第二章
第5話 最初の村
その少女は突然やってきて、多くの者の視線を奪っていった。
村の青年、リュウガは家の花瓶に活けられた花を見つめながら小さく溜息を吐いた。
今までは花なんかに興味なかったのに、彼女に差し出された花がこの世のものとは思えないくらい美しく見えて、気付いたら受け取ってしまったのだ。
「……あ、そろそろいるかな」
リュウガは立ち上がり、村の中心にある広場へと向かった。
広場には小さな噴水が置かれており、そこにはちょっとした人だかりが出来ていた。集まっているのは村の男たち。それを離れたところで女たちがその様子を睨みつけていた。
ここ最近はこれが当たり前のような光景になっている。
リュウガはその中心にいる人物に会いに、輪の中へと入っていった。
「ディゼル」
「あら、リュウガさん。おはようございます」
「あの……今日も」
「ええ。お花を一輪ですね」
ディゼルはふわりと微笑んで、花を包んでくれた。
彼女は数週間前にこの村にやってきた。たまたま最初に会ったのがリュウガで、フラフラしていた彼女を介抱してやった。
話を聞くと、彼女は身寄りがなくて花を売り歩きながら暮らしているそうだ。リュウガは彼女を気の毒に思い、村長の屋敷へと案内をしてやった。それから彼女は屋敷の離れにある部屋を借り、こうして花を売りながら生活をし始めたのだ。
「いつもありがとうございます、リュウガさん」
「いや、俺は何も……」
この広間で花を売るようになってから、村中の男たちはディゼルの魅力に囚われてしまった。
女たちは突然現れて男たちを誑かしているディゼルを快く思わない。無理もないだろう。この村で一番人気のある村長の息子さえも彼女に惚れてしまったのだから。
「やぁ、ディゼル」
「ソウエイさん」
噂をすればなんとやら。リュウガの肩を押しやって村長の息子、ソウエイが現れた。
誰にでも優しく、端正な顔立ちをしている彼は、ディゼルが来てから毎日のように花を買いに来ていた。
村の人々は思っていた。いずれディゼルは彼からプロポーズされるのだろうと。
しかし納得できるわけもない。男たち皆がディゼルを慕っている。村中の女たちが反対するに決まっている。
さすがに村民の反対がある中で婚約することは出来ない。ソウエイは中々プロポーズ出来ないでいた。
その状況は村の男たち、そしてリュウガにとっては都合が良かった。今の内にディゼルの心を射止めることが出来ればと、こうして毎日のように広場に集まっているのだ。
「ディゼル、今日も綺麗だね」
「ありがとうございます、ソウエイさん」
「良かったら今日は一緒に食事を取らないか? せっかく君も屋敷に住んでいるんだから」
「いえ……私みたいな余所者がお邪魔する訳にはいきませんから。お気遣いありがとうございます」
毎日この調子だ。ディゼルはソウエイ相手でも表情を変えない。ずっと笑顔を崩さない。
リュウガはそんなところにも好印象を持っていた。顔だけで判断するような周りの女たちとは違う。誰にでも分け隔てなく彼女は優しい、美しい少女なのだと。
ソウエイが今日は諦めたのか、また明日とだけ言ってその場を離れていった。他の男たちも花を買い終え、話題がないのか少しずつ人気が減っていった。
最後まで残ったのはリュウガ一人。何か話すわけでもなく、ただベンチに座ってそばにいるリュウガに、ディゼルは声を掛けた。
「いつも、そこにいますが……飽きませんか?」
「へ?」
ディゼルから話しかけられたのは初めてで、リュウガは気の抜けた声が出てしまった。
思わず口を押えて顔を赤らめるリュウガに、ディゼルはいつものような優しい笑みを浮かべてくれる。
「あ、えっと……すみません、お邪魔でしたか?」
「いいえ。そのようなことはありませんよ。でも、私は楽しいお話も出来ませんし……」
「そ、そんな……俺は……ディゼルと一緒にいられて、嬉しいですよ。その、俺も口下手なので楽しい話題がなくて申し訳ないんですけど……」
「ふふ。じゃあ、私と同じですね」
いつもとは違う表情。まるで子供のように楽しそうに笑う彼女に、リュウガは心臓が胸から飛び出してきそうなくらい跳ね上がるのを感じた。
この笑顔は、誰も知らない。誰にも見せなことがない。あのソウエイにも。
そう思うだけで、心が躍るようだった。
「あ、あの……良かったら……俺と、夕飯でも、どうでしょうか」
「え? 私と、ですか?」
言葉にした瞬間、リュウガは自分が調子に乗ってしまったのではないかと後悔した。だけど出てしまった言葉は取り消せない。
少し困ったような表情を浮かべるディゼルの返答を待ちながら、リュウガはギュッと拳を握り締めた。
「…………分かりました。では、今晩またここでお会いしましょう」
「ほ、本当に?」
「ええ。それじゃあ、私は一度戻りますね」
「う、うん。それじゃあ、またあとで!」
「はい、またあとで」
ディゼルは花を入れていた籠を持って、その場を後にした。
その背を見送りながら、リュウガは心の中で叫んだ。もしかしたら、彼女も自分に少しは気があるのではないかと。少しくらいなら浮かれても許されるのではないかと。
浮かれるリュウガを背にしながら、ディゼルは口元を手で隠しながら微笑んだ。
そんな彼女の耳元で、低い声が囁く。
「随分とお前にご執心だな、あの男は」
その言葉に、ディゼルは小さく頷いた。
散々悪魔の子と両親に罵られ続けた彼女だが、それは顔の痣のせい。美しいと皆から愛されるトワと血の繋がった姉なのだ。きちんと身なりを整えればその容姿は誰もを魅了するほど美しい。
そのことにディゼルが気付いたのは、この村に来てから。初めて会った時にリュウガがディゼルの容姿に見惚れ、村長の息子に挨拶したときも容姿を褒められた。
そのとき、彼女は思った。この容姿は利用できると。トワがその愛らしさで男を魅了していたように、自分にも同様のことが出来る。
そして、結果として上手くいった。
「お前は身寄りがなく可愛そうで美しい娘だと皆が思っている。そして男を誑かす悪女だと女たちが憎んでいる。醜い嫉妬を一身に受ける不幸な娘。まぁ、悪くはないな」
そう。女たちから嫌われれば嫌われるほど、男たちはディゼルを可哀想だと思う。
身寄りがなく、花を売って慎ましやかに暮らしているというのに、どうして彼女をそんな目で見るのだろうかと。
だが村の男たちはそれを直接女たちに言う勇気もない。そうすることでディゼルが余計に可哀想な思いをすると分かっていながら、彼女に会いに行くのだ。
「愉快ですわね……人を手のひらで転がすというのは……」
人の不幸。嫉妬。そういった負の感情は悪魔の好物。
その感情がディゼルに集まれば集まるほど、彼女に憑いた悪魔が喜ぶ。悪魔が喜べば、ディゼルも喜ぶ。
もう、後戻りは出来ない。
ディゼルはもう、人の道に戻ることはないのだろう。
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