスに注ぐ。
(……!)
否定しないベンジャミンの姿に、クレアは自分のパフィート国行きは決定事項なのだと気付く。
父は、シャーロットの洗礼式を待たずして、アスベルトの婚約者を入れ替える気なのだ。
「シャーロットにはもう話したのですか」
「いや、それはまだこれからだ。今日、夜会で国王陛下と決めたばかりだからな」
「……承知いたしました。では、私はパフィート国へ参ります。日程はいつになりますでしょうか」
「今度、式典に参加するため国王陛下がパフィート国を訪問する。それにオスカーが同行するのだが、クレアも一緒に行ってはどうかと思っている」
「出発日は」
「……3日後だ」
あまりに急なことに、クレアは驚いた。
(それまでにやっておかなければいけないことがたくさんあるわ)
「承知いたしました、お父様」
ベンジャミンとの会話を終えて自室へ戻ったクレアは今後の対策を考える。
「あの夜会で、シャーロットは『自分のことを虐めて楽しいか』と言っていたわ。確かに、小さい頃から良かれと思っていろいろ教えてきたけれど……シャーロットが歪んでしまったのは、もしかしたら私のせいなのかもしれないわ」
思い返すと、夜会でのシャーロットの暴走を引き出したのはクレアが小声で注意をしたことがきっかけだ。
(どうしてもっとうまくやれなかったのかしら)
正直に言うと、パフィート国行きはクレアにとって喜ばしいことだった。ヴィーク達に会えるかもしれない、そう思うだけでクレアは空をも飛べる幸せな気分だった。
しかし、シャーロットをこのまま置いていくのは不安すぎる。パフィート国行きは避けられない決定事項として、出発するまでに早急に手を打たなければいけなかった。
―――――
翌日。
クレアは、王宮のアスベルトを訪ねた。
「失礼いたします」
アスベルトの執務室に行くと、サロモンが一緒に仕事を片付けている最中だった。クレアは特に気にせず、サロモンに軽く会釈をしてからアスベルトの前に立った。
「どうしたのだ」
急な訪問に驚いているアスベルトに、クレアは言う。
「取り急ぎご相談したいことがございまして、参りました。お時間をいただけるのはいつでしょうか」
「すぐに準備する。隣の応接室に座ってくれ。今、お茶を準備させる」
アスベルトがサロモンに目配せしながら言うのをクレアは遮る。
「いえ、こちらで結構ですわ」
「……?」
アスベルトは、クレアのあまりに冷たい態度に面食らっているようだ。傷ついた表情と不思議そうな表情の2つを同時に浮かべているアスベルトを見て、クレアは自分の物言いを少し後悔した。
(そういえば、まだこの頃は婚約者として仲が良かったわ。……彼は別に悪い人ではないのよね)
反省したクレアは、大人しく隣の応接室に移動してソファに座った。
少ししてお茶が運ばれた後、仕事を切り上げたアスベルトがやってきてクレアの向かいについた。
それを確認して、クレアは早速切り出す。
「突然の訪問をお許しください。国王陛下からお聞きかとは思いますが、私たちの婚約解消についてお伝えしたいことがあり参りました」
「待て。それは今朝聞いたが、私は承諾していない。クレアは気にしなくてよい」
「いいえ。私が、ノストン国のお役に立てないことは明白です。シャーロットでしたら、きっと期待に応えてくれるはずですわ……それに、私たちに個人の意思など許されないこと、殿下こそよくご存じでしょう」
「それはそうだが、しかし……」
クレアは、まさかアスベルトがこんなに婚約解消に難色を示しているとは思いもしなかった。1年経てばあっさりと婚約を破棄してくれるはずだが、今はそんなに待てない。
「父からは、決定事項だと聞いています。私も残念ですわ……」
「……そうか……」
情に訴えようとクレアが悲しそうな表情を浮かべると、アスベルトは黙ってしまった。
「それで、私の立場を心配した父が、パフィート国の王立学校へ留学の手配をしているようで」
「何だと。それでは体のいい厄介払いではないか」
アスベルトの表情には、怒りが滲んでいる。
「ええ。厄介払いですわ。でも、それはどうでもいいのです。さらに気になることがございまして」
「そんな簡単に……しかし、何だ」
「シャーロットの教育係ですわ。これまで、マルティーノ家ではシャーロットに王妃教育を施してきませんでした。我が家のかわいい末っ子ですし、私がパフィート国に行った後、父がきちんとした教育係を付けるとは思えませんの」
これは、先の世界を見ても明白な事実だった。クレアが今日わざわざアスベルトに面会に来た理由はただ1つ。シャーロットが道を外さないよう、しっかりとした教育係を手配してもらうことだった。
「……そういうことか。家ではワガママ放題に育ててしまったから、王家に頼りたい、と」
「そうとも言いますわね」
クレアはニコッと微笑んで続ける。
「でも、少しワガママですが、自由奔放でかわいい子ですわ。これまでは私が少しずつ注意していたのですが、これからはただの姉が未来の王妃に意見をするわけにはいきません。シャーロットの性格上、教育係はよく褒めてくださる朗らかなお方がよろしいかと。……ご存じの通り、彼女は殿下のことを慕っております。初めは彼女にとって辛いことも多いかもしれませんが、殿下の励ましがあれば、きっと大丈夫ですわ」
アスベルトは、意外そうな表情を浮かべてクレアを見ている。
「しかし……貴方は、クレアはそれでいいのか」
「いいも何も、元から私は殿下とシャーロットがよくお似合いだと思っています。私にとって、シャーロットは大切な妹です。私のことを哀れに思うのでしたら、彼女を大切にしてください。寂しがりやなのでマメにお手紙を書いて、時間がある時はお茶に付き合ってあげてくださいね」
クレアは、アスベルトの目を見つめて微笑んだ。アスベルトの目にはまだ困惑の色が浮かんだままだが、彼はきっと明日にはあっさり切り替えているだろうとクレアは思った。
「……私は貴方のことを本質的に理解していなかったようだ。ただ美しく高貴で、王妃にふさわしい資質を備えた欠点のない人物だと思っていた。……実は、昨日の洗礼式では少しホッとしたのだ。これ以上、先を行かれなくて済む、と。それを心から恥ずかしく思う。私はこれから、シャーロット嬢と会うたびに貴方のことを思い出しそうだ。厳しくも優しく、慈悲深い姉としての貴方のことを」
「……ありがとうございます」
クレアは、少し頬が赤く見えるアスベルトの様子に気が付かないふりをして、応接室を出た。
王宮から帰るとすぐ、今度はシャーロットの部屋へと向かう。王立貴族学園への入学を控えて、シャーロットは準備のためしばらく外出せずに過ごす予定になっていた。
「シャーロット、少しお話がしたいのだけれど、いいかしら?」
「はい、お姉さま」
クレアが扉の前で声をかけると、シャーロットはすぐにクレアを部屋へと招き入れてくれた。
「どうしたんですか、お姉さま」
クレアは、シャーロットの隣に座って彼女をまじまじと見つめる。14歳になったばかりのシャーロットは、記憶にある夜会での彼女と比べて大分幼かった。
(こんなにかわいい子が、あんなことをするなんて……何かの間違いではないかしら)
自分の目が信じられない思いを抱えながら、クレアはシャーロットに告げた。
「シャーロット。私は、パフィート国へ留学することになったわ」
「えっ!? 留学!? 本当ですか、それは」
シャーロットの声はいやに大きい。
「ええ。昨日の洗礼式を見て、国王陛下とお父様が決めたようなの」
「……では、お姉さまは私が王立貴族学院に入学してもいらっしゃらないと……そんな」
シャーロットは残念そうに肩を落としている。
「アスベルト殿下がいらっしゃるから、大丈夫よ。これからは、殿下をあなたが支えてあげて」
「……えっ! 私がですか。何かの間違いでは」
シャーロットは、元々大きな目をさらに見開いている。クレアの言葉の意味を正しく理解したようだった。
「お願いね。……あなただけが頼りなの」
クレアがシャーロットの手を握ると、シャーロットは泣きそうな顔で頷いた。
(あとは、優秀な教育係に任せるだけ)
目的を果たしたクレアは、シャーロットの部屋を出た。
クレアの足音が自室に消えたことを確認してから、シャーロットは呟く。
「一体、何がどうなっているの……!」
―――――
そういうわけで、それから2日後、クレアは兄オスカー達の使節団に同行してパフィート国に向け旅立った。今回は、侍女のソフィーも一緒だ。
中間地点のリンデル島まで、パフィート国から迎えが来るらしい。リンデル島に一泊して出発するという時間に余裕のあるスケジュールになっているため、クレアは1人でこっそり洗礼を済ませてしまおうと思っていた。
「噂には聞いていたが、本当に素晴らしい島だな」
リンデル島の美しい景色を前に、オスカーが言う。
「オスカーお兄様……」
洗礼式後、オスカーはクレアに冷たくなるはずだったが、そんなことは全くなかった。クレアは、今回の使節団に同行することさえ難色を示されるのではと思っていた。しかし、以前と変わらず優しい兄の姿に、クレアは戸惑いを隠せない。
「クレアは花が好きだっただろう。ここももちろんきれいだが、城の裏手には花畑があるらしいぞ。先方が到着する時間までまだある。見てきたらどうだ」
「本当ですか、お兄様」
聖泉は城の裏手にある。夜にこっそり行くことも考えたが、暗闇にあのオーロラらしきものが出現するとすぐに洗礼を受けたとバレてしまうだろう。クレアはできるだけ、日中に1人で行きたかった。
(花を見に行くというのは、いい口実だわ)
「ありがとうございます、お兄様。そうしますわ!」
「そうか。……おい、だれか護衛に」
オスカーが護衛をつけようと騎士に声をかけるのを、クレアは慌てて静止する。
「1人で大丈夫ですわ。今日はこの島をパフィート国が貸し切ってくださっているのでしょう? 危ないことなんて、何もありませんわ」
「それもそうだな」
クレアは胸をなで下ろして、目的の聖泉へ向かった。
―――――
クレアは、懐かしいビーチに立っている。
今日は良く晴れている。
いつも楽園のように美しいこの島だが、今日は特に空の青が深く、海との境目が分からない。ポカポカした春の陽気とお日様の匂い。そこら中に咲き誇る可憐な花々は、一年後の風景と全く変わらなかった。
周辺には誰も見当たらず、静かだ。
(この前は、ヴィークがキース達と水遊びをしていたのよね。……まだ寒いのに)
一年後の風景を思い出して、クレアはクスクスっと笑った。
砂浜にブーツを脱いで、裸足になる。素足にサラサラの砂の感触は、あれ以来だ。
波打ち際へと、少しずつ歩いていく。寄せては返す波の動きが太陽に反射して、とても綺麗だった。
クレアは、波際に立った。大きな波がざあっとやってくる。
目を閉じてその時を待った。
足首までを濡らす、懐かしい感覚。
波に足が取られそうになるのと同時に、空に幾千の光が輝いた。
昼間のせいでよく色が見えないが、降りてくる1つ1つを見ながらやはりこれはオーロラ色だ、とクレアは思った。
洗礼を終えたが、不思議なことに、クレアの体調に変化はない。少しだけしんどさを感じるものの、前回のように気を失うということはなかった。
「……本当に、洗礼は終わったのかしら」
気になって、クレアは体の表面に魔力をまとわせた後、自分に加護をかけてみる。
(……いつもと同じ。きっと、問題なく洗礼は済んでいるわ)
聖泉が埋め立てられてしまう前に洗礼を済ませられたことにホッとしていると、聞き覚えのある愛しい声がした。
「今日、この島はパフィート王家の使いの者以外立ち入り禁止だが、許可は得ているか」
(……!)
クレアは、はやる胸の内を抑えて声がした方にゆっくり目を向ける。
そこにいたのは、4人の大切な友人だった。
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