第69話 ループのおしまい
「ねえ、あれって……! うそでしょう……!」
遠くのほうでクリスティーナの悲鳴が聞こえる。トラヴィスが王族だということを誰かに聞いたのだと思う。
神殿では神官だけがトラヴィスの出自を知っていて、巫女には知らされない。私とよく一緒にいるイケメンが王弟殿下で、しかも私の手を引いているのだから驚きは十分に察するところだった。
周囲のざわざわとした雑音を気にも留めず、トラヴィスは私をバルコニーまでエスコートするとカーテンを閉じて呟く。
「やっと二人になれた」
「!」
ドキドキして死にそうになるからそういうこと言わないで! ……と思ったけれど、トラヴィスは私の様子にはお構いなしで、内ポケットから小瓶を取り出した。
バルコニーからは王宮の庭園が見える。背後のカーテン越しに夜会の賑やかな気配は感じるけれど、ここには私とトラヴィスの二人きり。
月はなくて遠くの城下町の灯りの上に星空が広がる。そういえば最初の人生、私がとんでもなく凹んだ日の夜。トラヴィスと二人で、トキア皇国の大神殿からこんな景色を見たなぁと思う。
「これ、さっき完成した薬」
バルコニーの灯りで小瓶の中の液体がなめらかに揺れるのが見えた。
「これは……万能薬?」
「そう、聖女のサイドスキルを消すエリクサーだって」
トラヴィスはぽん、と音をさせてガラスの蓋を外す。そして小瓶を私に渡してくれてから言った。
「先に、能力鑑定をさせてほしい」
「ええ」
本当にサイドスキルが消えたかどうかは薬を飲む前と後で能力鑑定をしてみないとわからない。私がトラヴィスに能力を見てもらったのは啓示の儀の後の一度きり。
そのときはサイドスキルの有無はわからなかったから、今鑑定してもらうしかなかった。
小瓶を持っていないほうの手のひらをトラヴィスが握る。それからすぐに身体がぽかぽかと温かくなる。
「うん。確かにサイドスキルがある。これは人生をループするものだ」
「そっか、やっぱり」
「じゃあ、その薬を飲んで」
「わかった」
こういうときは事務的に無感情で従うのがいいと思う。少し前に、トラヴィスが私の能力鑑定をするのを嫌がったことを思えばそれ以外の答えはない。
彼に促されるまま私は小瓶に口をつけた。トラヴィスの顔は見ずに、ごくごくと薬を飲む。苦いかと思ったけれど、まるで水のように無味。微かにハーブの香りがするのは水と区別をつけるためなのだろう。
「薬、全部飲んだわ」
「何か違和感はある?」
「……全然。本当に効果はあるのかしら」
「じゃあ手を貸して」
流れ作業のようにしてトラヴィスはもう一度私の手を包んだ。指先が白く光って、手のひら、腕、と神力を感じる。私の身体はまたぽかぽかと温まっていく。
能力鑑定ができる神官はこの世界の一握りだけ。ルーティニア王国の神殿ではトラヴィスただひとり。私の鑑定をしてくれるのが彼でよかった。なんとなくそう思う。
それにしても、さっきよりも時間がかかっている気がする。もうとっくにサイドスキルの有無は確認できたはずなのに。
気になって顔を上げると、私の目の前のトラヴィスの頬は少しだけ赤くなっていた。久しぶりに視線がぶつかる。……あれ。彼は、いつから私のことを見つめていたんだろう。
ちょっとだけこちらを窺うような瞳。それは星いっぱいで埋め尽くされたこの夜空みたい。深い深い青いきらめきの中に、私はいる。
「サイドスキルは……消えたの?」
恐る恐る問いかけると、トラヴィスは何も言わずに頷いた。――そして。
「俺は、セレスティアが好きだ」
なんとなく予想していた言葉を告げられて、私は身体を硬くした。
「……知ってる」
「本当に?」
「……いちいち教えてくれなくても伝わるぐらいには知っています」
サイドスキルは消えた。だからもう偽る必要はないのに、なぜか素直になれないのがもどかしい。
トラヴィスは私の手から空の小瓶を受け取ると、ジャケットの内ポケットにしまった。そして、涼しい顔をして余裕たっぷりに笑う。
「敬語」
「あ」
しまった。最近は失敗していなかったのに、緊張しすぎてついうっかり敬語を使ってしまっていた。
「いい口実になるな」
トラヴィスがそう呟いたと思ったら、私は彼の腕の中に抱きすくめられる。
これまで、近づくたびに感じていた彼の匂いにつつまれる。サシェの町ではシーツ越しだったけれど、今日は何もなくて、恥ずかしくて顔が上げられなかった。
「気持ちに応えてくれる気はあるんだよね?」
「……あ、あるわ。でも、少し世界が違うかもしれないとは思った」
トラヴィスの胸に顔を埋めたまま答えると、耳に低くて甘い声が響く。
「不安?」
「だって、本当に私でいいの?」
「今さら? セレスティアはサシェの町で何を見たの? ……俺はセレスティアじゃないとダメだ」
「……知っています」
「敬語」
「……わざとです」
敬語ルールに勇気を借りて顔を上げると、少し照れくさそうなトラヴィスがいた。おとがいに手を添えられて、愛おしさになぜか涙があふれる。そのまま私たちの唇は重なった。
華やかなパーティーの気配がうそみたいに、このバルコニーには私たちだけ。
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