「凍」北園陽
@Talkstand_bungeibu
「凍眠」
金曜日の夕暮れ時、薄暮に溶ける山々の稜線をコートを羽織りながら窓からぼんやりと眺めていた。何処かの国の大使館を併設した会社のオフィスから一歩外に出ると、まだ秋なのに吐く息が白かった。ついこの前までは半袖で歩いていた街も寒々としている。気温は坂道を転がり落ちるようにどんどん下がっていった。ずっと冬が苦手だった。今でも苦手だ。
冷たい風に晒されながらぼんやりとしていると目の前に白い乗用車が停まった。最近、ずっとぼんやりしている。意識が欠け落ちてしまったみたいに。名前を呼ばれて我に返る。乗用車から同僚が顔を覗かせていた。促されて後部座席に乗ると車は薄闇の中を走り出した。
時計の針がまもなく午前零時を差そうとしている。魔法が解ける時間、なんてことを頭の片隅で考える。そうだとしたらこの魔法はいつ解けるのだろうか。薄暗い店内ですべてを忘れてしまっても構わないと思った。アルコールで霧が立ち込めたような思考の中でゆっくりと終わりのない世界へ導かれていく。
魅力的な女の子だった。
ピンヒールに深いスリットの入った黒いドレスを身に纏い、切なげに赤ワインを口に運ぶその姿、時折交わる視線、紅を引いた薄い唇から零れ落ちる言葉、胸が締め付けられたようだった。舌先に触れる果実のお酒がずっと甘くなったような気がした。ガラスのテーブルを挟んだ彼女まで1メートルもないのに手を伸ばしても届かず、その距離はとても遠いように感じた。ほんのわずかでもいいから近付きたくて名を問うたが偽りの名しか教えてくれなかった。その偽りの名は木々の葉が色づく季節を表す言葉だった。本当の名は誰にも呼ばれたことがないと言って教えてくれなかった。
代わりに出身地を教えてくれた。そこはこの街から遠い南の果て、肺まで凍ってしまうような冷たく冷えた風が吹く砂漠の縁にある小さな村だった。
いつかどこかに辿り着きますように。
地の底のラウンジで出会った女の子は一言消え入りそうな声で呟くと二度と戻ってくることはなかった。
「凍」北園陽 @Talkstand_bungeibu
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