方舟

第18話 遭遇 1

 雨は三日降り続き、日が暮れてからようやく星が見えるようになった。ティアはこの数日、毎日のように馬達や狼犬達の元を訪れ、よく世話をしてやった。


 月の明かりを見て、明日も晴天になると思われる夜、食事を済ませたティアは手紙を三通書いた。


 真夜中、皆が寝静まったあと、ティアは同室の少女たちを起こさぬようにそっと部屋を抜け出した。厩舎へ行き、馬房に隠しておいた荷物と弓を背負い、不安げに見つめるモナークの顔を抱きしめて鼻梁に口づけ、静かに別れを告げる。


 どこという当てもなかったが、ティアの足は自然とあの扉と柵のある平原へと向かった。月明かりだけが頼りの歩みは遅く、東の空が白み始める頃にティアはようやく森を抜け、例の狩場の近くにたどり着いた。


 あまり近づき過ぎてドローンに発見されるのを恐れ、木立の中の岩場にティアは体を休めた。春とはいえ明け方は冷える。毛皮の上着の襟をきつくかき合わせ、毛布にくるまってティアは小さく体を丸めた。


 しばらくうとうとと浅く微睡まどろんだティアは森の下草が揺れる音に目を覚ます。小枝を踏みしだく足音はかなり大きいひづめのものだ。


 ティアは低く身構え矢をつがえて茂みの奥に目を凝らし、呼吸を整え気配の距離を探る。あと二歩、一歩————


 姿を見せた獣の首に狙いを定めたティアに、聞き慣れた声が叫ぶ。


「ティア! 僕だよ! チェイスだ」


 ティアは慌てて弓矢を下ろす。顔を出したのはチェイスと彼のゴーストだった。


「チェイス、ゴースト——どうして……」


 張り詰めた緊張に、掠れた声でティアが呟く。チェイスは珍しく歯を見せて笑うと、さらに驚くことを言った。


「モナークもいるよ」


 ゴーストの後ろからティアの愛馬であるモナークもトコトコと進み出る。ティアは力が抜けて座り込んだ。


「ティアが思い詰めてるのは分かってたよ。——ここ何日か、抜け殻みたいで見てられなかった。あのままみんなで暮らせたら良いけど、ティアには辛い場所だったよね」


「そういうわけじゃない、けど——」


「いいんだ、ティア。僕はティアのいる場所にいたい。それだけだよ」


 ——今はまだ、それだけでいい。チェイスは続く言葉を飲み込んでティアを見つめる。


 ティアがここに来ることはチェイスの勘だったが、秋からの一連の出来事が未知の存在を確信させるのに十分だったし、ティアがその存在に興味を持つのは当然のことだろう。


 早朝、いつもより早く目が覚めたチェイスは胸騒ぎに駆られティアの部屋へ様子を見に行ったがティアの姿はなかった。同室の少女達も夕食後から姿を見ていないと言う。


 慌てて厩舎へ走ったチェイスはそこで自分たち兄弟と両親に宛てた三通の手紙を発見した。ティアが馬を連れて行かなかったことに驚いたが、チェイスも急いで支度を整えた。馬の目と脚ならすぐに追いつける。


 狼の血が濃いオグマを連れ出しティアの匂いを追わせる。チェイスはオグマの力を借りてティアを追跡し、難なく追いついた。

 オグマの頭を抱えるように撫でてやって礼を言い、褒美ほうびにシカの干し肉をやって家族の元へ帰した。情の深い狼犬は、つがいの元へ必ず帰る。オグマは賢い雄の狼犬で、番のエリウと仲睦まじい。オーウェンやルーファスが異変に気づく頃には帰り着くだろう。


 残された道具から推測した通り、ティアは最小限の物しか持ち出していなかった。徒歩ということもあり、わずかな食糧と道具類、身を守る武器と防寒具しか持っていないのを見て、チェイスはきもが冷えたと同時にすぐに追いついたことに感謝した。


「それで?」


 火を起こして湯を沸かしながらチェイスはティアに尋ねる。ティアは核心を突く質問に少したじろいたが、諦めたように息を吐いて小さく呟いた。


「——あの柵の向こうに何があるのか確かめようと思ってる。秋にあの豚が見つかった時、地面に大きな扉があったんだ。ずっと使われてないみたいだったけど、あの下に何かあると思う」


「扉、か。地面に埋まってるってことだよね? ……倉庫か何かかな」


 二人は話し合い、昼のうちに食料やまきの確保をして、日暮れを待ってから例の扉を見にいくことにした。ティアの案内で扉のある場所に向かう。

 

 チェイスはあの時もティアの様子を離れたところから見守っていた。ウサギを仕留めたティアが地面を気にしていたのも知っている。毎回、狩りの度に兄弟のどちらかがティアの様子を見ていた。


 ルーファスが撃たれたあの日も、不審な鳥の銃撃に気づいたルーファスが間一髪のところでティアを庇ったのだ。


 兄弟は陰から見守るという目的でティアのそばにいたが、はっきりとした自覚もないまま、ある不安を抱えていたのも事実だった。目を離せばティアが消えてしまうのではないかという不安を。


 だからティアが森へ行くことに反対した。それをティアが知れば傷つくだろう。だがあの時ルーファスが飛び出さなければティアは致命傷を負ったかも知れない。チェイスにもルーファスにも後悔はない。


 日没とほぼ同時に、例の扉の場所についた。小さなスコップで土を掘ってみると、十センチもない浅いところで硬い金属に触れた。そのまま周囲の土をかき分けるように払い除けると扉の大きさが見えてきた。


 三メートル四方はありそうな大きな扉で、直径三十センチほどの丸い回転ハンドルがついている。ドアの周囲も少し掘って確認したが蝶番ちょうつがいがない。見たことのない形の扉に二人は顔を見合わせ、試しにハンドルに手を掛け回そうとしたがびくともしなかった。


 当然だが施錠せじょうされているらしかった。二人はドアの隅々を調べたが、鍵穴や錠前らしきものも見当たらない。どういうことなのか、混乱したティアがチェイスを見ると彼もまた信じられないという表情でティアを見ている。


「チェイス、これって——」


 言いながらも、自身の予想を信じられずにいるティアが言葉を切る。チェイスはそのティアの言葉を引き継ぐように答えた。


「中から閉められてる」


 それが事実だとするならば——二人はそのにわかには受け入れ難い答えを飲み込んで言葉を失った。

 

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