ヴァンパイアロード

佐野みつ

第1話 ハンターダリア

 なんとも言い難い匂いが立ち籠める部屋の隅、大柄の男はスラックスに包まれた太くも長い脚を組み、一人がけのソファに座っていた。

 仕事は狩人である。

森で動物を狩ったり、木を切ったりといった木こりの真似事などをしつつ、生計を立てているのがこの男、ダリアである。しかし、仕事はそれだけではない。ダリアは教会にてとある依頼を受けることが月に二、三度あった。

 散々待たされ、冷えた紅茶の入ったカップを見るのに飽きたダリアが、そろそろ帰ってしまおうかと思い始めた頃。部屋の戸は開いた。

部屋に入ってきたのは、白衣を着た髪の長い男。ダリアを見るとへらりと気の抜けた笑みをする。


「悪いね、ダリア。忙しいときに呼び立ててしまって」


 長髪の男の名はドクターと呼ばれている。ダリアは勿論、特定の人物を除いてこの男の本名を知る者はいない。かくいうダリアも、この名前は偽名だった。

 ドクターは教会の関係者である証のロザリオを首から外し、冷めたティーカップの隣に伏せた。これから仕事の話をする。そういう合図だった。

 切るのが面倒で伸びきってしまった前髪を撫でつけたダリアだったが、重力に負けた髪は目を覆ってしまう。


「今日は見てほしいものがあるんだ。私の研究室に来てほしい」

「ここじゃ都合が悪いのか」

「頼むよ。急ぎなんだ」

「薬品の匂いは苦手なんだよ」


 ドクターは今し方座ったばかりのソファより腰を上げて開けたままだった扉へ向かい、顎を突き出すように首を振ってダリアに部屋の外へ出ろという。仕事のためだ。ダリアは重い腰を上げ、ドクターの後に続いた。

 廊下を暫く歩き、幾つかの扉を抜けたその先。ドクターの所有している研究室は、日の光が入らない、教会の奥の奥にあった。懐中電灯に照らされたドクターの横顔を、気味が悪いとダリアは鼻で笑った。


「足下に気をつけて」


 研究室の床には物が散乱している。


「汚いな」


 ダリアは呟きつつも、何とか座れる所を探して腰を下ろした。

 ドクターは部屋の壁にあるスイッチを押し込んで灯をつけたが、蛍光灯は寿命が近いのか、チカチカと頼りない点滅を続けた。目が慣れて直ぐに、ダリアは妙な匂いの正体を知った。


「あー、何か変な匂いがするとは思ってたんだよ」


 匂いの正体は、血塗れの吸血鬼だった。

 吸血鬼、恐らく死んではいないだろうその個体は、様々な拘束具に縛られて診察台の上に転がっていた。うう、と地を這うような唸り声。ダリアは近付いて、顔を覗き込んだ。目は布に覆われていて、口には鉄を噛ませてあるため表情はわからなかった。


「これ、キミのパートナーにどうかと思ってね」

「冗談、キツい」

「良い案だと思うんだけどね。彼の名前はラク。警察ではそう呼ばれていたそうだよ」

「なに? この吸血鬼、前科持ちか?」

「いいや。警官なんだ」


 吸血鬼が警官とは恐ろしい時代になったものだなと、ダリアは首を横に振った。

 長い髪を後頭部で結い、ゴム手袋をつけているドクターのその隣で、唸りをあげている吸血鬼もといラクは、一体いまから自分はどうなってしまうのだろうという恐怖に犯されていた。

ラクは生まれながらに吸血鬼であった訳ではない。

とある一件により、体を吸血鬼に変えられた元人間である。その為、吸血鬼社会と言えばおかしな話であるが、そのコミュニティーにて純血ではないという所で周りから浮いていたのである。

自分は好きで吸血鬼になったわけじゃないため、ラクは人間社会で生きることを望んだ。

吸血鬼でありながらその素性を隠し、警官として公務に就いていた。仲間意識が強そうだからという理由で、お堅い職を選んだのだ。人との縁に飢えていた。

だが、仲間意識の高い職だと思っていたのはラクだけだった。こうして、同僚に売られてしまったのだから。

 ラクは背後に何者かが立った気配を感じ、唸るのをやめた。


「ドクター。抑制剤もなしに解放して大丈夫なのか」


 ラクの背後に回ったドクターは拘束を解こうとしていたのである。


「大丈夫さ。君がいるし、何とかなるだろう。それとも何かね。最近仕事を頼んでいなかったからね、腕に自信がないかな?」


 ダリアは鼻で笑って返事とした。

 ドクターはラクの肌を傷つけないように、丁寧に拘束具を解き、最後に目隠しを取ってやった。ラクは久しぶりに目に入り込んでくる光に瞬きを数回して、すぐに後ろに飛びのいた。匂いでわかっていたのである。ドクターと呼ばれた男とは違う人間。先程からこちらを射抜くように威圧してくる男が、狩人である事に。

 この場合、狩人というのは、兎や鹿を狩る者を指すのではない。吸血鬼を殺す者のことをいう。

 ダリアは腰に隠したナイフの存在に意識を向けた。この吸血鬼が少しでもおかしな行動をすれば、直ぐに首を落としてやろうと考えていた。しかし杞憂に終わった。吸血鬼は後ろに飛んだかと思えば、突然その場に蹲ったのである。ブルブルと寒さを我慢しているかのように震え、遂には床に倒れ込んだ。

 ラクの長い襟足が捲れ上がり、首筋が露わになる。そこには注射針の跡がびっしりと残っていた。体液を抜き取った跡である。


「抑制剤を使うまでもないか」


 抑制剤は吸血鬼の基本的な衝動、吸血行動の抑止に使用される物である。人間で表せば、食欲を一時的にゼロにするようなもの。ダリアはラクの様子を見て、これだけ体液を搾り取られた後ならば、抑制剤の必要はないと判断したのだった。

 弱り切っている。今なら、素手でだって首をもぎ取れそうだった。


「訳あって警察側より引き取ったんだ」

「慈善事業か? 教会が吸血鬼を助けたのか」

「まさか。研究と、君のためだよ。君は狩りにパートナーを同行させないからね。何かあった時のためにも、いずれは用意しなければと思っていたんだ」


 ドクターは注射器を持って床に伸びたラクに近寄り、思いっきり腕を振り上げて降ろした。注射器の先、針がラクの太腿に刺さる。ラクは一度だけビクンと全身を大きく振るわせたが、声ひとつあげなかった。投薬したのは気付薬のようなもの。決して細くない針。大したもんだな、と注射嫌いのダリアは感心していた。


「きみ、動けるかな?」

「……もうちょい早く打ってくれてもよかったんじゃねえの」


 ダリアはラクの声を聞いて、目を丸くした。てっきり、女の吸血鬼だと思っていたのである。縛られて首輪までつけていた為、喉仏や骨格をよく確認できなかったのもあるが、痩せた輪郭や薄い腹に女だと決めつけていたのだ。

 真っ白な、背中まではあろう髪を振り乱し、ラクは顔を上げた。

ゆっくりと瞬きをして、立ち上がる。骨と皮だけになった指を一本、ダリアへ向けた。


「あんた、ハンターだろ。俺らの匂いが染み付いてる。一瞬、仲間かと思った」

「毎日ちゃんと風呂に入っていても分かるもんなのか」

「毛穴の一つ一つを丁寧に穿って洗ってる訳じゃないだろ。風呂に入ったところで消えないからな、バケモンの血の匂いは」


 ラクはやっと動くようになった身体を確認するように、首をぐるぐる回したり腕を伸ばしたりして、その姿はまるで運動前にストレッチでもしているみたいだと、ダリアは腰の短剣に意識を向けたまま思った。

 ドクターはボロボロのパイプ椅子を指差して座るようにとラクに言う。椅子は脆い音を立てていたが、痩せ細ったラクを支えるには十分な耐久性であった。


「で、なによ。俺に同胞殺ししろっての?」

「話が早くて助かるよ。ラクくん。そこにいる彼の相棒として、暫くの間、仕事を頼まれて欲しいんだ」

「……あんた、馬鹿じゃねえの。助けてもらっておいて言うのも何だけど、俺に今すぐ働けってのは酷だぜ。なんせ魔力ごと抜かれちまってすっからかんなんだ」

「今すぐ働けとは私も言わないさ。展望を話しているだけだよ」


 これからこれからと言って、ドクターは拘束に使用されていた、恐らく銀でできているであろう鎖や首輪をゴミ箱にぶち込んだ。乱暴に投げ入れ、ついでに蹴り飛ばしておく。そうやって粗雑だから部屋が散らかるのだとダリアは口をへの字にした。


「俺にバディはいらない。捨てておけ、そんなやつ。使えないなら尚更だ」


 足手纏いどころか、警察に顔が割れているとまで来た。仕事に支障が出るに違いないため、ダリアはドクターの勧めを断ろうとしていた。それに、その相棒候補である吸血鬼本人も嫌がっている。だったら話は早いのである。


「ラクくん。頼まれてくれないかな。ウチは元々、仕事は必ず二人で受けてもらう決まりがあるんだよ。みんな、元人間の吸血鬼や同胞殺しなんかを相棒に見つけてきてるのに、ダリアはいつまで経ってもひとりぼっち。可哀想だと思わないかね」


 まるで息子に友達ができないことを憂いている親のようである。


「俺に関係ねえわ」

「今ならご飯もついてくるよ。衣食住、君にとってわるいはなしじゃないだろう?」

「……まあ」


 吸血鬼の食料問題は深刻である。ラクも例外なく、日々空腹を耐えていた。

吸血鬼はもちろん血液を必要とする。裏で病院と手を組んで輸血パックを手に入れる者もいれば、そこら辺で人間を襲い、髪の毛一本残さず、文字通り完食する者もいる。最近では食用に人間を育てている吸血鬼も、いるとか。

ともかく、吸血鬼にとって死活問題であるのがこの吸血衝動であった。腹が減っては、死んでしまう。怪物でも何でも、物を食わねば生きていけないのである。


「試しでいいよ。君は元々警官としてうまくやっていたらしいし。ここでの仕事だって、きっとやっていけるさ。それにね。私たちもここで君を逃がすわけにはいかないんだよ。殺されるか、生きて私達と行動を共にするか。私としては、人間に害をなしていない君を殺すのは反対だけどもね」


 甘い言葉。どんなに魅力的な言葉でも、裏がないものはない。もちろんラクも馬鹿ではないのでそんなものは知っているが、ただ、今は少しばかり自暴自棄になっていた。仲間と思っていた者からの裏切り、そして拷問。生き延びる術があるのならば、喰らい付いてしまいたい。


「いいぜ。そのおっさんについてればいいんだろ。やってやろうじゃねえの。同胞でも何でも、頭から食ってやるよ」


 ダリアの意見は誰一人として聞いていないのであった。


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