第25話 ノストン国では

 その、少しだけ後のノストン国・王立貴族学院。


 シャーロット・マルティーノは、生徒会室の一番豪華な椅子に座っていた。つい数か月前まで、第一王子のアスベルトがついていた席である。


 そして、夢にまで見た王立貴族学院の生徒会長の椅子を手に入れたにも関わらず、憤慨していた。


(こんな話、聞いていない! クレアお姉さまからアスベルト殿下を奪って、私がそのポジションに収まるはずだったのに……!)


 シャーロットが思い描いていたシナリオはこうだ。


 まずはアスベルトや側近たちに、偶然を装ってクレアに関する悪い噂を耳に入れる。


 もちろん、初めは誰も信じなかったが、シャーロットが白の魔力を目覚めさせてからは簡単なことだった。


 話す言葉に魔力を潜ませればいいのだ。


 知らず知らずのうちに植え付けられたクレアへの不信感は、根を張り育って膨れ上がり次第に花開いていく。もっとも美しい花を咲かせる日が、アスベルトの卒業パーティーのはずだった。


 しかし、そうはならなかった。


 前日、夕食後に訪問した特別なスイートルームはもぬけの殻。立つ鳥跡を濁さずというばかりに片付けられた部屋は整然として美しく、憎たらしいほどクレアらしかった。


 シャーロットは、取り巻き達の前でお姉さまに会いたいと泣き真似をしながら、『やられた』と思った。



 幼少の頃クレアに初めて会った時のことを、シャーロットはよく覚えている。


 ミルクティー色の柔らかい髪色に、長い睫毛、上気した頬。上質なレースがたっぷり施されたライトブルーのドレスが良く似合っていた。


 ピンと伸びた背筋と気品に満ち溢れた微笑みは幼いシャーロットにも身分の違いを感じさせ、冗談ではなく、ここに本物のプリンセスがいると思った。


 悲しいことに、妾の子として生まれ、王都から離れた町に住むシャーロットのそれまでの暮らしは決して楽ではなかった。


 父ベンジャミンから十分な養育費が援助されてはいたが、母の浪費癖のせいで厳しい生活を強いられていたことに気が付いたのはたった数年前のことだ。


 何も知らないシャーロットが、何不自由なく育ち美しく純真で優しいクレアに嫌悪感を抱くようになるまで、そう時間はかからなかった。


(小さい頃、お父様やお兄様たちは私のことをよーくかわいがってくださったのに、おばあ様だけは私が近寄るのを嫌がったわ。贔屓よ!)


(お茶会でも、所作や言葉遣い、会話の話題選びについてグチグチと。私に恥をかかせて何が楽しいのよ!)


(何でも持っているのに、その上婚約者は王子様って……! 許せない)


 シャーロットは愛嬌たっぷりの笑顔でひた隠しにしてきたが、彼女の上昇志向の強さは異常そのものだった。


 さらに、一度心の内を知れば誰もがドン引きするほどに、分かりやすく言うと性格が悪かった。




「何なのよ、この書類の山。私は政治ごっこをするためにこの椅子に座ったわけじゃないのに!」


 誰もいない生徒会室で、うず高く積まれた未決裁の書類を前に、シャーロットは叫ぶ。


 シャーロットの予定では、クレアから婚約者と寄宿舎で一番上等な部屋と次期生徒会長の座を奪った後は、面倒ごとはすべてクレアに任せるはずだった。


 学友たちから羨望のまなざしだけを浴び、クレアに成り代わって生きるはずだった。


 ……が。


 王立貴族学院を卒業したアスベルトは忙しくてなかなか会えず、友人達に見せびらかす機会がない。


 押し付けるはずだった生徒会の仕事はクレアが行方不明になったため、自分でやる羽目になってしまった。


 ついでに、クレアを追い出して手に入れた部屋は散らかり放題。広いテラスに植えられた花は、とっくに枯れていた。


「シャーロット様、どうかなさいましたか?」


 声を聞きつけた副会長のジョンと書記のキャロラインが、怪訝な表情で生徒会室に入ってくる。シャーロットは、崩れた顔をきゅっと引き締めて儚げな表情を作った。


「何でもないの。……この書類が難しくて」

「先日に引き続き、顔色が悪いではないか。そんなものは私が片付ける。キャロライン嬢、シャーロット嬢に温かい紅茶を」


 慌てた様子のジョンの指示を受け、キャロラインがすぐに立ち上がる。


「シャーロット様、大丈夫ですか? こちらのソファでお休みになって。紅茶をすぐにお持ちしますわ」


 少し弱々しくしただけでこの調子だ。


(なんてチョロいの。知的な会話も、洗練された仕草も必要ないわ)


 シャーロットはソファにもたれかかりながら、書類を片付けるジョンと紅茶を淹れにいくキャロラインの後ろ姿を交互に見て、意地悪く微笑んだ。


「そういえば、数日前もシャーロット様は頭痛がするとおっしゃっていましたわね」


 紅茶を淹れて戻ってきたキャロラインが、シャーロットに聞く。


「ええ。生徒会のお仕事を滞らせてしまい、本当に申し訳ないですわ……」


 シャーロットは、今日だけではなく昨日も一昨日もついでにその前も仕事をさぼった。しかし、数日前に体に不快な感じがあったのは本当だった。


「父から聞いたのですが、パフィート国の王都近くで史上最大規模の魔力竜巻が発生する予兆があったのだそうですわ。魔力が強いシャーロット様は、それを感じ取っていたのかもしれませんわ」


 それを聞いたジョンも、机上の書類から目を離して会話に加わる。


「私の父上からも連絡があった。もし発生すれば、被害はノストン国にも及ぶ。予兆を察知した王城は大騒ぎだったらしい。……シャーロット嬢、国王陛下とアスベルト殿下はどのような策を講じるおつもりだったのだろう」


 真っ直ぐにシャーロットを見つめる二人。その目には、将来の王妃に対しての尊敬の念と憧れが見て取れる。


(……)


 しかし、シャーロットは、そんな騒ぎがあったことを知らされてすらいなかった。


(何それ。適当にかわしてもいいけれど、後で面倒になることはごめんだわ!)


 まさか知らないとは言えないシャーロットは、アスベルトからの寵愛をアピールする作戦を選ぶ。


「それが……ここ数日はいつも来ているアスベルト様からのお手紙や贈り物がなくて。お忙しいのかと思っていたら、そういう経緯があったのですね」


 儚げに寂しそうな微笑みを浮かべるシャーロットを、ジョンとキャロラインは心から肯定してくれる。


「そんなお顔をなさらないで。シャーロット様がいらっしゃるからこそ、殿下はご公務に力を尽くせるのですわ。……それにしても、竜巻は予兆だけで済んで本当に良かったですわね」

「ああ。父上によると、魔力竜巻が発生する直前にパフィート国で浄化が行われたのではないかということだった」

「素晴らしいわ。きっと、パフィート国にもマルティーノ家のような名門があるのですね」


 キャロラインが、賞賛の眼差しをシャーロットに向ける。


「……浄化」


 シャーロットは驚いた。


 高位魔法である浄化は、シャーロットであっても空間に使うとなると難しい。洗礼を受けてから、魔法を嫌というほど学ばされてきた彼女には確信があった。


 空に向けて放ち、空気を丸ごと浄化できる魔術師などまず存在しないということに。


(もし、それができるとしたら……)


 シャーロットの脳裏に、異母姉と一枚の手紙の存在が思い浮かぶ。


(……でも、あれはレオお兄様がすり替えたはず)


 シャーロットは笑顔を取り繕うことも忘れて、気を紛らわすように紅茶を口に運んだのだった。

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