ひねもす木漏れ日わたる
御法川凩
第1話 新来の来訪者
マッドな闇の中、少年は現れた。
ふと、何か思い出すかのように周りを見渡し、身をかがめた。
小さく小さく神経だけを研ぎ澄まして。
静寂な暗闇で、何者かの声が耳の奥を刺激した。
「誰?」
その声がはっきりと聞こえた。
暗闇の中に、そして今度もはっきりと聞こえた。
「誰?」
言葉が出なかった。
「君は人間」
2人の間に沈黙がおとずれた。
「ここ・・暗すぎる。何も・・何も思い出せない」
闇の中で気配が消えた。不安が襲う。
「一緒にくるか?」
まだ、そこにいた声に思わず頷いた。
「誰?」今度は逆に誰何した。
「ピョーブルパパン」
「ピョー・・ぶるぱぱ?」
一度に覚えられなくて少年は噴き出した。
「こっち」
「待って。暗くて見えないんだ」
ピョーブルパパンと名乗ったものは少年の手を握った。
「こっち」
獅子は四本の足を止めて身をかがめた。ブルンっと脱ぎ捨てるかのように二本足の少女へと変身した。
両手で目の前のものを軽やかにゆっくり背負った。
そして、強く地を蹴った。
どこまでだ・・?
青年は空を見上げていた。空と呼べるべきものは見当たらない。
代わりに足下からさざめく、金色の植物が垂直に空を覆っていた。
道の先にそれが切り落とされているのを見つけた。
「穂・・麦?稲?」
丸太のように横たわった上に片足を立てた。
果てしなく続いている道を見て考えあぐねた。
「いやいやいや」
どこまでも暗闇ばかりだ。
「君はさ、よく見えるね」
ピョーブルパパンは質問には何も答えなくなった。
だいぶ歩いたと思う。少し汗ばんできた。
「そろそろ?」
「あと少し」
やっと答えた。
未だ何にも出会えない。家の灯りとか、街灯だとか、車のライトだとか。ただ、そんな物は何故か期待をしていなかった。
あまりにリアルで、醒めない夢。
ピョーブルパパンの足が止まった。
「待っていて」
そう言うとどこかへ離れていった。握っていた感触が暗闇の中でピョーブルパパンを探していた。
これ、本当に夢なのかな。
少年は両手で自分の体を確かめた。感触はしっかりある。手の甲を思い切りつねってみた。
「痛」
夢ではないかもしれないと思って、少年は少し怖くなった。
その時、手の中に感触が戻った。思わずそれを振り払ってしまった。
「待たせたね」
「・・ピョーブルパパン?」
「これから〝ゲン〟へ招待する」
「それって、君の家?」
その問いにピョーブルパパンは頷いた。
「そこは少し太陽を引っ張ってあるから、良いと思う」
「太陽?引っ張る?・・げんって何?・・」
その問いの答えはなかった。
けれど、ピョーブルパパンは頷いた。
天ほど伸びていた植物の森から抜け出した。
「やっと出た」
ため息が出た。振り返ると、恐ろしいほど高い植物の中に、果てしないほど遠くまで道が続いて見えた。
「面白い夢だな。起きたらすぐに書き留めよう」
「ゆめ?」
声がして後ろを振り向いた。
誰もいない。
それよりも、圧倒して声を失っていた。色とりどりの花々や人生において見たことのないほど曲がり曲がった大木や植物たちが見渡す限りの地表を埋め尽くしていた。
「俺、死んだの?」
頭の中の知識の全てを振り絞って出た結果だった。
「死ぬ?」
再び声が聞こえた。
「どこから来たの?」また。
姿の見えない相手に苛立った。
「質問攻めだね」
「どこへ行く?」
「それに答えるけれど、まず出てきてよ」
「こころよく」
柔らかな光球がフワリと舞い降りてきた。
「君?」
まるで生き物のように光球は発光した。
優しいまろやかな輝きだった。
「あなたは誰?」
「おおっと。まるで振り出しに戻るんだ」
「オオットというのですか」
「?・・違う違う。名前は拓磨」
「タクマ、どこから来た?」
「どこからか・・日本だ。いや・・横浜?・・俺だれ?」
「ニホン・・・ニホン。ではどこへ向かっている?タクマは人間だろう」
「(人間って・・知っているじゃないか)ここはどこなんだ?夢何だろう?」
「ゆめ?」
「寝てるときだけ見る世界。まさにここはそうだろう?」
「ここにはタクマのようなものはいない」
「え、ちょっと待って。どこへ行くの?」
光球はおぼろげに光りながら拓磨の来た方へ進んでいった。
「(夢じゃないなら何なんだよ)ついて行ってもいい?」
拓磨は振り返って言った。
「よい」
家らしき形があった。真っ暗闇の中、外壁が指先をかすめた。鉛筆ほどの線が縦にうっすら見える。ピョーブルパパンはその中に少年を引き入れた。
薄明かりでも、それまでと比べものにならないほど明るさを感じる。そこは確かに家で、雨風こそしのげる程度だ。家具らしきものは見当たらない。
手の先にいるピョーブルパパンに気づいた。
「君?」
同じ目線で頷いた。
「視界が不自由だろうから、ここにいるといい」
「あ、ありがとう(目が覚めるまでだけど)」
「君の名は?」
「真人」
それを聞いて、ピョーブルパパンは考えている様子だ。そして家から出て行ったままいつになっても戻ってこなかった。
「疲れた」
やけにまぶたがピリピリする。
「まなと」
「あと五分・・」
(眩しい。カーテン開けたまんまだっけ)
布が擦れる音でパチッと目が覚めた。
白い光を背負って人影が揺れた。黒くて長い髪・・
「休めましたか?」
その言葉で頭がしゃっきりした。目の眩みも徐々に消えていった。
「もしかして・・ピ?ピョー・・何だっけ」
「ピョーブルパパン」
(嘘だ)
真人は抜け殻のように固まった。必死に考える前に思考が一旦停止した。
(夢から抜け出せてない!)
「しばらく、まなとは自分だけでも十分だ」
その意味がいまいちわからなかったが、多分手をつながなくても大丈夫だということかと理解した。
「外へ出ようかな」
立ち上がると大きな音でお腹が鳴った。
「あはは」
「ここって昨日の夜と同じ場所?」
外はさらに眩しくて、その光に目が慣れない。真っ暗闇とは違って音が聞こえる。
「よく君はこの光に耐えられるね」
風が頬を撫でて、澄んだ香りがした。細目を開けると、青い空が上下一面、映し鏡のように広がっていた。
「綺麗・・こんなのって・・見たことないよ」
そう言ってピョーブルパパンを見て更に驚いた。
長い髪に気を取られて、気づかなかった。
「え」
あるべきはずの場所にそれがない。
「君、目が・・・」
ピョーブルパパンには両目どころか眼窩そのものがなかった。
「目?君のそれだ。それがあるものを知っているよ。ヒミオルフ。これら達にもそれはある」
理解不能。半分以上、聞き流した。
ピョーブルパパンが歩き始めて左の方からまた誰かやってくるのが見えた。
驚くことに同じピョーブルパパンだった。違うのは髪の色。長い髪は灰色だった。
「これをとるといい」
別のピョーブルパパンが持ってきた紫色の親指大ほどの粒を真似して食べた。
もちもちして、まるでタピオカのよう。空腹に気がついて、一気に口の中に放り込む。
胃袋は膨らんだ。味は甘酸っぱくて空腹にはなおさら美味しかった。
「ここには他にもたくさん君たちが住んでいるの?」
真人は、ピョーブルパパンの後について歩いた。よく見ると、空に擬態した建物があることがわかった。
遠くの方に数人の人影が見える。それもまた同じピョーブルパパンだった。
「みんな君と同じなんだね」
髪色以外、寸分違わず、容姿、背格好から全ての住人が同じだった。
「でもさ、君は僕のことはわかるけど、僕は君・・だから、つまりさ、昨日みたいに真っ暗闇だったら、どうやって見つければいいの?」
「まなとの手をつなぎます」
「いやさ・・そうじゃなくてさ」
ピョーブルパパンは真人の手を握って持ち上げた。
「声が違います。わかりますね」
確かにピョーブルパパンの声は特徴があった。プラスティックのような声質。
その横で、ピョーブルパパンは真人の掌に大きな実を乗せた。大小違う紫色の果実。
違う、ピョーブルパパンがやってきて、ひょうたんのようなものを持ってきた。
チャプっと水の音がする。
真人はそれを受け取って、恐る恐る一口流した。
「うまっ!」
真人はカラカラになった体に気がついた。
「ここにありますからどうぞ」
ピョーブルパパンは手を伸ばして空から飛び出たバルブのようなものを軽くひねった。
擬態してわかりづらいだけで、すべては生活環境の整った街のようだ。
「あのさ、これが夢じゃないとして、僕には居場所がなくてさ。えっと・・・もう少しここにいてもいいかな」
目が覚めてもまた同じということは、まだ本当の夢から覚めていないか、もう覚めないということだ。信じられないことだけど。
「あのさ、やっぱり君と他は区別したい。それで・・君には名前ってあるの?」
「玄」
ピョーブルパパンはそう言った。そして、この名はピョーブルパパンの称号のようなもので、それは玄だけに許された唯一の名であった。
真人はそれを聞いて少しだけすっきりした。
「この世界には、君たち以外にもいるの?」
「それは、私たち以外のものたち。ということでしょうか」
真人は頷いた。
「ピョーブルパパン・ヒミオルフ・ポピ・シュクゥ・シャンダールガ。私が知り得る種族です」
早口でもないのに舌を噛みそうだし、記憶に留めていられなさそうな名前だ。最後の『ルガ』は頭に残った。
「玄って呼んでもいい?」
「どうぞ」と静かに言った。感情が読み取れない。〝目は口ほどにものをいう〟とは、本当にその通りだ。
「そうだ。僕を見つけたところへ行きたいんだけど」
それは何故か知っておきたかった。
水が大岩を穿つ。そのしぶきの間を小さな虫が旋回している。
「天外さま、マホロビさまが」
侍従のそれを聞き終わらないうちに天外の足は長い廊下の曲がり角を曲がった。その足は線となり宙を浮いた。
奥の部屋の前でその足を地に下ろす。
「どうしたのだ」
白い御簾の前にマホロビが座っていた。
「どうしたものか、天外の意見を聞きたい」
「わかった」
2人の童子の間に、張り詰めた空気が広がった。
「人の子を拾った。おそらくあれはそうだろう」
天外の銀朱色の瞳が輝いた。
「どこで?」
「勤めから帰る途中、ポピの境で」
「連れて帰ったのか」
マホロビは頷いた。
「ここに人が現れるとは」
「人は守ることが契りとされている。天外」
沈黙の時が流れ、少しの間天外の思考は空を舞った。
「預かろう。人の子がここに来た理など必要はない。静かに見届けよう」
「なるほど、考えは同じだ」
真人はそびえ立つ玉虫色のゼリーの壁を見つめていた。
「ここ?」
右手をその壁に向けた。
「それはいけない」
そう言って、玄は真人の行為を制した。表情はないが、右手を握って下した。
「ここから向こうは時の番人のもの。断りもなく触れたり、万が一でも入ることのないよう」
真人は壁から距離を置くことにつとめた
「気が付いたら真っ暗だった。何をしていたか覚えてないけど、夢かと思ってたのに・・・」
玄は真人の話を静かに聞きながら、帰路へと進んでいた。
壁の向こう側で、時の番人が静観していた。
真人の腹は嵐のように鳴り続いた。
お腹の上に手を当てながらさっき食べた小さな粒を思い浮かべた。
(お腹空いたな)
玄は理解したかのように部屋から出て行った。真人は改めてこの部屋の細部をじっくり眺めた。
陽炎の羽のような壁。外の向こうはもう漆黒の闇だ。
徐々に仄暗い明るさに慣れて、壁に小さな渦巻きの突起物を見つけた。それに触れるやいなや、家の外壁が躯体ごと消滅した。真人はもう一度突起物に触れてみた。
壁が現れた。
「へえ。出入りは簡単なんだ」
拓磨の顔は青ざめていた。
(うわ・・キモ・・嘘だろ・キモイんすけど!)
少し見上げた高さに大きな向日葵。
向日葵と呼ぶには花の部分が大きすぎた。
向日葵にしては大味すぎた。細長い花びらは無数に飛び出している。そして、茎に沿って細い葉が無数に飛び出ていた。
まるでムカデの足のようだ。
「何故・・かお」
何より不気味なのは中心の花軸に人の顔があったからだった。
見た目から、子供のようだった。
光球はその横を通り過ぎた。
「あれ、何?」
背後へ過ぎ去った気味の悪い花を見て言った。
「贄子(シシ)」
光球はそれ以上のことは発しない。拓磨も聞き流した。最初の場所から抜け出すことができたが、今度は緑一色のジャングルの中だった。今までに自分以外の人間、動物など生物
を認識できるものと出会えていない。
光球はひたすら目的地へと向かっているようで、拓磨はそれに従うことを目的とした。
贄子を一体、遠く視界の端に捉えた。
ひとつ見つけると、次からは簡単に見つかる。
道の向こうの断層から、水が湧き出ているのが見えた。拓磨は急に乾きを覚えて途中がてら両手で水をためた。
「いけません!」
光球は慌てて飛んできて、拓磨を全力で制止した。
「え」
指の隙間から水は流れ落ちた。拓磨は両手の水を払った。
「だって、喉渇いたんだけど。夢だけど」
光球はぼんやりと浮かんで、何も発することはしなかった。その代わりまた、道の先へと進み出した。
「その水は口にしてはならない」
それから拓磨の乾きはなくなった。そして、今は黙って着いていくことに徹した。
今日一日で随分歩いた。最初の場所からどれだけ歩き続けただろう。時間こそ計れないが、拓磨の足はギブアップ寸前だった。
だからといって、他に相手をしてくれるような生命体はない。
休みたいと文句くらい言っても良いのでは?と思い始めた頃、光球越しの先にジャングルから夕焼け空の切れ目が見える。そして、何よりときめいたのは家があり、灯りがあったたからだった。
嬉しいことに、光球の目的地がこの家だったようだ。家はまるで昔観た映画さながら、ホビット族のそれと同じものだ。盛り上がった土も上から煙突が飛び出ている。正面はガラス戸のない丸穴が戸口を挟んで左右に二つ。
その丸穴から光球は入っていった。
外が瞬く間に闇夜になったころ、玄が戻ってきた。余分にもらっていた紫色の実のおかげで空腹はしのげた。いくつ食べても不思議と飽きることがなかった。ただ、部屋にいるほか何もすることがない。退屈だ。
ようやく、暗くなった頃部屋の扉が開いた。
「まなと」
玄のあとに他のピョーブルパパンが続いてやってきた。長い黒髪は玄1人だけ。ピョーブルパパンは玄だけだった。
明らかに玄とは違う、姿形は寧ろ、真人とさほど変わらなかった。
「これらのものは真人の原型」
「原型?人ってこと?」
「人は進化したのだ」
最期に入ってきたのは髪を一つに束ねていた小柄なピョーブルパパンだった。
「まなと」
玄がそう言って真人に向けて片手を差し出した。
「これらのものは引陽するものだ。日の半分を交代で行っている」
玄より体躯の良い二人だった。
一礼した後、すぐに玄の背後に下がった。目が不自由なのか、角膜は青白く白濁している。
「引手の名は光明と晦冥(かいめい)。これらのものらは光明。真人もよく知っているだろう〝太陽〟という名を。それを導いている」
「ここへ置いておきます」
小柄な少女は液体の入ったひょうたんの筒を二つと、小さな台の上に何か果実のようなものを置いていった。
「私は蜷(ニナ)。隣にいますからご用があればお声がけください」
引手二人と蜷は玄を最期に残して出ていった。
「まなとをどうすれば良いのか考えている。前にも話したが、この世界には他にも異なる種族が存在する。そのどれにも人の交わるところはない・・・本来の場所へ戻るのが正解なのだろうが、その往来の仕方は知るところではない」
玄はそう言った。
「人の記憶もない。まなとが良ければここへ暮らすのは構わない」
その言葉を静かに待って、真人は応えた。
「記憶がないけど人間ではあるよ。その世界で生きていた自覚も経験は覚えているんだ」
その言葉を玄は静かに聞いていた。
「手段がないわけでもない。可能性のひとつでしかならないが・・」
真人は顔を持ち上げた。
「ポピが方法を持っているかもしれない」
「ポピ?」
「ここと同じような違う世界」
「そこへ行けばいいんだね」
「元に戻る方法は絶対ではない。そして、今どこに在るのか。本来ならば、ポピとは干渉が好ましくない」
「色々と難しいんだね」
「近道はない。ポピへの道は遠回りの遠回りだ」
「僕は自分の世界へ戻りたい」
「では探すしかない。ポピの場所を」
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