第9話 狩人 2
明くる年の春から弓矢とナイフの扱い方をレイチェルに習い始め、ティアは狩りの才能を発揮した。抜群のセンスで命中率は大したものだったが、非力なため小さい弓しか扱えず、大型の獲物を仕留めるのはまだ難しかった。
十三歳になる頃、もう少し身長が伸びて力がついたら小型のシカやイノシシを仕留められるようになるだろうとレイチェルが太鼓判を押したので、十五歳になるまでにもっと腕を磨いて力をつけたら狩りに連れて行ってくれるとオーウェンが約束してくれた。
それからティアは畑仕事や雑用の合間を縫って毎日のように弓矢の練習に励んだ。主に男たちが狩りに出掛け、母親たちや年寄り、小さな子供や少女たちは畑や家畜の小動物の世話、それに住処の周りの設備の修繕などにあたっていた。
ティアも本来なら同じ年頃の少女やその母親たちとともにそうした作業をするはずだったのだが、ティアはどうにも少女たちとうまく馴染めずにいて、それを見かねたレイチェルがティアの狩りの腕を試したところ、なかなかに筋が良かったので、
その時、ルーファスとチェイスはティアを狩りに参加させることに二人揃って猛反対したので、オーウェンは即断せずにティアが十五歳になるまで様子を見ることにしたのだ。ティアは周囲の予想より遥かに早く、パックの中でも十本の指に入るほどの弓の名手に成長した。背が伸びて筋力も付きはじめ、使う弓も年ごとに大きくなって命中の精度と相まってより大型の獲物も狙えるまでになった。
その日もティアは誰より早く畑での収穫と鶏の世話を終え、夕食の支度までの時間を女達がお喋りとコーヒーで寛いでいるなか、狼犬の小屋の近くに藁束の的を立てて弓矢の稽古をしていた。
的の大きさは直径二十センチほどで、最近はその小さい的をほとんど外さないようになっていた。練習用の矢は使い古して傷んでいて、正確に的を狙うのはレイチェルでも難しかったがそれでもティアは日に日に腕を上げた。
その日十数本目の矢を放って的中させ、的の矢を回収しに歩き出すと、すぐ横の囲いの中で遊び回っていた狼犬の子犬たちが一斉に柵のそばに集まって小さく鳴き声を立てた。男たちと狼犬が帰ってきたのだ。ティアは的に刺さった矢を抜き取り、まだ使えそうなものと修繕が必要なものを大雑把に分けて矢筒に入れた。柵の中の子犬たちはより一層落ち着きなく騒ぎ出した。
ティアが振り向いて見ると、畑の間を縫って石を敷き詰めた小道をルーファスが狼犬を伴って歩いてくるのが見えた。子犬たちは立ち上がって激しく尾を振っている。
ティアの姿を見つけると、狼犬たちはルーファスに許しを求めて飛びつく。ルーファスが小さく、行けと言うと真っ直ぐティアめがけて駆け寄り、ティアを押し倒す勢いで飛びかかって顔を舐めた。ティアは犬たちの耳を掴んで軽く撫でてやると、六頭が全て元気なのを確認しながらルーファスに言った。
「みんな、怪我はないか」
ルーファスは犬小屋の柵を注意深く開け、狼犬たちを柵の中へと誘いながら答えた。
「ああ。今回は楽な狩りだった。怪我人は出てないし犬も無事だ」
それを聞いてティアは嬉しそうに笑い、最後の一頭を柵の中に追いやって囲いを閉じた。
「良かったな。獲物はイノシシか?」
笑顔で振り向いたティアを見て、最近は滅多に笑顔を見せなくなったとルーファスは思った。
「ああ、でかいぞ。五百キロくらいはありそうだ。持ち帰るのに一苦労だった」
ルーファスはティアが
「なあ、ティア。お前まだ弓の練習してるのか。——お前には狩りは向いてない。いい加減諦めたらどうだ」
ティアはルーファスを睨みつけながら言った。
「レイチェルは随分上達したって言ってた。シカぐらいもう一人でも仕留められる。来年は狩りに連れて行ってもらえるようオーウェンに頼むつもりだ」
「弓がうまけりゃ良いってものじゃないんだ。森にはクマもオオカミも出る。獲物がいなければ一週間だって森の中で過ごすこともある。一人になったときにクマにでも襲われたらお前じゃひとたまりもないだろう。お前はここでバター作りでもしてればいい」
「嫌だ。一日中ここで待つなんて。私は狩りに行きたいんだ!」
「なんでそんなに狩りにこだわるんだ。……いや、狩りじゃなく森にこだわってるのか。それならなおさら俺は反対だ」
「ルーファスは何も分かってない。お前にはオーウェンがいて、レイチェルも、チェイスもいる。他のみんなだってお前を大切に思ってる。でも私は……みんなよそ者だって思ってる。だから早く一人前になってここを出ていく」
「何を言ってるんだティア、お前がよそ者だなんて誰が……親父もお袋もお前を本当の娘と思ってるさ。俺だって……」
弓と矢筒を背負って背を向けたティアの左手首をルーファスは掴んだ。つい力が入ってティアを乱暴に引き寄せる形になり、ティアはよろけてルーファスの胸にぶつかった。ティアはルーファスを押し返すようにもがき、逃げ出そうとしたのでルーファスは更に手首を強く引き、左腕をティアの背中に回した。
ルーファスに抱きしめられる格好になったティアは掴まれた手首を振りほどこうと暴れたが、ルーファスはびくともしなかった。
「俺だって……、俺たちはお前を本当の妹だと思っているのに! それなのにお前は……」
「離せ、ルーファス」
ティアは拳でルーファスの胸を叩き、ルーファスの右手が緩んだ隙に腕の中から逃れて走り出した。ルーファスはひとり残され呆然と立ちすくんでいた。ティアがそれほどまでに孤独に苦しんでいたことをルーファスは初めて知り、その事実を突きつけられてしばらく動けなかった。
ティアは思わず冷静さを失った自分が恥ずかしかった。ルーファスの視線から逃げるように納屋まで走り、乱れた息を整えているところへルーファスの弟のチェイスが顔を出した。
ティアが体を強ばらせるのを見てチェイスは心配そうに尋ねる。
「ティア、どうしたの? 具合でも悪い?」
ティアは知らずに滲みかけた涙をごまかすように雑に拭うと、いつもの表情を作ってチェイスに答えた。
「何でもない、なかなか腕が上がらなくて落ち込んでただけ」
「……また兄さんとケンカした?」
チェイスは眉を寄せてどこか悲しげにティアを見る。ティアは図星をつかれてほんの一瞬たじろいだが、チェイスに嘘をついても無意味なことを悟って小さく息を吐いた。
「……ルーファスは私が狩りに行くのに反対なんだ」
「……」
チェイスは言葉を探して少しの間沈黙し、やがて静かに尋ねた。
「ティアはなぜそんなに森に行きたいの?」
「……私は、このパックの血縁じゃないから」
ティアは躊躇いながらも、意を決して小さく呟くように言い、チェイスはそれを聞いて微かに息を呑み、ティアの腕を掴んだ。
「まさかそんなこと、ティア、……父さんも母さんも、僕らだって一度もそんな風に思ったことはないよ」
いつも優しく微笑んでいるチェイスが思いのほか強い力でティアの腕を掴み、腕に食い込むその指の力とは裏腹に、今にも泣きそうな顔でティアを見つめる。
「分かってる。レイチェルもオーウェンも良くしてくれてるし、辛いと思ったことはない——けど、どうしても探さなきゃいけない気がするんだ」
「探すって、もしかして……」
「私をこの森に残した人を」
それを聞いてチェイスはティアの腕を掴んでいた手を力無く放し、かけるべき
言葉を見失った。
確かにティアは愛されて育った。だからこそ、ティアはその愛情が自分には不相応であると悩み始めることになったのかも知れない。皆の信頼を集め尊敬されるオーウェンら家族に比べ、自分はどこの生まれなのかも分からない。それに加え、パックの中の同世代の少女達からは目障りな存在として何かと爪弾きにされる毎日だ。
皮肉なことに二人の兄弟がティアを気に掛ければ掛けるほど、その風当たりは強くなるのだ。ティアは自然に兄弟達から距離を置いて過ごすことが多くなった。愛されて育ったからこそ、このパックの結束を揺るがすような亀裂になりたくなかったのだ。心のどこかでいずれこのパックを出て暮らすことになるだろうと考えたティアは独り立ちを急いでいた。自分がどこで生まれなぜあの日森の中にいたのか、それを知りたい気持ちも日に日に強まっている。
ティアは思春期を過ぎた頃から頻繁に同じ夢を見るようになった。断片的で、はっきりしたことは何も分からないが、繰り返されるその夢はいつも同じで、夢の中でティアはいつも誰かに追われていた。繰り返し同じ悪夢を見るうちに、やがて激しく追い立てられ逃げ惑うその人物が、ティア自身ではなくその母親ではないかと感じるようになった。
そして、その人物はもうこの世にいないのだろうということもなぜか確信めいてティアの心の中にある。その悪夢を見るようになって以来ティアは自分の出自について、どこか後ろめたい秘密があるのかもしれないと思うようになった。
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