第23話 楽園 1

 ティアの言うあの話とは、人類が環境に適応できなくなって次々に死んでいったとき、一部の人間がシェルターを作って避難していた、という話のことだ。


 そこは自然の脅威からも捕食者たちからも守られた楽園のような場所で、そこへたどり着ければ人類は再びかつてのように安全な暮らしを手に入れることができると、おとぎ話のように語られてきた。もしかすると今、その楽園にたどり着いたのかもしれない、ティアはそんな淡い期待を抱いていた。


「確かに、彼らはずっと地下で暮らしているようだし、設備も何もかもが劣化していない。とても拾ってきた道具を修理して使ってるというレベルじゃないよね。彼らは初めからここにいたと考えるのが自然だ」


 チェイスもティアと同じように考えているらしい。その上、ティアにも血の繋がった家族がいると分かった。自分の生い立ちについてようやく知ることができる、その可能性にティアは胸が躍った。


 それからティアとチェイスは何度か彼らと対話の機会を持ち、ティアたち遺跡の住人らの暮らしぶりやここまで来た経緯を話した。そしてエアたちシェルターの住人も同じようにこれまでのことを二人に説明した。


 エアの話は、概ね予想通りのものだった。数々の異変と多くの死者により存亡の縁に立たされた人類は、巨大な地下シェルターを建造し避難計画を立てた。ただそれは、多くの名もない人々にはもたらされない福音ふくいんだった。


 地下シェルターに避難し、方舟に乗った人々。その話の通りだとすればそれ以外の人々は見捨てられた者ということになる。複雑な思いが無いと言えば嘘になるだろう。事実、チェイスは固く唇を結び、組んだ両腕にも力が込められている。だが、今目の前にいる彼らが外の人間に危害を加えたわけではない。彼らは彼らの危機と困難を乗り越えて生き延びたのだ。その事実がチェイスをどうにか冷静の中に押し留めた。


 エアたちシェルターの人々は、終末の試練を克服できなかったために地下に籠もって暮らしてきた。太陽の光を避け、食べ物にも気を使い、地下での自給自足の暮らしを維持してきたというのだ。ティアたちにはにわかに実感がわかない。



「僕たちは、外で暮らすことができないんだ。陽の光は僕らの肌を焼いてしまうんだよ」


 エアはそう言って悲しげに微笑んだ。その表情から、ただの日焼けでないことは察しが付く。更に、彼らは獣の肉や穀物をそのまま食べることも出来ないと言う。アレルギー反応で呼吸困難に陥ったり、異常蛋白プリオンの生成によって脳障害を起こしたりするのだと。そのため彼らは加工した食物以外を口にできない。日中は屋外に出ることも出来ず、全身を覆う防護服で日没後に活動する。


 彼らはティアたち以上に自然を恐れて暮らしていた。そのうえ子どもたちも生まれてこない。人工授精でわずかに望みを繋いできたが、生まれる子供のほとんどが生殖機能を持っていなかった。そんな行き詰まった暮らしに限界を感じ、エアたちは外の世界の探索を積極的に行った。その結果がティアたちとの出会いというわけだ。終末を乗り越え、生き延びた人々。だが皮肉にも見捨てられた者たちが彼らの存続に不可欠な存在になった。


「僕たちには科学と医療がある。それを君たちに提供したい。そして僕たちには君らの遺伝子が必要なんだ。――あのとき僕たちの道は別れてしまった。もう一度ひとつになることは出来ないだろうか」


 ティアとチェイスは黙って話を聞いていた。エアの言うことは理解できる。肉体的に弱く環境に適応できない上、生殖もままならないとあってはいずれ滅びるしかないだろう。彼らは追い詰められているのだ。だが一朝一夕で答えの出せる問題ではない。ティアとチェイスの二人で決められることでもない。エアもそれは重々承知だ。もちろん答えを出すためにはオーウェンたちパックの元に帰らなければならないし、彼らの感情を考えればすんなり結論が出るとも思えない。


「時間は好きなだけ使ってくれて構わない。この施設も案内するし、家族のもとに帰るなら案内しよう。僕らと、人類のために最善の判断をして欲しいんだ」


 エアはそう言ってチェイスに手を差し伸べ握手を求める。チェイスはそれに答えてエアの手を握り返した。ティアに向き直るとエアは両手を広げて彼女をそっと抱きしめ、彼は部屋を出ていった。


 それからの数日、ティアとチェイスの二人はこの巨大な地下施設を見学して回った。家畜の放牧や一部の植物の栽培など、屋外で作業することもあるようだが、生活の営みのほとんどは地下で完結していた。とりわけ二人の目を引いたのはその医療技術だった。自然妊娠が望めない彼らは、人工的に子孫を生み出してきた。なにより、異常蛋白の生成による脳障害など重大な疾患に苛まれた彼らは研究を重ね、飛躍的に医療を進化させたのだった。


 ティアたちは、あらゆる感染症に怯えて暮らしてきた。ノミや蚊、ネズミと戦い、小さな傷口ですら命を落とすことになりかねない。この医療技術があれば破傷風や肺炎にも怯えずに暮らすことができるのではないか。生まれたばかりの赤ん坊が死んでいくのを防げるのではないか。二人はなんとかこの医療技術と薬品をパックの皆に与えたいと考えた。方舟の住人と遺跡の住人、和解と共存のための橋渡しをするのにティアほど適した人物がいるだろうか。


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