第5話 森の子供2
髪に付いた雫を柔らかい布で丁寧に拭いてやり、レイチェルは自分の子供が同じ年頃に着ていた服を用意した。厚手の綿でできた七分丈のパンツに襟のないスモックを着せてやり、改めて子供の顔を見た。ひどい汚れ様からは想像もつかなかったが肌はレイチェル以上に白く、髪はワタリガラスのように黒かった。短く切ってしまったが癖のない真っ直ぐな髪だ。
そして髪に隠れてよく見えなかったその瞳の色は今までに見たことのないような鮮やかな
長く森の中にいたようだったが、深刻な怪我や病気、餓えは見られず、よく太っているとは言い難いが薄く脂肪もつき健康的な柔らかい皮膚を保っていた。脱毛も見られなかったし、歯は二十本ほど生えていて状態は良かった。食事は必要なだけ与えられていたらしい。レイチェルは消化の負担が少ないように茹でて半分すりつぶした野菜と細かく刻んだ少しの肉を入れた薄いスープを作ってやった。
キッチンの隅のテーブルで子供の前にスープボウルとスプーンを並べたが、不思議そうにじっと見つめるばかりで食べようとしない。
「お腹、空いてない?」
レイチェルが子供に声をかけると、子供はボウルからレイチェルに視線を移して不思議そうな顔をした。レイチェルがスプーンでスープを
すると子供はレイチェルの手の上からスプーンを掴み、もう一度ボウルに運んだのでそのままスプーンを子供の手に任せると次々と口へ運びスープを完食した。最後はほとんど空になったボウルを両手で掴み、口をつけて飲み干したのを見てレイチェルはキッチンの籠からブドウの房を取り出し、水で洗って小房に分けると皿に乗せて子供の前に置いた。子供は手を伸ばし、一粒もぎ取り口に運んだ。モグモグと口を動かすと指を口に突っ込んで固くて渋い皮を皿の上に出した。
そうしていくつか口に運んでおとなしく食べていたが、そのうちに口に指を入れたまま瞼が何度か下がって来て、やがて体がコクリと大きく揺れだした。レイチェルは口にくわえたままの指を出して涎まみれの口と指を拭いてやり、そっと椅子から抱き上げて、自分たちの寝室へ運んだ。
レイチェルの子供達が昔使っていたベッドに子供を寝かせ、擦り切れてはいるが清潔な毛布をかけてやってその寝顔を眺めていると、男の子が一人、部屋の入り口からこちらの様子を窺うように見ていた。
「ルーファス、おいで」
レイチェルは男の子に呼びかけた。レイチェルによく似た赤毛の子供は彼女のもうすぐ六歳になる長男だった。夕食の席にいなかった母親を探していたルーファスは母親に駆け寄ると彼女の腰にぎゅっと抱きつき、そして恐る恐るベッドを覗き込んだ。そこには弟のチェイスよりも小さい子供が眠っていた。人間の子供であることに安心して、ルーファスは母親の方を振り返ると尋ねた。
「この子も僕の弟なの?」
「いいえ、ルーファス。弟じゃないの」
レイチェルは微笑みながらルーファスの頭に右手を置いて答えた。
「それじゃあ、よその子なの?」
「よその子じゃないわ。この子は女の子なの。だからあなたの妹になるわね」
「女の子! この子は女の子なの?」
「そうよ、髪を切ってしまったから男の子みたいだけれどね」
「妹かぁ」
ルーファスが眠っている子供の右手に触れると、子供はルーファスの人差し指を握りしめ、うっすらと目を開けてルーファスの方を見た。
その瞳は母親の、空のような青とは違う、見たこともないような深い
「ならこの子は僕が守ってあげる。僕がお兄ちゃんだから」
「そうね、そうしてあげるといいわ」
レイチェルが答えると、ルーファスは後ろに立っているレイチェルを見上げて、
「じゃあ僕がヘビの捌き方と、あとそれと、カーリーの世話の仕方も教えてあげるね。ヘビはね、最初に頭を切り落とすとき、噛まれないように気をつけないといけないんだよ。噛まれたら指が抜けなくなっちゃうんだから。チェイスはまだ小さいから無理だけど、僕はもうできるんだよ」
ルーファスは父親から習ったばかりの狼犬の世話やヘビの扱いについて得意気に話した。レイチェルはルーファスの両肩に手を置き、優しくさすりながら腰をかがめてルーファスの頬にキスをした。
「そうね、色々教えてあげないとね。――でもルーファス、この子はまだ小さいから明日になったらブランコの乗り方を教えてあげるといいわ。今日はもう遅いからあなたももうお休みなさい」
レイチェルはベッドの脇のランタンを手に取ると、ルーファスを子供部屋に連れて行きベッドに寝かしつけた。
*****
オーウェンは食堂の隣の部屋で何人かの男達と一緒にワインを飲みながら今日の狩りの成果と次回の計画について話し合っていた。妻のレイチェルがやって来て彼女もグラスに少しのワインを注いで口にしながら彼らの話し合いを静かに眺める。
しばらくは今の狩場で十分な獲物が期待できそうなこと、大型の肉食獣はその近くに現れていないので今のところ狩猟チームの安全も確保できるだろうというようなことで皆が同意した。最後に、何か必要なものがあるかを尋ねられてレイチェルは、これから寒くなる前に厚手のネルの生地と羊毛、保存食の準備用に塩が欲しいと伝えた。オーウェンは頷いて、近いうちに使いに出すメンバーを決めようと答え、やがて男達はそれぞれの部屋へ戻っていった。
「あの子供はどうしてる?」
オーウェンがグラスに残ったワインを飲み干しながら尋ねた。レイチェルはソファーに座る彼のそばへ行き、空になった彼と自分のグラスを傍らのテーブルに置くと夫の隣に座った。オーウェンは彼女の腿の下に手を差し入れて抱き上げ、自分の膝の上で横抱きにした。レイチェルはオーウェンの胸に頭をもたれて答える。
「お風呂に入れて少し食べさせたわ。今は私たちの寝室で眠ってる」
「そうか」
短く答えてオーウェンは少し黙り込み、レイチェルの背中に回した右腕に少し力を込めた。
「どう思う?」
相変わらず口数の少ない夫だが、レイチェルには彼の考えていることが分かっていた。
「ルーファスがね、妹にヘビの捌き方を教えるんだって張り切ってたわ」
レイチェルが少し首を傾げてオーウェンを下から見上げた。オーウェンは右手でレイチェルの髪を撫でながら小さく頷いた。
「そうか」
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