第19話 あなたは聖女という罪人
祈るために胸の前で組んでいた手が、だらっと下がる。
トワはもう姉に向けて放つ言葉がない。どんな言葉も届かないことは明白で、綺麗事を並べただけの台詞に何の価値もない。
「ふふ……あはは、あはははははは!」
ディゼルは込み上げてくる感情を抑えきれず、高笑いをした。
こんなに笑ったことがあるだろうか。楽しいからではない。ただただ、目の前で気力を失っている聖女の姿が滑稽でしかなかった。
「ねぇトワ。どうして貴女が聖女なのでしょうね? 貴女が罪を償うための力? 結局自分のためじゃない! 私のためじゃない。私が貴女に救われたいなんて思ってると思う? 貴女のせいで私はずっとずっとツラい思いをしていたというのに!」
「っ!」
トワの体が強張る。
彼女を助けようと男たちが必死にもがいているが、悪魔の力を撥ね退けることは出来ない。聖職者であるクラウスですら無力だ。
それほど、ディゼルの闇は深い。だが何もしない訳にはいかない。クラウスは少しでもトワの気を逸らせようと話しかけた。
「ディ、ディゼル嬢……! トワさんは本気で君を救いたいと思っている! 今からでも遅くない、悪魔なんかに負けては駄目だ!」
「……悪魔なんかに?」
「そうだ。悪魔は人間の魂を食らう化け物だ。このままでは君は死んでしまう!」
「…………ふふっ。ふふふ……」
クラウスの言葉に、ディゼルは笑う。
悪魔が悪。化け物。きっとディゼルも自分が悪魔の子だと言われなければ、普通の女の子として生まれてくれば、そう思っていただろう。
だけど今のディゼルは、悪魔を愛してる。その事実は決して揺らがない。
ディゼルにとっての悪は、自分の邪魔をする目の前の聖女。
「ねぇトワ……悪魔が化け物ですって。貴女も私のことをそう思っていたのかしら?」
「……っ」
「そうよね。だって私は悪魔の子として育てられた。貴女もそう親に言われ続けた。だから、あんなことをしたんでしょう?」
「っ、あ、あれは……!」
「幼いとき、私が庭の掃除をしてるときに貴女のハンカチを拾ったことがあったわよね?」
そう言うと、トワの体は極寒の地にいるのではないかと思うほど震え出した。
「私がそのハンカチを渡したとき……貴女、何をしたか覚えてる?」
「っ」
「私の手を振り払って、親にこう言ったわよね?」
「っ、あ、ああ……」
「私に、ハンカチを盗まれた、と……」
ディゼルは当時のことを思い出す。
あれは寒い冬の日。マトモな服を買い与えられていなかったディゼルは薄着のまま、庭の掃除をさせられていた。
そこに落ちていたハンカチを拾い、すぐにトワのものだと分かったディゼルは彼女に渡しに行こうとした。落ちてたのを拾ったとトワに告げると、彼女は汚いものを見るような目でディゼルの手を振り払い、両親の元へと走っていったのだ。
そして、二人にこう言った。
「お姉様が私のハンカチを盗んだの」
そう言われた両親は、ディゼルを折檻した。冷たい水を浴びせて、何時間も叩かれ続けた。
傷だらけ。全身びしょ濡れのまま寒い地下に投げ捨てられた。
あの状態で良く生きていたものだと、ディゼルは幼い頃の自分を褒めてあげたいと思った。
「ねぇトワ。どういうつもりで、あんなこと言ったの?」
「あ、あ……」
「両親に逆らうことが出来なかった? 貴女、よく親に我儘を言っていたわよね? 新作のドレスが出ると買ってほしいと強請っていたわよね?」
「……っ」
「それでよく、逆らえないだなんて言えたわね? 貴女、親に脅えていたことなんかあったかしら? あの時も私の悪事を良く教えてくれたわねって褒められていたわね? 嘘つきのくせに」
「っ!」
もう立っていることが出来ず、トワはそのまま膝から崩れ落ちるように両膝を地面に付けた。
償いたい。償える、なんて思った自分を呪いたくなる。
トワは、もう立ち上がれない。
「何度でも言いましょう。ねぇ、トワ。貴女に何が出来るの?」
ディゼルの言葉が鉛のように体に降り注ぐ。
「私が冷たい地下で薄っぺらい毛布で寝ている時、貴女は暖かなベッドで眠っていたのよね? 私が貴女達が残した僅かな残飯でお腹を満たしてる間、貴女は美味しいご飯を当たり前のように毎日食べていたのよね?」
そう。それを知りながら、トワは何もしなかった。
何も出来なかったのではない。する気がなかった。
それを適当な言葉で誤魔化そうとして、自分を悲劇のヒロインに仕立てあげているのが気に入らないのだ。
「親が怖くて何も出来なかった可哀想な自分。姉が悪魔になって可哀想な自分。そんな姉を救うために戦う健気な自分。貴女は自分に酔ってるだけじゃない」
ディゼルの言葉に反論できない。
何も知らない人から見れば、確かにトワは可哀想な子に見えるだろう。守りたくなるのだろう。
別の視点から見れば、トワは悪魔に家族をめちゃくちゃにされた可哀想なヒロイン。
また別の、ディゼルの視点からすれば、トワもあの両親と何も変わらない。姉を見捨て、我が身可愛さに平気で嘘をつく最低な妹。
悪魔により動けずにいる男たちがどちらの言い分を信じるのかは分からない。
だが、当人であるトワは自分の行いを覚えてる。
もう、取り返しがつかない。
絶望に満ちた空気に、悪魔は笑いが止まらない。
今この場で彼の笑い声が聞こえるのはディゼルだけ。
なんて愉快なのだろう。
人の絶望する顔というのは。
「ざまぁ、ないわね」
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