第8話 狩人 1

 ルーファスとチェイス——彼らの父親であるオーウェンに拾われて以来、ティアは彼らの妹として育てられてきたが、物心ついた頃にはティアは自分が彼らと血の繋がりのない人間であることを知っていた。だからティアがしいたげられたのかと言えばそんなことはなく、ティアはオーウェンにもレイチェルにも十分すぎるほどの愛情を注がれたし、二人の兄弟は何かと末の妹を可愛がって過ごした。

 

 ティアが初めて狩りへの参加を強く望み始めたのは十二歳の頃だった。その頃のパックれでは、狩りに出ても十分な成果が得られないことが何度か続き、このままでは冬を迎える前に蓄えが尽きてしまうことが危惧きぐされた。


 長い間同じ住処にとどまっていると、その周辺での狩りが年々難しくなってくる。少しずつ狩りの足を伸ばして遠くまで出掛けているが、それも往復に二日、狩りに四,五日費やして一週間ほどでの帰投が体力的にも限界だったし、それ以上長くパック本体から離れるのも危険だった。遠くの狩場に出向くためには、住処すみかを移動するしかない。


 いま住処にしている病院の跡地に暮らしてそろそろ十五年ほどになる。潮時かもしれない、オーウェンたちもそう考え始める頃だった。オーウェンは仲間たちに指示を出し、狩りの最中も森の中を手分けして捜索した。獲物はもちろんだが、この後仲間が新しく暮らしていけるような建物がないか、ついでに探すためだった。


 その日もなかなか獲物に出会えず、一行はもう随分長いこと森の中を歩き回っていた。森に入ってから三日、いまだにキツネ一匹の成果もない。ルーファスは事前に定めた集合地点から三キロほど南の森を探索していた。所々にオオカミらしい痕跡が見られたので用心しながら起伏の激しい地面を南へと進んだ。


 しばらく歩くうちに足元は湿った土から岩の目立つものになり、やがてルーファスの腰ほどもある大きな岩をいくつか越えるとそこには鬱蒼うっそうと頭上を覆う木々の枝が途切れ、青空の覗く開けた泉があった。豊かな湧出が見て取れるその泉は不思議な青緑色に濁り、水面にはかすかに湯気が漂っていた。どうやら温泉らしい。


 ルーファスはほとりの岩に手を付いて、そっと泉の水をすくい上げてみた。人肌よりも少し熱いくらいの心地よい温度だった。しばらく素手を浸してみたが特に刺激もなく安全なようだ。ルーファスは探索を切り上げ、温泉でざっと汗を流すと、再びこの泉に来ることができるように途中いくつか目印を残しつつ集合地点へ戻ることにした。


 帰り道、シカの群れに出会ったルーファスは群れの中のまだ若くて小さい一頭を仕留めた。自分ひとりでなければもっと大きな個体を数頭狙えただろうが、ひとりでは小さい一頭を持ち帰るのが精一杯だ。惜しい気持ちはあったが、無理は禁物だ。集合場所に着くとすでに大半の者が戻っており、それぞれオーウェンに探索の結果を報告していた。


 西へ向かったチェイスら数人の男たちが近くに手頃な学校跡の建物を発見したらしい。それに周辺はむき出しの岩が数多くあり、起伏の激しい地形でそこに根を張る木の洞など動物の住処になる場所も豊富とあって、イノシシやキツネなどが数多くいるようだった。


「兄さん、髪が濡れてる」

 

 チェイスが束ねたルーファスの髪を持ち上げて言った。


「ああ、南でいい温泉を見つけたんだ。今度お前にも教えてやるよ」


「へえ、温泉か。いいね、気持ちよさそうだ」


「お前たちは学校を見つけたんだって?」


「うん。だいぶ荒れてるけど手を入れれば住めそうだよ」


「もう今の住処の周りは獲物が少なくなってきたからな。そろそろ引っ越しだろう」


「そうだね。先遣隊せんけんたいがしばらく様子を見て、安全が確認できたら移動するって父さんも言ってた」


「この近くでシカの群れに遭ったがかなり大きな群れだった。このあたりは繁殖に適した環境らしい」


「ああ。僕たちも途中でイノシシの糞を見つけたよ。水場もあるし獲物はたくさんいるみたいだ」


 探索に出た男たちから一通りの報告を受けたオーウェンは、皆の体力の消耗を考え、隊の皆を新たな拠点の候補となった学校跡地に残し、数人だけ仲間の元へ返すことにした。


 学校跡地の周囲の環境の確認が済んだら今の拠点からそちらへ移動することになるだろう。オーウェン自身と男たちが学校跡地に残り、ルーファスとチェイスを含む残りは一度病院に戻って必要なものを取ってくるようオーウェンから指示を受けた。ルーファスが仕留めたシカはオーウェンたちの元に残した。

 

 ルーファス率いる帰還部隊は疲れた体にむち打って急ぎ帰路につき、丸二日をかけて疲労困憊ひろうこんぱいの面々がパックの元へたどり着いた時には、そこにオーウェンがいないこともあり、出迎えた人々は悪い知らせかと身構えた。

 

 レイチェルの隣ではティアが不安げな顔でオーウェンの姿を探し、ルーファスとチェイスを見つけるとまっすぐ二人の元へ駆け寄った。馬から降りたルーファスが振り向くや否や、その鳩尾みぞおちに額を押し付けると背中に両腕を回し、しがみつくようにルーファスのシャツを掴む。ルーファスは背負っていた弓と獲物のウサギを下ろすと、両手でティアの頭を包むようにして上を向かせた。


「オーウェンは、オーウェンはどこなの?」


 ティアは今にも泣き出しそうに顔をゆがめてルーファスを見上げる。


「大丈夫、親父おやじは無事だ。ティア、新しい住処を見つけたんでみんなはそっちに残ってる。俺たちはそれを知らせるために戻ってきたんだ。心配するな」


 ルーファスはなだめるようにティアの頭に手を置いて優しく撫でた。ティアは泣きそうだった表情をゆるめて大きく目を見開いてルーファスを見つめ、ルーファスは右手でティアの頬を軽くつまんで笑う。ティアが背筋を伸ばしてルーファスの背中を強く掴むとルーファスは大きく頷く。それを見てティアは今度はすぐ隣りにいたチェイスに飛びついて力一杯抱きしめた。チェイスはティアを抱きしめ返して優しく笑い、ティアの額にキスをした。


「ただいま、ティア」


「おかえり、チェイス。無事で良かった。本当に」


 ティアは今にも瞳からこぼれそうになっていた涙を拭った。かたわらではルーファスから話を聞いたレイチェルが、強張こわばっていた表情を崩して笑い、ルーファスを抱きしめてその頬にキスをしている。


 それを横目に見ながらティアはもう一度チェイスの背中に回した腕に力を込める。良かった、そう心のなかで繰り返しながら。ぼろぼろになって戻った狩猟チームの人数が明らかに少ないこと、そしてその中にオーウェンの姿がないこと。


 その知らせを聞いて飛び出したレイチェルの顔が真っ青で、まるでこごえて死んだ鳥のようだったが、その時ティアはそんなレイチェルの手を強く握ることしか出来なかった。その日、ティアは待つだけの日々を終わりにすると決めたのだった。

 



 

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