彼の寿司

@pranium

第1話

 寿司えびが乗った皿を、レーンから取って考えた。


 男性アイドルやモデルには全く興味が無い私が、彼が寿司を握る姿なんかをなぜこんなにも見ているのだろうか。


 ここは地元の回転寿司。私はカウンター席に座って、レーンの中の調理場にいる彼の作業姿をぼんやりと見ていた。今日だけではない、先週も、その先週もである。


 彼に恋とかそういうのではないんだけど、どこか目を離せなくなるような魅力を感じているのには間違いない。


 彼が握る寿司が特別美味しいとかの実利があるということでもないと思う。多分バイトみたいなものだろうし、最近はその辺のノウハウはマニュアル化されていてもおかしくない。布巾で台を拭く速さや握る時の指さばきなど、どうでもいい細かい所作に私の心が惹かれている気がする。


 箸で寿司えびの一貫をつまみ、口に引き寄せ、入れてみると、シャリの手前半分がぽろりと落ちてしまった。


 彼のシャリはこういうことが多い気がする。普通の客は少し文句を垂れるかもしれないが、私は彼のそういった未完成具合さえも尊ぶことができた。


 醤油皿に落ちたシャリの半身と二貫目を食べると、彼がまた寿司えびを乗せた皿をレーンに流す。それがレーンを半周回ると、私の席の前に辿り着こうとしている。


 さっき寿司えびを食べたのだから、他のものを食べようなんて考えは、私にはない。私は彼の流した寿司だけを食べたい。


 いや、可能なら彼の流した寿司は全部食べたい。


 私が寿司えびをレーンから取ると、彼が次の皿を用意している。私は急いで寿司えびを食べると、彼の動向を伺った。


 右手にはバーナーが握られていて、マヨネーズが乗ったサーモンを手早く炙っている。


 炙りサーモンマヨか…。いや、それはいいのだが、問題は数だ。調理台には5皿も並べられていて、その上を撫でるようにバーナーが往復している。


 もうすでに8皿も彼の寿司を食べているのに、炙りサーモンマヨ5皿は重過ぎる。しかし、彼の流した寿司をそのまま見送るのはもったいない。そのジレンマにおぼれていると、いつの間にか私の席の前まで炙りサーモンマヨ5皿が迫っていた。全部取るか……!妥協するか……!見送るか……!どうする――!!




 次の瞬間、目の前の卓上には炙りサーモンマヨ5皿が鎮座していた。


 「うそでしょ……。」


 思わず口から弱音が漏れた。私は炙りサーモンマヨ5皿を、必死に食べた。サーモンの脂感とマヨネーズの脂感の相乗効果によって、私の胃と満腹中枢は彼によって蹂躙された。


 私はなんとかそれらを食べ終わると、敗戦の準備をした。もう彼の寿司を受け入れるキャパシティが残されていない。私は湯呑のお茶を一口だけ飲むと、お愛想を頼みレジに向かった。


 彼は次の炙りサーモンマヨ5皿を調理台に装填し、バーナーで炙っている。危なかった、まだ席に残っていたらあれを受け入れてしまうかもしれない。名残惜しいが、また来週にしよう。


 「お会計、2100円です。」


 出費も今日はかさんでしまった。まあいい、彼のバイト代になってくれれば、本懐といえるかもしれない。


 “大食い 方法”と検索しながら、今週も店を出るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼の寿司 @pranium

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ