勇者のいきつけ
延野 正行
魔導釜で作るジャンボ餃子 他2品 ①
空が黒煙に汚され、大地は炎に包まれていた。
幾千の強者たちが鬨の声を上げて、丘を駆け下る。待ち受けていたのは、異形の怪物たちであった。直後、剣戟の音が響き、弓弦の鋭い音が唸り、獣たちの雄叫びが飛び交う。
悲鳴と命を飲み込んだ大地は朱に染まり、死者を弔う祈りはなく、ただ無慈悲な笑い声が響くだけだった。
「退けぇえええええ!!」
最初に退却の合図を出したのは、人間の方だった。
異形の怪物――魔族との戦争に劣勢を感じた前線指揮官は、全軍に通達する。
相手の圧倒的な蹂躙に戦意を失っていた人類軍は、我先とばかりに逃げ出した。
しかし、狡猾な魔族たちが見逃すはずがない。足の速い魔物を解き放つと、背を見せた人間たちの足に食いついた。形勢は一気に魔族側に傾く――。
かに見えた……。
それは雷光のように戦場を貫いた。
突如現れた光は、退却する人類軍とは逆方向に駆け抜けていく。一瞬視界に入っても、その姿を捉えられるものは一人もいない。気が付けば、遠く彼方――揺れる金髪と、驚く程華奢な身体を見送るのみであった。
やがて、それは魔族のど真ん中に踊り出る。
その者が魔族に視線を置いた時には持っていた剣を握り締めて、異形の首を刎ねていた。
あまりに鮮烈な登場と、息を飲むほどの鋭い斬撃に意気揚々と人類を嬲っていた魔族たちは一瞬にして凍り付く。ゴブリンがそれを見て、粗末な棍棒を取り落としていた。
およそ人の所行とは思えない速さ――。
魔族のど真ん中に出てくる胆力――。
人類よりも遥かに頑丈な身体を持つ魔族を、一息で切り裂く膂力――。
いずれも人並み外れていることは間違いないのだが、魔族や人の目に映ったそれは、見目麗しい女剣士であった。
タンッ!
武具を纏った女剣士は地を蹴る。自分の背丈ほどある大きく幅の広い大剣を自在に動かすと、刹那にして十の魔族を切り裂いた。
少女は止まらない。
星の煌めきにも似た剣閃が閃く度に、魔族の数が減っていく。先ほどまで人類を罵り、笑う側であった魔族たちが、たちまち蜘蛛の子を散らすように逃げ回り始めた。
「レナーテ様だ!!」
意気消沈していた人類軍の戦意が蘇る。
魔族の軍勢の中で駆け巡る雷光を指差しながら、名を口にした。先ほどまで、青くなっていた表情に赤みが差し、目に生気が宿る。単騎で魔族をおののかせる姿に、焦がれ、喝采を送った。
当然兵士たちの士気は高まり、足の先が自然と戦場へと向けられる、指揮官が指示するまでもなく、兵士たちは武器を握りしめた。
「レナーテ様に続け!!」
指揮官の命令が飛ぶと、再度鬨の声が上がる。
兵士たちは再び死地へと飛び出し、逆に狼狽の最中にある魔族の中へと飛び込んだ。次々と、異形の怪物たちを討ち取り、その数を減らしていく。
魔族にしてみれば、たまったものではない。単騎の戦力だけでも厄介なのに、その上人類軍まで息を吹き返したのだ。一体、どちらを先に対処すればいいのか。組織戦では脆い魔族の足が止まる。そう迷っているうちに人類軍に討ち取られていった。
形勢はついに逆転する。
追いつめられていた人類軍が、逆に魔族軍を押し返し始めた。
一方、レナーテは金髪を揺らし、ついに魔族の本陣とも言うべき場所に到達する。
その中央に座していたのは、一際大きな怪物であった。
異様な雰囲気を醸し、強力な魔力が可視できるほど漏れ出している。
魔王幹部――グシャーラス。
レナーテは立ち止まって、その巨躯を見上げたが、決して退くことはない。一直線――まさに夜空を横切る帚星の如く駆け抜け、グシャーラスに迫った。
「馬鹿め!!」
グシャーラスは凍てつく吐息を放つ。
空気すら凍てつかせてしまうほどの吹雪が、レナーテに襲いかかる。
周囲が瞬時に凍り付き、白く濁る。人間の肉体限界と、魔法による耐性防御を遥かに凌ぐ猛吹雪は、如何な稀代の勇者とて耐えられるはずもない。
しかし、次にグシャーラスの視界に現れたのは、氷漬けの勇者ではなく、緑眼の視線と、刃であった。
ザッ!!
剣閃がグシャーラスの袈裟に切り裂いた音であった。直後どす黒い血が噴き出し、グシャーラスの巨躯が2つにズレる。グシャーラスの意識はすでに朦朧とし、ただその一言を吐き出すので精一杯だった。
「おのれ……。勇者――レナーテめ…………」
ついに人類から東の大地を取り上げた魔王幹部が敗れる。
勇者が討ち取ったという報はたちまち戦場を駆け巡ると、人類軍は諸手を挙げて喜び、魔族たちは全身を震わし、体躯のあらゆる部分を青くし、撤退していった。
こうして魔王幹部は討たれ、人類の歴史に1つ大きな勝利がもたらされる。
しかし――――この物語は、ここから始まる。
これはご飯と、ちょっとコミュ障な勇者のお話である……。
◆◇◆◇◆
パスティリオ王国王都は、祝賀ムード一色だった。
沿道には人が溢れ、歓声と拍手が鳴り響き、紙吹雪が舞っている。
王都の酒庫が解放されると、赤ら顔の男たちが何度も乾杯の声を上げ、女たちは弦楽器と太鼓の音と共に、踊りを楽しんでいた。子どもたちは屋台の食べ物に興味津々で、ベンチに座った老夫婦がニコニコと笑顔を浮かべ平和を謳歌している。
街角には大きな文字で「王国軍大勝利」とでかでか書かれた横断幕が靡いていた。
その幕の前を喋りながら歩いて行く一団がいる。装備からして王国の正規兵ではない。おそらく冒険者と思われる一行の中には、レナーテ・ヴィンターの姿があった。
不思議なことに稀代の勇者少女、救世主、伝説の英雄が歩いていても誰も見向きもしない。
パスティリオ王国軍がわざと彼女の存在を伏せているからだ。故に、一般民衆たちはレナーテ・ヴィンターのことを知らない。知っているのは、王国兵と王宮の関わりある人間ぐらいで、その情報は厳重に秘匿されていた。道行く人を見れば、背が高く腰のくびれがタイトな美しい女冒険者ぐらいにしか見られていないだろう。
別に王国軍もいじわるで伏せているわけではない。救国の少女の存在は、何よりも士気を高めるであろうし、可能な限り政治宣伝として利用したいところだ。しかし、そうなっていないのは、レナーテの性格にあった。
「王宮もケチよね。王国軍の窮地を救ったんだから、もうちょっとくれたっていいのに。……レナーテもそう思わない?」
歩きながら、袋の中の金貨の数を数えていた仲間の1人が、突然話を振る。
しかし、レナーテは無反応だった。いや、それどころか戦場で大根を切るみたいに魔族をズバズバ切っていた女性は、「ひっ」と半ば悲鳴じみた声を上げて、話を振られたことに驚く。
どう反応していいかわからず、助けを求めて辺りを窺うも、助けを求める言葉にも迷っている様子だった。
そう。稀代の勇者は、コミュ障なのだ。
人前どころか、仲間の前でも口を開くのが苦手な性格をしている。
スピーチを求められても、時間が許す限りで演壇に立ったまま固まっているし、文屋から『何か一言』とお願いされても、その一言を捻り出すのに半日かかってしまう。今年でお酒を飲める年齢になり、立派な大人なのだが、これでは政治宣伝どころの話ではなかった。
結局匙を投げた王国は早々に諦め、こうしていつも派手に『王国大勝利』の横断幕を掲げて、戦意高揚を謀っているというわけである。
とはいえ、政治活動が全くなかったわけではない。
今朝も朝霧に紛れるように王宮に参内し、レナーテの大ファンという王子王女たちから出迎えを受け、王国議会長と王国軍指令官代理と今回の戦争についての意見を交わし、昼からは戦功授与式と国王陛下に謁見。王宮を出てからは、治療院に赴き、戦傷兵士たちを見舞った。
ようやく行事が終わった時には陽が大きく西に傾き、もう数刻もすれば夜だ。
「やっと終わった」
心の底から言葉を絞り出したのは、レナーテの仲間で魔導士のフーデンだった。
レナーテを含めて3人パーティーで唯一の男。レナーテがいなければ、英雄になれるぐらいの実力者だが、本人曰く『夜型』らしく、いつも眠そうにしている。隙あらば例え戦場であろうと、王の前だろう平気で眠る――ある意味強者だった。
「『やっと終わった』じゃないわよ、フーデン。陽が落ちて、鍛冶屋と道具屋が閉まる前に武器のメンテと買い出しに行くわよ」
コミュ障の勇者、やる気のない魔導士を束ねるのは、やる気から生まれたような元気な赤髪の少女だった。持った槍の先に信仰している神の意匠をかざした女僧兵の名前はラヴィーナ・バーネットという。
レナーテとは同郷で、パーティーのリーダーだ。
「Zzzz……」
「立ったまま寝るな」
他二人と違って社交的で、やる気に満ちた彼女は、手に持った槍の柄でフーデンを小突く。本人はソッと叩いたつもりなのだろうが、4分の1巨人族の血が入った彼女の突きは凶器に近く、フーデンを壁際まで吹き飛ばしてしまう。
「殺す気か、ラヴィーナ」
「大丈夫。手加減はしておいたから」
「そんな風には見えなかったけどな」
「はいはい。ごめんなさい。じゃあ、とっとと道具屋に買い出しに行って、回復薬を40本と、魔力回復薬を32本、汎用の魔石40個と高級魔石を7個獲り行って。駆け足!」
「多いわ! そんなに持てるか! お前と違って俺はか弱いんだよ」
「何を言ってるの! 魔法袋に入れればいいでしょ。そもそもこれだけでも今回の戦闘で減った消耗品の半分ぐらいなんだから。残りは明日もらってきてもらうわよ」
「な、なあ……。ラヴィーナ、補給が大事にっては俺もわかるぜ。けどよ。昨日戦って、今日じゃねぇか。少しは休ませてくれよ」
押してダメなら、引いてみようという精神なのか。
フーデンは少し態度を軟化させて、ラヴィーナにお願いする。
しかし、ラヴィーナには通じなかったらしい。
「却下よ、フーデン。何故なら今夜魔族の襲撃がある可能性があるからよ」
「はあ? お前、正気か? 軍指令代理様が行ってたじゃねぇか。しばらく魔族による王都襲撃はないって。俺たち、魔王幹部をやっつけたんだぞ」
「そりゃあたしだって、休息を取らせてあげたいわよ。……でも、魔族にとって今が好機なの。魔王幹部を倒して浮かれ気味の人類……。加えて、王国軍の主力は今残敵掃討をしていて、王都から離れてるわ。あたしが敵の指揮官なら、今攻める。あたしより狡猾なヤツらがやらない手はない」
「ないない。大丈夫だって。ラヴィーナ以上に陰険な指揮官は魔族にはいない――おわっ! あぶねぇ」
さりげなく悪口を混ぜたフーデンの頭に、ラヴィーナの槍が襲いかかる。
残念ながら、空を斬ったが、ラヴィーナの怒りは静まらなかった。
「誰が陰険よ、フーデン」
「お前だよ、トロル女」
にぎぎぎぎ……。
2人は歯を食いしばり、睨み合う。
そんな2人の諍いを見て、レナーテはどうしたらいいかわからずオロオロしていた。
ラヴィーナの予想はよく当たる。だから油断はよくない。だけどフーデンの休みたいと言う気持ちもわかる。今休まなければ、たとえ魔族の襲撃を受けても果たして追い払うことができるかわからない。
ラヴィーナも、フーデンも、見た目とは違ってボロボロ。
割と余裕があるのは、レナーテだけだった。
どっちの気持ちもわかるし、なんとか諍いを止めようと言葉を考えるのだが、なかなか浮かんではこない。いや、浮かんでは来るのだけど、その言葉が一方におもねったりしていないか、相手を傷付けないか、色々考えてしまい、結局黙ってしまうのだ。
「少しは休ませろって言ってるの」
「それができないって言ってるの」
2人とも1歩も譲る気はないらしい。
レナーテは2人に仲良くして欲しいけど、その言葉が浮かばない。
エスカレートしていく2人の言動、このままではパーティー消滅、それどころか魔族襲撃の恐れもある。
一触即発という状況の中、レナーテの頭に浮かんだのは、ある1文だった。
(お腹、空いたなあ……)
現実逃避と言われればそれまでなのだけど、レナーテにもレナーテなりの言い分がある。
実は朝から、いや一昨日の開戦から満足にご飯を食べていないのだ。終わった直後、塩辛い携帯食を頬張ったぐらいで、王都に帰ってきてから紅茶ぐらいしか胃に入れていない。
レナーテはとても食いしん坊である。
成人女性に食いしん坊という表現も、なんだかおかしい字面かもしれないが、同じ年頃の女性と比べても、食に貪欲な方だった。もっと有り体に説明するなら、特に趣味もないレナーテにとって、「食」とはめちゃくちゃ強いことと、コミュ障以外に自分を現す唯一の特徴と言っていいかもしれない。
「じゃあ、飯ぐらい食わせろよ。なあ、レナーテ。お前もそう思うだろう?」
「レナーテ。悪いけど、ちょっと我慢…………って、あれ?」
2人が振り返った時、稀代の勇者少女の姿は消えていた。
~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~
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