『魅惑の体臭』
石燕の筆(影絵草子)
第1話
「ちょっと、私の服と一緒にしないでよ」
江川は洗濯機の前で娘に洗濯物を一緒にされることを拒否された。
悲しく洗濯機の前で白い靴下を手にため息を吐くしかない。
小さな頃はあんなに素直でかわいらしかった娘も年頃になると冷たい。
ある日の残業後、家に帰ると娘からめずらしくただいまと言われた。
普段は自分を見るとあからさまに嫌な顔をする娘が笑ってただいまと言った。
いいことでもあったのかと思ったが、風呂上がりにビールを出されたときにはさすがにおかしいと思った。
「どうしたんだ?今日はばかに優しいじゃないか」
そう言うと娘は自分に鼻を近づけて匂いを嗅ぐしぐさをし、
「今までが厳しくしすぎたんだよ。これからは優しくするね。パパ」
普段はおいとかねえとかで人を呼ぶくせに今日はパパだなんてどうかしてる。
疑問を抱えたまま眠る。
どうせ明日になればまた元通りだ。
目覚めると飯を食い、ゴミ出しをし、行ってきますと部屋の中に声をかけると妻と娘から両頬に片方ずつキスをされた。
「パパ、あなた行ってらっしゃい。はやく帰ってきてね」
全くおかしなもんだ。今まで嫌われていたのに今度は異常なくらい好かれている。
ことあるごとに匂いを嗅ぐ行動が気になるが、それよりも何よりも好かれるのは悪い気はしない。
会社での扱いも嘘のように変わった。
「江川さんっていい匂いね」
そんなことを言われるようになった。
次第にいつも気づけば人がそばにいるようになった。
最初のうちはいい気分だった。だが四六時中誰かと一緒というのも鬱陶しくもある。
人混みを避けるように逃げ回る日々。
家にも帰らなくなった。人に遭いたくなくて街を出た。
貯めたお金で食料を調達に久々に町に帰ると人の死骸の山だった。
生き残りの人間がいたのでどうしたのか?と声をかけると
「どうやらこの街にウィルスが蔓延したらしい。あんたは大丈夫なのか?」
「なるほど、この匂い。あんたが原因か。おそらくあんたが街を出たあと残り香のようになったウィルスが街を汚染したんだろう。このウィルスは効くのが遅いらしくただの甘い匂いでそれが次第に酸っぱい匂いに変わるんだ」
慣れてしまったからなのか気づかなかったがなるほど男の言うように酸っぱい匂いがあたりに立ち込めていた。
男は早く人のいない場所に行けと言い終わると死んでしまった。
とり残された江川は一人スモッグのようにピンク色に汚染された雲が浮かぶ空を見上げ一人声も立てず泣いた。
『魅惑の体臭』 石燕の筆(影絵草子) @masingan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます