元、落ちこぼれ公爵令嬢です。

第18話 二人の距離

　クレアがパフィート国にやってきてから一か月ほどが経った。

　ノストン国では公爵令嬢として完璧に振る舞わないといけないというプレッシャーがあったが、ここでのクレアは自由そのものである。

　入学早々ニコラに目を付けられたうえ、他の学生からは『ヴィーク殿下の友人』と距離を置かれてしまった。しかし、どんなことにも動じない侯爵令嬢リディアという友人に恵まれ、楽しい学校生活を送れている。

　クラス分けのテストでも無事リディアやヴィークと同じＡクラスに合格し、クレアの学力と魔術の腕はめきめきと上達していた。

（レーヌ家の生徒、イザベラお嬢様は私を姉のように慕ってくださってとってもかわいらしいし……これからどんどん楽しくなるわ）

　休みの前の日の夜、こうしてクレアはこの1か月のことを思い返しながら、自室で日記を書いていた。

「……それで」

　クレアは、部屋の一画に設置された机からくるっと振り返る。

「どうしてまた王子様がここにいるのかしら、ヴィーク」

「いいじゃないか。顔を見に来たって」

　カーテンの内側に立ち、腕組みをしたヴィークがクレアの反応を楽しむかのように苦笑する。この1か月で、クレアとヴィークは大分親しくなっていた。

　けれど、王立学校でも毎日顔を合わせてはいるが、初日の反省を踏まえて挨拶以上の会話を交わすことはない。もともと、ヴィークは側近を通さなければ話しかけられるような相手ではないからだ。

　ではなぜ親しくなったのかというと、毎日のようにこうしてヴィークがクレアの部屋を訪ねてくるからだった。

「でしたら、正面玄関から来てくださいとあれほど」

「いいのか？　それなら本当に来るが」

「……また冗談を言って！」

　そうは言いつつ、自分もまんざらでないのがクレアの悔しいところだった。

　ヴィークの軽口は心地よく、楽しい。明るい笑顔で人を虜にしたかと思うと、ふとしたことをきっかけに一瞬で第一王子の瞳に戻る。

　休暇の度に各国を周遊しているだけあって知識が豊富で、頭の回転も速い。それでいて、ノストン国からの旅路では情に厚く優しかった。

「でも、本当に毎日こんなところに来ていて大丈夫なの？　いろいろ公務やお仕事を抱えていると聞いているけれど」

「もちろん、ちゃんとやっている。数分のご褒美ぐらいいいだろう」

　意味深な言葉に、クレアは話の向きを変える。

「……明日は休日だけれど、どちらでの公務なの？」

「明日は、書類仕事が山ほどある。執務室に、キースと一緒に缶詰めだよ」

　ヴィークは、こうしてよくクレアに分かりやすい好意を示すようになっていた。クレアの方も醜聞を招きかねない振る舞いだと理解しているのに、本気で拒みきれない。

　ヴィークの紳士的な振る舞いに対する信頼も、それを後押ししていた。

（キースは、きっと今も執務室でヴィークの帰りを待っているのね……）

　王宮の光景を想像したクレアに、ふと、ある考えが浮かんだ。

「ねえ、今度、リュイをお借りできないかしら？」

「リュイ？　いいが、なぜだ」

「今週、魔術の個人レッスンで王宮にある特別図書館のことを聞いたの。いろいろな魔術や伝説に関する禁忌図書が置いてあるって。……滅びた国のことも詳細に記録してあるそうだから、見てみたくて」

「……そういうことか。……ああ、わかった」

　王宮にある特別図書館に保管されている資料は、国に関わる重要なものばかり。王宮勤めの貴族の付き添いがないと入れない場所だ。

「明日でもいいか」

「ええ、もちろん大丈夫よ。でも、明日いきなりではリュイに悪いわ」

「いや、俺が行く」

「え」

　思わぬ返答に、クレアは間の抜けた声を出す。

「あの、明日は執務室に缶詰めのはずでは……」

「いや、これから帰ってすぐに終わらせる。キースも1人で寂しがっている頃だろう」

　ヴィークはいつの間にか座っていたソファから立ち上がって、クレアが座る机のところまでやってきた。そして、机の上に置かれた懐中時計を親指で軽く撫でながら呟く。

「やっと王宮に来ると言ったと思ったら、リュイと図書館とは……」

「ふふっ」

　あまりにも拗ねたような口調がかわいらしく、クレアはつい笑ってしまったのだけれど。

　気がつくと、ヴィークのエメラルドグリーンの瞳がすぐ近くにあった。そして、さっきまで軽口を叩いていたとは思えない真剣な声色で囁く。

「昼前には、絶対に終わらせる。……王宮で待っている」

「……！」

　驚いて固まっているクレアを残して、ヴィークは静かに部屋の窓を閉じて出ていった。