オレステーキ
沢田和早
オレステーキ
網の上に所狭しと置かれた肉がジュウジュウとうまそうな鳴き声を上げている。
そろそろひっくり返そうとトングを握った瞬間、焼かれている肉の半数が姿を消した。
「あーもう、まだ片面しか焼けてないのに。食べるのが早すぎますよ。それに肉は一枚ずつ取ってください」
「はふはふこれは牛肉だぞ。片面焼けていれば十分だはぐはぐ」
そう言いながら右手で焼けた肉を口に運び、左手で焼けていない肉を網の上に置いているのは僕の先輩だ。
先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。
同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。
「先輩、もっと味わって食べてくださいよ。ほとんど丸飲みじゃないですか」
「うるさいな。時間制の食べ放題なんだから大量に食わなきゃ損だろむしゃむしゃ。ほれ、おまえもとっとと食えがつがつ」
僕らの本日の夕食は焼肉食べ放題。数日前に新装開店したばかりの焼肉チェーン店だ。
運のいいことに先輩のいとこの友人の親戚の父親がこの店の株主で、株主優待のお食事券二枚が回り回って先輩の元へたどりついたらしい。そこで本日の夕食は久しぶりの焼肉となったのである。
「んっ、肉がなくなってきたなばくばく。おい、肉を注文してくれむちゃむちゃ」
この店は席に座ったままタッチパネルで注文する方式である。
「先輩、追加の野菜はどうしますか」
「要らん。俺たちは肉を食いに来たんだふはふは。強制的に食わされる最初の野菜を始末したら、後は肉だけ食えばいいもぎゅもぎゅ」
「ご飯とかスープはどうしますか」
「要らん。肉だけ食え。それもタンとロースだけでいいぱくぱく。間違っても豚や鶏やホルモンは注文するんじゃないぞもっきゅもっきゅ」
そうは言われても肉ばかりじゃ胃がもたれてどうにかなりそうだ。自分用にサラダとスープを注文する。
「はぐはぐ、もぐもぐ、ぱくぱく、くちゃくちゃ」
先輩は一心不乱に食べている。凄い集中力だ。そして恐るべき食欲だ。先輩の胃は四次元ポケットになっているんじゃないか、そんな疑念さえ抱いてしまいそうな食いっぷりである。
「お、もう終わりか。少し物足りんが仕方あるまい」
先輩の口が食べるのを止めたのは終了時間二十分前だ。肉のオーダーストップが三十分前なので、最後の注文を十分で食べ尽くしてようやく止まったのである。
「コーヒーでも飲みますか。飲み物は終了時間まで利用できるみたいですし」
「おう、頼む」
ドリンクコーナーで二人分のコーヒーをカップに注いで戻ってくると、先輩は僕が頼んだキュウリの漬物をパリパリかじっていた。
「網焼きをすると思い出すな、初めての海外ひとり旅を。あの時は毎日焚火で焼いたモノばかり食っていたからな」
「ああ、高校二年の夏ですね」
まだ先輩が本当に先輩だった高校一年の夏、二年生だった先輩は夏休みに単身ブラジルへ渡った。
「アマゾン川を
それが実現できたのかどうか定かではないが、アマゾンの密林を
「あの時、アマゾンの奥地で食った料理の味は今も舌の上に残っている」
「へえ~、アマゾンの料理と言うとピラニアの干物とかですか」
「違う。肉料理だ。その名もオレステーキ。二度と食うことはないだろう」
「そうですか。いい思い出を作ることができてよかったですね」
「ほほう、そんなにオレステーキのことを聞きたいのか」
「いえ。全然聞きたくありません」
「そこまで言うのなら聞かせてやろう。俺のステーキにまつわる話を」
僕の返事を完全に無視して先輩は話し始めた。
あれはアマゾン川を下り始めて四日目の夜のことだった。筏に仰向けになって夜空を眺めていると、満天の星を横切って落ちていく青っぽい輝点が見えたんだ。
「流れ星か?」
最初はそう思った。しかしその輝点は徐々に大きくなっていく。それにつれて落下速度も小さくなっていく。よく見ると何かの飛行物体のようにも見える。やがてその物体は密林の向こうに消えた。
――ザザザッ、バキバキ、ドドンッ!
樹木が倒れる音がした。不時着した場所はそう遠くないはずだ。俺は筏を川岸に寄せて引き上げると、音が聞こえてきた方角へ向かった。夜の密林は極めて危険なのだが、音と光に驚いてヤバイ生物たちも逃げ去ってしまったのだろう。これといったアクシデントに遭遇することもなく俺は目的の場所へたどりついた。
「な、何だこれは!」
滅多なことでは驚かない俺も驚かずにはいられなかった。墜落したのは飛行機、あるいは燃え尽きなかった人工衛星の破片、そんなものだろうと思っていたのだが、そんな俺の想像を凌駕する物体が大地に転がっていたのだ。例えるならば巨大なイチゴ大福を上部に載せた五階建てのどら焼き、そんな感じだ。外壁は銀色に輝く金属で覆われている。
「まさか、UFO」
用心しながら接近すると突然外壁の一部が開いて中から人によく似た生物が出てきた。二mほどの全身は宇宙服っぽいもので覆われていて、頭っぽいものと、二本の足らしいものと、二本の腕らしいものが付いている。
「ないす、つ、みーちゅー」
いきなり英語で話しかけてきた。もしかしてNASAの乗組員なのか。それにしても日本人の俺に英語とは失礼であろう。そこで、
「おい、俺は日本人だ。日本語で話せ」
と言ってやった。
しばらくの間、そいつの頭部からピコピコ音が聞こえていたが、それが止むとまた喋り始めた。
「これは失礼しました。あなたの人種が不明でしたので取り敢えずこの星の公用語を使ってみたのです。さっそく設定を変更しました。これからは日本語を使用いたします」
「この星の、だと。ひょっとしておまえは宇宙人か」
「はい。ここから二百五十万光年離れたアンドロメダ銀河からやってきました」
まったく驚きの連続だよ。アマゾン川を下りに来て宇宙人に遭遇するなんて、年末ジャンボ宝くじの一等に当選するよりあり得ないからな。
「で、そんな遠くから何しにここへやって来たんだ。観光か」
「いえ。本来の目的は終了して現在帰還の途中なのですが、太陽系を通過する際にトラブルが発生しましてね」
やつらの説明によると地球に降り立ったのは食料の補給のためだったようだ。船内の食料合成装置が故障して栄養補給ができなくなったらしい。
「私たちの装置は酸素、窒素、炭素といった分子を材料にして、瞬時に三ツ星レストランフルコースディナーのような御馳走を製造できるのです。これが故障したとなると口にできるものは水しかありません。このままでは乗組員四二人全員飢え死にしてしまいます。お願いです。何か食べるものを恵んでください」
空腹の辛さは俺にもよくわかっている。飢え死になんて一番
が、一分もしないうちに出てきた。どうしたんだと尋ねると、
「すみません。あまりにも不味いので食べられません」
と言うじゃないか。
「不味いくらいなんだよ。飢え死にしそうなんだろ。我慢して食えよ」
「無理です。私たちの舌は極めて繊細で、それなりに美味な食べ物でなくては脳が拒否反応を起こすのです。こんな不味いものを食べたら確実にショック死するでしょう」
「面倒な宇宙人だなあ」
こんな地球外生命体に親切にしてやる義理はないし、そのまま無視して川下りを始めてもよかったんだが、そいつらの科学力は俺たちよりも格段に進歩している。
もしこいつらを見捨てたりしたら、
「あんな無情な生物は滅亡させたほうがよいでしょう」
なんて判断されて地球が破壊されるかもしれない。
そこで俺は地球を救うために、密林を駆け回って蛇とか虫とか木の実とか芋とか鳥とか名前のわからない獣とか、とにかく食材になりそうなモノを必死になって集めた。
だが、どの食材を差し出しても、
「激マズです。こんなモノを食べるくらいなら飢え死にしたほうがマシです」
という答えしか返ってこない。
それでも俺は頑張った。朝から晩まで新しい食材を探し回った。そして三日目の朝、さすがの俺も疲れていたんだろうな。足を滑らせて崖から転げ落ちてしまったんだ。痛みに耐えて宇宙船までたどり着くとやつらは俺を船内に運び入れてくれた。
「これは重傷ですね。右大腿骨と肋骨三本が骨折。左上腕部裂傷。外傷性気胸と大動脈破裂も起こしています。でも大丈夫、すぐ治りますよ」
やつらの医療技術はたいしたものだった。数分で俺の体は元通りになってしまった。
「いやあ、助かった。ところであいつらは何をしているんだい」
「治療中に切除したあなたの体組織を処理しているのです。現在培養液に入れて増量しているところです」
「なるほど。異星人のサンプルを持ち帰ろうってわけか。研究熱心だな」
「それもありますけど、まあ、何と言うか、その」
歯切れが悪い。他に何か目的があるのだろうかと思案しているうちに培養処理が終了した。取り出された俺の体組織は数kgぐらいありそうだ。
「まずは焼いてみましょう」
んっ、何をするつもりだ。手頃な大きさに切ってオーブンに入れているぞ。ほどよく焼けた俺の肉を取り出して皿にのせている。
「おい、まさか食うつもりか!」
「はい。試せる食材は全て試したいのです」
やつらは相当腹を空かせているようだった。さすがに止められない。そのまま放っておくことにした。やがて何やら塗り始めた。調味料のようだ。ナイフで切って口に運ぶ。
「こ、これは、なんという美味! 皆さん、集合してください!」
扉を開けてたくさんの宇宙人が入って来た。俺の体組織は次々にスライスされ、焼かれ、調味料を塗られ、宇宙人の口へ運ばれていく。
「う、うまい、うますぎます」
「これほどの料理は生まれて初めてです」
「ああ、おいしすぎて気絶しそう」
あまりにもうまそうに食うので俺も一枚もらって食ってみた。絶品だった。焼いて調味料を塗っただけのステーキ。しかも材料は俺の肉。にもかかわらず天にも昇りそうなうまさだった。おそらくやつらの調味料と俺の体組織の成分が特殊な化学反応を起こして、この美味を作り出しているのだろう。
「ありがとう。あなたのおかげで私たちの危機は救われました。培養装置であなたの肉を増やしながら故郷の星へ帰還しようと思います」
「そうかよかったな。俺もあんたたちにケガを治してもらったし、まあ、お互い様ってことだな」
「それにしてもこの料理は素晴らしい。故郷へ帰ったら私たちの同朋にも食べさせてあげるつもりです。さて、どんな料理名にしましょうか」
「俺の肉で作ったステーキだからオレステーキでいいんじゃないか」
「名案です、オレステーキ。間違いなくアンドロメダ銀河の名物料理になることでしょう。あなたも是非食べに来てください」
「そうだな。機会があったら食べに行くよ。元気でな」
俺達はがっしりと握手をして別れた。それからは筏下りを再開し、無事河口にたどり着いた俺は、たくさんの思い出を胸にしまって日本へ帰って来たってわけだ。
「はえ~、そんなことがあったんですか」
先輩の長い話が終わる頃には食べ放題の時間も終わっていた。僕と先輩が店を出るとすっかり日が暮れて星が輝き始めている。駅への道を歩きながら話を続けた。
「オレステーキは本当にうまかった。日本に帰ってからあの味を再現しようと頑張ってみたが、結局今に至るまで実現できていない」
「先輩でも不可能な味ですか。それじゃ地球人には絶対に作り出せませんね」
「たぶん肉に塗られていた調味料に秘密があるんだろう。宇宙でしか手に入らない物質を使っていたんだと思う」
「ああ、それはありそうですね。いやあ、今日は面白い作り話をありがとうございました。おかげで楽しめましたよ」
先輩が足を止めた。僕の顔をじっと見ている。が、すぐ歩き始めた。
「そうだな。こんな話、とても信じられないからな。俺自身、あれはアマゾンの密林が見せた幻だったんじゃないかと思うこともある。だがあの時食べたオレステーキの味は確かに俺の舌に刻み込まれている。いつか超光速のロケットを開発し、二百五十万光年先にあるレストランでオレステーキを食べて、これは本当にあったことなんだと確かめられたらいいんだがな」
先輩は夜空を見上げている。僕も西の空を見上げた。まだ明るさの残る夕暮れの空を小さな輝点が横切った。流れ星だ。それはまるで先輩の話してくれた宇宙船のように青っぽくきらめきながら残照の中へ消えて行った。
オレステーキ 沢田和早 @123456789
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