第26話 褒賞

 クレアが目を覚ましたのは、この前の泥酔事件で目覚めたのと全く同じ、王宮内の客室だった。


(魔力竜巻は……どうなったのかしら……)


 意識がまだはっきりしない中、それだけが気になる。


 部屋には誰もいなかった。起き上がりたいが、体が鉛のように重くて指先を動かすことすらできない。


(声も出ないわ……)


 天蓋のカーテンは開いたままだった。言うことを聞いてくれない体に喝を入れて、なんとか重い頭を窓の方へと向かせる。


 どれぐらい時間が経ったのかは分からないが、窓の外には、いつものように美しい青空が広がっていた。気を失う前に感じていた、魔力の歪みからくる気持ち悪さはなくなっている。


(浄化は成功したの……かしら?)


 ホッとしたクレアは、体の重さに耐えきれず再び意識を手放した。


 




 ひやり。頬に冷たい感触が走る。


 瞼を開けると、そこには冷たいタオルを持ったリュイの顔があった。


「クレア! 気が付いたんだね」

「ええ……」


 クレアが返事をする前に、リュイは横になったままのクレアをぎゅっと抱きしめる。


「本当に、よかった。ごめん。手伝うことすらできなくて」

「浄化は……成功、したのよね?」


 いつもはあまり見ることのないリュイの感情的な姿に、クレアまで目頭が熱くなる。クレアの問いに答えたのは、リュイではなくヴィークだった。


「ああ。完璧だった。クレアは3日間も眠り続けていたんだ」

「そんなに? 私……」

「バルコニーで倒れてそのまま、だ。気分はどうだ」


 ヴィークはベッドサイドに座り、クレアの顔を覗き込む。エメラルドグリーンの瞳からは緊張が消え、穏やかな色に戻っていた。


「僕たちはこっちの部屋で控えているね。何かあったら呼んで、クレア」

「何かって……何もないだろう」


 気を利かせたのか、部屋にクレアとヴィークを残し護衛たち三人は次の間に下がっていく。ヴィークが納得していない顔で返事をするのを見て、クレアは笑ってしまった。


「ふふっ」

「何だ、クレアまで」

「私、今とっても幸せ」


 クレアにとってはさっきまで険しい顔で必死に走り回っていた4人が、リラックスして話している。この温かいパフィート国の空気を守れたことが何よりもうれしかった。


「そうか」


 ヴィークは優しく微笑み、間を取ってから続ける。


「……国王陛下が、クレアに面会したいと仰っている」

「えっ! 私に?」

「クレアは国を救った英雄だ。大げさではなく、それほどに危険な事態だった。礼を言いたいと」

「分かりました。国王陛下のご予定は? すぐに準備するわ」


 慌ててクレアはベッドから体を起こそうとするが、しばらく眠っていたせいで体にうまく力が入らない。ヴィークはそれを遠慮がちに助け起こしてくれる。


「俺は第一王子として、クレアに爵位と王宮内の魔術師としての地位を、と進言するつもりだ」

「どういうこと……? 私に爵位は不要だわ。魔術師としても……今回のはまぐれかもしれないし」

「だが、爵位があれば護衛を付けられる。魔術師であれば、王宮内に部屋も持てる」


 重ねる言葉には必死さが感じられ、感情的になっているのが分かる。クレアはますます困惑した。


「ヴィーク。話が見えないわ」

「……実は、少し気になっていることがある」

 

 重く、真剣な声色でヴィークは続ける。

 

「俺が気にしているのは、リンデル国滅亡に関わった人間の動向だ。最近再調査を始めたが、40年前ということもあって新情報が出てこない。……もし、クレアの母上の死が不慮の事故でないとしたら、自分の存在をどうしても隠したいという強い意志が感じられる」


 ヴィークの手にぐっと力がこもり、語気が強くなる。


「つまり、その人間は、生き残った王女がマルティーノ家に嫁いだことを把握しているということだ。……史上最大規模の魔力竜巻を浄化できるのは、世界でもクレアただ一人だろう。取り越し苦労であればいいが……犯人が、何らかの事情を知っているものとしてクレアを狙ったとしてもおかしくはない」


「確かに、言っていることは分かるわ。でも、40年前の話よ? お母様が亡くなってからも10年以上が経過しているわ。それに、私は何も知らない」

「それを決めるのは犯人だ。俺は、万に一つの可能性を危惧している」


 ヴィークは、一瞬ためらう素振りを見せた後、クレアの瞳を見つめて続けた。


「クレア、お前が権力の側にいたくないことは分かっている。だがしかし、心の拠り所として守ることぐらいはさせてくれ」

「……」


 あまりにも真っ直ぐすぎる言葉と瞳に、クレアは何の言葉も紡げなかった。


 コンコン。


 音のした方に目を向けると、キースが申し訳なさそうな顔をしてこちらを覗いていた。


「国王陛下への面会は30分後だが、準備できるか? クレア」

「ええ、もちろん大丈夫です。着てきた王立学校の制服しかないのだけれど、失礼ではないかしら」


 ヴィークは、邪魔が入った、と言わんばかりにベッドサイドから立ち上がってクレアに告げる。


「……それは大丈夫だ。やっと目を醒ましたばかりだということはご存じのはずだ。ただ、お礼が言いたいと」 

「わかったわ。すぐに支度します」


 第一王子の側近から見ると、きっとさっきの会話は『何か』なのだろう。今のクレアには、何の後ろ盾もない。


(……隣国の公爵家の、落ちこぼれではない令嬢として出会っていたら、もっと近付けたのかしら)

 

 あれだけ手放したかった家名。それを、クレアは少しだけ懐かしく思っていた。




 身なりを整えたクレアは、リュイのエスコートで謁見の間へと向かう。


 華やかな飾りが施された豪勢なドアの前で、クレアはリュイから手を放し自分の足で立った。それを確認したリュイは心配そうにクレアを見つめている。


「クレア、大丈夫? 一緒に入れるのは殿下だけなんだ」

「問題ないわ」


 体がフラフラなことはどうにか忘れ、背筋を伸ばしてシャンとする。正式な場で国王へ謁見し言葉を賜るなど、公爵令嬢だったころにも経験したことがなかった。


 しかし、疲労と緊張で足が震えそうになっていることを悟られるのは、クレアの令嬢としてのプライドが許さない。


 少しして、合図と共に扉が開いた。


 クレアは、ヴィークに続いて謁見の間に足を踏み入れた。大理石の床と壁に、コツコツとクレアとヴィークの足音が響く。


 真正面に造られた壇上にある玉座には、国王陛下が座っていた。


「この度の活躍は本当に素晴らしいものであった。国王として、感謝の意を伝えたい」

「身に余る有難いお言葉、恐悦至極にございます」


 クレアは、国王に対して深々とお辞儀をする。


「その姿勢は辛いであろう。顔をあげよ。楽にしてよい」

「お心遣い、痛み入ります。感謝申し上げます」


 国王の言葉に、クレアは顔をあげて微笑む。初めて目にしたパフィート国王の瞳は、ヴィークと同じ色だった。


「ほう」


 パフィート国王は、感心したように言う。


「随分慣れているのだな。出自はノストン国の貴族と聞いているが」

「至らない点が多く、勘当された身にございます」

「ほー、そうか」


 国王は柔らかい表情でヴィークに目配せをする。


「国難を救ったそなたに、褒美をつかわす。欲しいものを何でも言ってみよ」


 この問いが来ることをある程度予想していたクレアは、淀みなく返答する。


「このパフィート国での暮らしがとても幸せで、満ち足りています。これ以上望むものはありません」


「ほう。うちの第一王子からは、爵位を与えたいと聞いているが」

「私は幸せに暮らせているだけで十分です。今回の働きも大切な人と暮らしを守っただけに過ぎません」


(……くっ。随分、優等生の回答だな)


 隣のヴィークがクレアを小声でからかう。


(だって、本当ですもの)


 クレアも澄ました顔を作り、小さな声で答えた。


 2人の様子をじっくり観察していた国王は、目を丸くした様子だ。


「国を救った英雄はヴィークの良き友人だとキースから聞いてはいたが、こんなに微笑ましい仲だとはな」


(何か大きな誤解をされている気がするわ)


 クレアは否定したかったが、国王陛下に対してさすがにその勇気は出なかった。


「今すぐでなくても良い。ゆっくり考えよ」

「ありがたきお言葉、感謝申し上げます」


 クレアの言葉を聞いた国王は満足げに頷き、席を立つ。そして、去り際に言った。


「……ヴィーク。例の夜会を来月の終わりごろに開催する予定で調整している。招待客はまかせる。それが今回の働きに対するお前への褒美だ」

「……御意……」


 国王が退出しきったのを確認したクレアは頭を上げ、ヴィークに聞く。


「来月って……何かあるの?」

「いや……そのうち分かるだろう。それよりもクレア、どうやら随分と国王陛下に気に入られたようだな」

「??」


 ヴィークの顔は、心なしか染まって見えた。けれど、クレアには全く意味が分からなかった。

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