第6話 狂う者、狂わせる者




「ディゼル! ま、待った?」

「いいえ、今来たところですよ」


 夕暮れ時。リュウガが再び広間に戻ってくると、ディゼルが噴水の前で待っていた。

 まるで恋人同士にでもなったかのようなやり取りに、リュウガは口元が緩んでいく。周囲からヒソヒソと何か話している声が聞こえるが、そんなもの気にならないほど今のリュウガは有頂天になっている。


「お、お気に入りのお店があって……気に入ってもらえると嬉しいんだけど……」

「それは楽しみですね」

「あの、近くの山で採れたキノコを使ったハンバーグがオススメで……季節の野菜を使ったスープとかも美味しいんだ」

「ふふ。聞いてるだけで食べたくなりますね」


 いつものように笑顔を浮かべるディゼルに対して、緊張して上手く喋れないリュウガ。

 こんなにも心臓が高鳴ったことはない。彼女の優しい笑顔。一つ一つの仕草に目を奪われっぱなしだ。こんなに誰かを想ったことがないリュウガは浮かれる心を止めることが出来なかった。


「ディ、ディゼル。一つ聞いてもいいかな」

「なんですか?」

「ど、どうして俺の誘いを受けてくれたんだ?」

「どうして、とは?」


 リュウガは足を止め、ディゼルと向き合った。

 答えが欲しい。この気持ちに、二人の関係に名前が欲しい。誰からの誘いも受けなかった彼女が、今ここにいる理由が知りたい。

 きっと彼女も自分と同じ気持ちを持っているんじゃないか。そんな希望を、リュウガは抱いていた。


「おい、リュウガ!」


 彼の背後から、怒声が聞こえた。

 リュウガが驚いて振り向くと、そこには鬼のような形相を浮かべたソウエイだった。


「ソ、ソウエイさん……」

「リュウガ、なんでお前が彼女と一緒にいるんだ!」


 ソウエイはリュウガの胸倉を掴み、食いかかった。

 彼の剣幕に圧倒されるが、リュウガも黙ってはいない。


「か、彼女が俺の思いに応えてくれたからだ……じゃなかったら一緒にいない!」

「何だと……お前みたいに何もない地味な男なんかにディゼルが振り向くわけないだろ!」

「自分が相手にされなかったからって俺に当たるなよ!」


 その言葉がソウエイの逆鱗に触れたのか、彼は感情のままに拳を振り上げてリョウガの頬を殴った。

 リョウガも負けじと自身の拳をソウエイに向けた。

 目の前で繰り広げられる喧嘩に、周囲が集まり出す。どうしてリュウガとソウエイが争っているのか、訳が分からない。

 二人の目は焦点も合っていない。ただただ殴り合っているだけ。吐き出す言葉も何を言っているのか分からない。


「リュウガ、落ち着け! 何してるんだ!」

「ソウエイさん。これ以上殴ったらリュウガが死んじゃうぞ!」


 村民が集まり、彼らを止めようとするが二人は止まらない。

 気が狂ったかのように、喧嘩し続ける。


「俺のだ……おれの、おれのでぃぜる……おれに、こたえてくれたんだ……」

「おれのものに、おれのものにするんだ……おれにこそ、ふさわしいんだ……」


 いつもと様子が違う二人に、皆は困惑する。何が彼らをこんな風にしてしまったのか。その原因は何なのか。

 暴れる二人を羽交い絞めにする中年の男たちに、涙を浮かべた女たち数人が集まった。


「助けて! 彼が、彼が急に苦しみだして……とにかく様子がおかしいの!」

「な、なんだって……!?」

「うちの息子も急に暴れ出したのよ! 一体何が起こっているの?」


 どうやら二人が狂ったように喧嘩を始めた頃、他の若い男たちも苦しみ出したらしい。

 無事なのは女たちと子供、中年の男たち。簡単に言えば若い男以外だ。


 つまり、ディゼルと関わらなかった者たちだけ。


「あの女よ……あの女のせいでこうなったのよ!」

「あの花売りの女はどこに行ったの!?」


 女たちは血眼になって村中を探すが、ディゼルの姿はどこにもない。彼女に貸していた屋敷の部屋も、もぬけの殻になっていた。

 小さな村には老医者が一人。全員を診て回るには時間がかかる。何が彼らをこうさせたのか、原因を突き止める方法も見つからない。

 原因不明の奇病として扱い、村長は遠い街に助けを求めたという。



 二人が喧嘩をし始めたときから姿を消したディゼル。

 遠い場所から村民たちが慌てふためく様子を見届けた。

 一人の女を巡って争い、傷つけ合う男たち。そんな様子を見て、悲しむ人たち。小さな歪みが村中を狂わせた。

 そして花の香りによって男たちは苦しんだ。


「この花、物凄い効果ですね。あのままだと死んでしまうのですか?」

「この花だとそう簡単には死なない。血を与える量を増やせば即効性も出てくるがな。まぁ苦しむ時間が増えるのは良いことだ」

「あなたが喜んでくれるなら、私も嬉しいです」


 ディゼルは微笑み、その場を離れた。

 村を離れ、街道を進んでいく。空はもう暗く、周りに人もいない。悪魔はその姿を現し、ディゼルの横に並んだ。

 上手くいった。こんな簡単に不幸をまき散らすことが出来るなんて思わなかった。ディゼルは少し顔を上げて悪魔の顔を覗き見た。


「私、ちゃんと出来ましたか?」

「ああ、上々だな。それにお前も、この状況に胸を痛めている。ツラいか?」

「……覚悟を決めたつもりですが、いざ目のあたりにすると複雑ですね。貴方が喜んでくださるなら、トワを苦しませることが出来るのなら、どんなことでもやるつもりですが……」

「ククク……その心、良いぞ。お前の苦しみ、悲しみ、憎しみ、全てが俺の腹を満たす」

「悪魔様……」


 ディゼルは悪魔の胸に寄り添い、そっと目を閉じた。

 苦しいのも悲しいのも、慣れている。不幸であることが当たり前だったのだから。


「さぁ、次の場所へ行きましょうか」

「ああ。その前に、もう少し俺の腹を満たせ」

「はい、悪魔様……」


 二人は街道から少し離れ、森の中へと入っていった。

 月明かりもない。誰もいない。木々の揺れる音しかしない。

 ディゼルは着ている服を脱ぎ、冷たい風に素肌を晒す。悪魔の赤い眼だけが、彼女の全てを見つめている。


「……あ」


 悪魔の手が肌に触れる。

 冷たくてゴツゴツとした肌に、ディゼルは体を震わせた。


 世界で唯一自分を必要としてくれる相手。

 どんな辱めも、彼にされるのであれば喜びにしかならない。


 この身は神への捧げものなのだから。



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