閉ざされた森の中で(インフォメーション・ガール 番外編)

ウゾガムゾル

火力発電

誰も見てくれない。それは、俺の昔からの悩みだった。


俺は何かを創作するのが好きだった。小学生の頃、「読書か自由帳」と言われたら、まず間違いなく自由帳を選んだ。想像力のままに絵を描き、文を書いた。学年が上がるとゲーム機の創作アプリを使ってアニメを作り、インターネットに投稿した。そして高校に上がってから、小説や絵、曲を投稿していた。


だが、それらは誰にも見られることがなかった。自由帳も人には見せなかったし、ゲームで作ったアニメも全くと言っていいほど評価がつかずに終わった。そして、小説を上げても読まれず、絵を描いても見られず、音楽を上げても聴かれず、だ。俺は生来の根暗で、ぼっちで、パッとしない奴だった。


いや、全く見られていないわけではない。少しは反応があった。それはありがたかった。でも、同じ活動をしている他の人と比べたら、俺は常にその辺の石ころのような存在だった。


アナリティクスを見ては、数字の上下に一喜一憂する。まあ、ほとんどの場合は増えても減ってもいなかったのだが。理想と現実のギャップが目の前に立ちはだかった。


妄想の中では、俺の音楽のコメント欄は既に考察で賑わい、SNSで引用され、評論家に「ここの部分が、かの有名な〇〇からの影響を感じさせるが、同時に独自性も含んでおり」などと絶賛されていた。そしてその成果で仕事をしなくてもいいくらいの収入を得ていた。


妄想の中ではだ。だが実際は、間違えて開いてしまっただけとしか思えないアクセスしかなかった。


そんなことを続けるうち、俺はもう何をしてもダメなのだと気づきはじめた。そうだ。作った作品が見られるか見られないかは、生まれたときから決まっているに違いない。どんな優れた作品でも見られなければゴミでしかない。それで俺は創作をやめた。大学に入る頃だった。


創作をやめると、俺は悶々とした焦燥感を持て余すようになっていた。俺はネットサーフィンを常習するようになった。そして、コメント欄でよく喧嘩をするようになった。些細なきっかけで、罵声を浴びせ合う。建設的かどうかなんてどうでもよかった。ゲームみたいなものだ。でも書き込むたびに毎回、不安と虚しさが襲ってきた。それは段々と大きくなっていき、俺は喧嘩をやめた。


だが喧嘩をやめたからって悶々とした気持ちが晴れるわけじゃなかった。むしろ日増しに高まっていく。どうしたものかと思ったが、もはやフィードに流れてくるネット記事を読むくらいしかやることがなかった。


実は、創作をやめてからも、「どうすれば有名になれるか」をずっと考えていた。ただすごいことをしただけではいけない。話題性がないといけない。だが俺は流行に鈍感で、友達もいないから他人のツボが全くわからなかった。もう、同業者をSNSでフォローしまくって、、いいねして回って見返りを期待するしかないか? だが俺のプライドがそれを許さなかった。そもそも全く興味のない他人の創作なぞを何故俺が見なければいけないんだ。なぜそんな雑魚たちにヘコヘコしないといけないんだ、と。


そこで、だ。ネット記事を見ていると、ネガティブなことばかり流れてくる。有名人のスキャンダル、炎上……。なぜこんなにネガティブなことが多いのか。それは人がネガティブなことが好きだからだ。つまりポジティブなことよりネガティブなことのほうが話題性が高い。


そう。俺が思いついたのは、炎上商法だ。批判されてもそれで知名度を上げて結果的に得している人を見ると、「悪名は無名に勝る」という言葉の正しさを実感するようになった。


そして俺は決心した。炎上商法で売れるのだ。そのために、炎上商法のネタにする話題を選んだ。いろいろ検討した。一度やってしまえば一生そのイメージはつきまとうのだから、もっとも効果が高そうなものを選んだ。そんな中で流れてきたのが、「人気VTuber事務所から4人が一斉に脱退し、新たなグループを作った」というニュースだった。VTuberのことはよく知らなかったが、華やかで斬新な外見の裏に闇を抱えたコンテンツであるというイメージがあった。


これなら間違いないだろう。そう思って、当時盛んになっていた事務所への批判とは逆の、脱退した4人を徹底的にこき下ろすような動画を作った。


しかし、俺の良心がそれを投稿することを許さなかった。その後、世間の批判の対象は4人に移り、今度は残りの1人に移り、そして混沌となった。ここでも俺は何もできなかったわけだが、悪魔に魂を売り渡そうとした自分を恥じたりはしなかった。


それから新グループのイプシロンの活動も頻度が下がっていった。そして俺ももう、何も考えなくなっていた。大学に行き、家に帰ったら課題をやり、終わったら適当にネットを見て寝る。それだけの生活だった。


そして就活が始まろうという時になった。だが俺はどうしても働きたくなかった。創作でどうにかして収益を得られないか。しかしそもそも見てもらえもしないのに、それは無理だ。そうして俺は再び炎上商法に手を染めることを考え始めた。前回は承認欲求だったが、今回は生きていくために必要なことだ。俺はそう言い聞かせ、あの事務所から唯一脱退しなかった1人、数年前に自殺したとされる天草いずもの“中の人”、松江香菜を馬鹿にする動画を新アカウントで投稿した。


既に泥沼化していた話題だったこと、死者を馬鹿にする内容だったことから、見事に大炎上した。


見たことない勢いで再生数が増えていった。快感だった。自分への罵声が大量に書き込まれたが、狙ってやったことだったので傷つかなかった。


さらにその後も人々を煽りまくった。SNSを開設し、一度謝罪をしたうえで、それを撤回して、「自分は悪くなかった。今後謝罪は絶対にしないです」と宣言し、さらに燃え広がった。「炎上王」と呼ばれるようになった。その後も燃えやすそうな動画を次々と投稿した。


批判は増えるばかりだったが、それでも一定数熱烈に自分を支持する人がいた。そのおかげかどうかはわからないが、収益化をすることができ、少しのお金が入ってきた。初めて自分で稼いだお金はゲームを買うのに使った。


だがそれで生計を立てられるほどには儲からなかった。就活をしないまま時間が過ぎていることに気づき、徐々に焦りが増してきた。


そのとき、あるミュージックビデオが数億回再生されているのを見つけた。音楽がヒットすればもしかしたら今より遥かにいい収益を得られるかもしれない。炎上王のアカウントは前に音楽を投稿していたアカウントとは別にしていた。あの音楽アカウントの正体が、炎上王として知られる俺であることを知るものはいない。


この2つを結びつければ、自分の音楽を聴く人は爆発的に増える。だがそれは同時に、今まで誰にも評価されてこなかった自分の音楽が、批判される可能性が生まれることも意味する。いや、可能性どころかほぼ間違いなく批判されるだろう。なぜなら俺は炎上王なんだから。俺を嫌っている奴はいっぱいいるのだ。音楽の良し悪しに関わらず批判されるのは間違いない。


燃やそうと思って作った動画が批判されるのはいいが、本気で作った音楽を批判されるのは、きっと耐えられない。だが、こういう考えもできる。仮に批判されても、俺の炎上王としての側面が悪いのであって、作品が悪いわけじゃない。そう思えばいいのだと。


そして俺は炎上王アカウントで自分の音楽アカウントを宣伝した。ついでに小説と絵も宣伝した。当然批判されたが、作品自体が批判されているわけではないと思えばマシだった。たまに「こいつの人間性関係なくこれは駄作」などと書かれたこともあった。少し凹んだが、そんなものは苦し紛れの言いがかりにすぎないのだ、書いた奴は本当は“炎上王”が嫌いなだけなのだと自分に言い聞かせた。


作品は大きな注目を集めたものの、ヒットしたわけではなかった。おまけに予想外の事態が起きた。俺の自宅が特定されたのだ。特定の動き自体は前からあったらしいが、音楽アカウントと繋げたことで最後のピースが埋まり、確定してしまったらしい。俺は相当大きな反感を買っていたから、何かされるのは間違いない。しかもここは実家だから家族にも迷惑がかかる。もうおしまいだ。


ある日、俺はインターホンに起こされた。寝ぼけながら出ると、誰かが走り去る音が聞こえた。ピンポンダッシュか。それに気づいてはっとした。そうだ。もう俺は特定されているんだ。


そう思ったとき、床に何かが落ちていることに気づいた。スマートフォンだった。まさか、逃げるときに落としていったのか? 特定された俺が言うのもなんだが、あまりにも不用心すぎる。そう思ってスマホを手に取ると、スマホは強い光を発した。目も開けていられないほどの光で、俺は気絶した。


そして、気がついたらこんなところにいたわけだ。訳がわからない。大学か、もしくは何かの研究施設みたいな場所だ。薄暗い。強烈な臭いがする。そして、頭のない死体が大量に床に転がっている。


ここはどこなんだ? なぜ俺はこんなところにいるんだ? わからないが、安全な場所ではないことだけはわかる。


さっきから、暴力的な音がする。もしかしたら俺は大変なものの恨みを買ってしまったのかもしれない。俺は死ぬかもしれない。だからある部屋のロッカーに隠れて、これを書いている。


俺はいたずらに人の注目を集めて、承認を得たかったのか? それとも金が欲しかったのか?


いや、本当は、何かを残したかっただけなんだろう。


芸術家は独身が多いという。忙しいから、一人の世界を大切にするから、という説明もあるが、俺が思うに、子孫の代わりに作品を残せるから結婚する必要がないのではないか。作品は子供みたいなものだ。それと同じで、俺の作品を作りたいという欲は、生命の基本的な欲求である「子孫を残したい」という欲と同じなのだろう。でなければ、死ぬとわかっていながらこんな手帳を書いたりしない。社会性を捨てた俺が、唯一残せるもの、それが作品や記録だったのだ。


段々と暴力的な音が近づいている。炎上商法に手を染めずに、音楽と小説で頑張っていれば、こんなことにはならなかったのか? だが真面目に頑張ってもうまくいっていたのか? 話題性がないことを言い訳にして努力を怠っていなかったか? 伸びない苦痛を味わうことを努力と言うのかどうかはわからないが。


伸びなくても作っているだけでいいじゃないかという考えもあるだろう。人は生きているだけで価値があるとか言うが、俺は疑問だ。ましてや作品なんて。他人と関わらなければ、人に見られなければ、人も作品もゴミだ。人間社会を捨てて作品を残そうにも、作品を見るのは結局人だったのだ。それに気づかずに時間だけを無駄にした。


でもこの考えは間違っているかもしれない。だが少なくとも言えるのは、それが間違っていたとして、その間違いを正してくれる人が誰もいなかったということだ。


俺は、どうすればよかったんだ。何

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閉ざされた森の中で(インフォメーション・ガール 番外編) ウゾガムゾル @icchy1128Novelman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ